第十話 それぞれの友情

 早穂や奈緒と親しくなってから、亜紀は学校へ行くことが俄かに楽しくなったのを感じていた。今までは一人で授業を受け、昼食を食べ、また授業を受けて帰るだけだったのが、ここへ来て早穂たちと話をするという楽しみが加わり、単調な生活に刺戟が与えられたのである。

 付き合ってみると、初めのどこか陽気で肌が合わなそうだと思っていた早穂たちも、意外と落着いた面をも併せ持っていることがわかった。それほどに交友関係が広いわけではなく、だからこそ新たな友人として、亜紀を受け入れたようでもあった。それでも亜紀はしばらくの内、ここが自分の本当の居場所と成り得るのだろうかという一抹の不安を抱いていたのだが、或る日、こんな出来事があった。

 その昼休み、授業が始まる前に、亜紀は手洗いへ行った。個室から出ようとしたとき、戸の外で、喋りながら入ってくる数人の女子の声が聞えた。それはクラスの中でもよく大声で話している女子たちで、亜紀は何となく忌避感を覚えて、戸の把手に伸ばし掛けた手を止めた。そのとき、笑いながら大声で喋っていた女子の一人が、ふと気が付いたように「あ、早穂お」と声を上げた。

 亜紀は息を潜めて、戸の外の様子を窺った。入ってきたらしき早穂が何らかの返事をしたらしい声が聞え、続いて別の女子が、笑い混じりにこう尋ねた。

「ね、早穂と奈緒さ……最近、北野さんと仲良くしてるみたいだけど、何かあったの? あんな暗い子と話してて楽しい?」

 その言葉は亜紀の気持を沈ませた。薄々、自分のことを同級生たちがどういった眼で見ているのかを察していないわけではなかったが、このようにして明瞭な形で聞いてみると、やはり心を抉られるような思いがした。

「そうそう、どうしてあんな陰気なのと付き合ってるのか、不思議に思ってたんだよね私も」

 続いて先程の女子が言い、数人の笑い声が上がった。しかしそのとき、早穂が截然たる口調で言った。

「私が誰と付き合おうが、私の勝手じゃないの? 亜紀はいい人だよ。少なくとも、見た目で人を判断して陰口を叩くような人たちより、ずっとね」

 相手の女子たちは、火が消えたように黙り込んだ。タイルの上を歩み去っていく音が聞え、早穂はそのまま手洗いを出て行ったようであったが、女子たちは尚もその場にしばらく佇み、互いに小声で何かを言い合っていたが、やがて乱れた足音を反響させながら、廊下へと出ていく気配がした。

 亜紀は驚きに打たれて、しばらくそこから動かずにいた。普段は自分の相手をしてくれているとはいえ、こんな場であったなら、相手に合せて悪口の一つや二つを言ってもおかしくないと覚悟していただけに、早穂がはっきりと相手の言葉を否定し自分を擁護してくれたことを、この耳で聞きながらも、すぐには信じられないように思ったのである。

 しかし確かに早穂が自分に対しあのようなことを言ってくれたのだと思うと、亜紀は深い感慨が込み上げてくるのを抑えられなかった。教室へ戻ると例の女子たちの姿はなく、早穂はいつもの通り奈緒と、自分の席で喋っていた。二人は亜紀の姿を教室の入口に見出すと笑顔で手を振り、亜紀も安堵の微笑を洩らして、二人の元へと歩み寄っていった。


* * * * * *


「あ、桃香だ! 桃香が学校に来てる!」

 登校してきて早々、桃香は走ってきた詩織に抱き着かれた。詩織はあたふたする桃香を強く抱き締めて放さず、「どうして三日も来なかったの? 本当に風邪だったの? マジで心配してたんだから」と矢継ぎ早に質問を浴びせたが、やってきた絵里が無理矢理にこれを引き剝がし、桃香はようやく息をつくことができた。

「いきなり抱き着いたりしちゃ駄目でしょ、一応病み上がりってことになってるんだから」

 絵里が真面目くさってそう言うと、再度桃香に抱き着こうとしていた詩織は、おとなしく身を引いた。

「え、あ、うん……。というかやっぱり風邪じゃなかったの? 何?」

「五月病」

「ご、五月病?」詩織は絵里と桃香とを交互に見比べた。「新しい環境にうんざりしてなるっていう……あれ? 大丈夫なの桃香?」

「うん、多分鬱病でもないし五月病でもないと思うから」桃香は苦笑しつつ頷いてみせた。「それにもう……そろそろ五月も終りだよね」

「六月かあ、もう最近暑くて厭だよねえ」熱しやすく冷めやすい詩織は、今更暑さに気が付いたかのように、はたはたと手で扇いでみせた。「今日も体育あるんでしょ? 雨で中止になれば……いや、体育館でやることになるのもまた厭だけど」

「今日は一日中曇り。明日は雨っていうことだよ」

 天気予報を確認してきたらしい絵里がそう答えると、詩織は悲嘆なのか何なのかよくわからない声を発して、桃香の机の上に上半身を倒した。それを無視して、絵里は桃香へと向き直った。

「まあ、取り敢えず桃香が復帰してくれてよかった」

「心配してくれてありがとうね、二人とも」

 桃香はそう返し、絵里は笑顔で頷いて付け加えた。

「まだ遠いけどさ、夏休みになったらまた泊りに来なよ。前に来てくれたときも楽しかったし」

「うん、また行く!」桃香は小さく飛び跳ねた。「あのときは眠くなってすぐ寝ちゃったけどさ、今度は夜明けまでお話しよう」

「何々、二人でそんなことしてたの? 私を誘わないと化けて出るぞ……」

「わかったわかった、二人とも大歓迎だから!」

 よろめくようにして近付いてきた詩織に抱き着かれながら、絵里は悲鳴に似た声で叫んだ。

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