46.「天使少女の受難と、これから。そして――『英雄たち』の旅立ち。」

 ――ドクン、ドクン。


 その瞬間ギブリールの心臓が、恐ろしい勢いで鼓動を刻み始める。


(――言っちゃった、言っちゃった、言っちゃったっ!)


 顔をカッと赤く染めながら――ギブリールは目を閉じ、恥ずかしそうにモジモジして、目の前の少年トーヤ答え・・を待つ。



 ――トーヤくん。長い年月を生きてきた天使のボクより、ずっと大人な男の子。



 『』女神さまの従者という、ある種無菌室のような箱庭の中で育てられたギブリールにとって――この瞬間のドキドキさえ、数百年の人生で生まれて初めて経験する『未知の体験』だった。


 地上に関する書物すら、徹底的に排除された環境下……地上に関する情報を遠ざけられたギブリールが、初めて接することになった『ホンモノの人間』。


 そんなギブリールがトーヤに惹かれることになってしまったのも……ひょっとしたら、だったのかも知れない。



 

 ……そして、ギブリールは思い出す。

 昨夜、魔物に襲われたフロリアの街で。ボクはトーヤくんに頼まれた『探し物』のご褒美に、トーヤくんから初めての『チュー』を貰ったんだ。


 その時のボクは霊体で、トーヤくんに触れることが出来なかったけれど……

 それでも、天界でを知らずに育ったボクには刺激的過ぎて。


 ――唇を重ね合わせて、お互いの『好きだよ』という気持ちを伝え合う行為。


 その時は、お昼のトーヤくんとリゼをお手本に、見よう見まねでやってみただけ。それでもボクには嬉しくて、凄く心地が良かった。


 けれどもそれは、あくまで疑似的なもの……本当に唇を合わせた訳ではない。

 でも、今なら……


 ドキドキ、ソワソワ……ギブリールは目を瞑りながら、胸を高鳴らせる。



 ――ドクン、ドクン。


 ……トーヤがゆっくりと、ギブリールに近づく。

 そして二人の唇が、一瞬だけ触れ――


 ――!?


 突然の出来事に、ギブリールの頭は混乱する。


(な、何っ? ボクはたった今、トーヤくんと、『チュー』をして……!)


 間違いなくあの一瞬、ボクはトーヤくんと触れたハズ。なのに、次の瞬間……!

 ……まさか。

 そしてギブリールは、自分の体を見る。


 ――そこにあったのは、透けて透明な自分の体だった。


 ここに来てようやく、ギブリールは事態を把握する。


『もしかしてボク、また霊体に戻っちゃったの……!?』



  ◇



 そしてその一方で、トーヤもこの突然の出来事に驚いていた。

 いや、『驚く』というのは少し正しくないかも知れない。

 

 ……僕だって、この状況にちゃんとドキドキしていた訳で。


 しかしそんなことより先に、心配なのはギブリールだ。

 ギブリールにとっても、この『異変』が想定外である事は、彼女の様子を見れば一目瞭然……!


「ギブリール、大丈夫!?」

『……うん。全然大丈夫じゃないけど、大丈夫だよ、トーヤくん……』


 そう言うギブリールは、どこから見てもシュン、と落ち込んでいる様子で。

 しかし心理的なダメージはともかく、肉体的には何の問題も無さそうだが……


 だとしたら、何故ギブリールは霊体の姿に戻ってしまったのだろうか?

 ……その『答え』は、すぐに僕たちの前に現れた。


 それは見覚えのある光景だった。『花の都亭』の一室――トーヤとギブリールの目の前に現れた、見覚えのある『光の柱』。

 ……ちょうどこの光と同じ物を、僕はこの部屋で数時間前に見ている。


 後光と共に現れたのは――数時間ぶりに見る、女神さまの姿だった。


『どどど、どういうことですかっ、女神さまぁ!』

「あらあら。ギブリール、どうしたんですか?」

『ボク、トーヤくんと『チュー』しようとしたら、急に実体化が解けて……!』


 ギブリールの訴えに、女神さまはふむふむと、何やら考え込むポーズを見せる。


「うーん、どうやら地上での活動には、まだ『制限時間』があるみたいですねー。

それを過ぎちゃうと、またしばらく霊体化しちゃう……みたいな?

きっと、ギブリールの体が地上に馴染んでないからじゃないかしらー?」


『そんな……それじゃあ、ボクの体はいつ馴染むんですかっ!?』


「……そうですねー、少なくとも『次に月が満ちる日』までは、お預けかなー♡」


 女神さまのその一言に、ギブリールはまるで死刑宣告でも受けたかのような『絶望の表情』を浮かべる。


『い、一か月も、ですか……!?』


「うふふ……それまでは、我慢ですよギブリール。その日になったら、好きなだけ『らぶらぶえっち』も出来ますからねー♡」


「ふふっ……ひょっとしたらトーヤちゃんの『』を注いで貰えば、地上に定着できるかも知れませんよ♡」


 ……? 一体何を話しているんだろう? 最後の女神さまの言葉は、ギブリールに対する耳打ちだったので、良く聞こえなかったのだけれど……

 ギブリールを見ると、何やら顔をカッと赤くして恥ずかしがっている。


 そして女神さまは、僕に向かってウィンクするのだった。


「それじゃあ『トーヤちゃん』、ギブリールをお願いしますねー♡」


 そして――女神さまはそう言い残して、天界へと戻っていったのだった……。




  ◇



 ……そして、それから少しして。

 ――ガチャリ。脱衣所の扉が開くと、リゼとエレナが戻ってきたのだった。

 

 ……あれ? あの二人にしては、少し出るのが早い気が……。

 きっと、朝だからだろうか? そして僕は、二人の姿の目の当たりにする。


「ん……どうしたの、エレナ?」

「っ……! タオルが小さ過ぎて……これでは、裸同然だ……!」


 ……二人とも素肌にタオルを巻いただけの、ほとんど裸同然の格好だった。

 堂々とした様子のリゼは、ともかくとして……『体が大きい』エレナはと言うと、小さな布からはみ出す胸を、腕で必死に隠そうとしている。


 二人の肌からは湯煙が昇り、直前までお風呂に入っていたことが伺えた。

 そして二人は、奥でシュンとした様子のギブリールを見つける。


「……ギブリール?」

『ううっ……リゼ、僕のことが見えるんだね……』

「……ええ。少しだけ、透けて見えるけど……」


 そしてどうやらエレナの方も、今のギブリールのことが見えているらしかった。

 これまで二人とも、ギブリールのことが見えていなかったのに……。

 

 そしてギブリールの方も、リゼたちに自分が見えていると知って、少しは気分が晴れたようで。


『はぁ……今まではリゼ達に見えていなかったんだから、これで一歩前進、なのかなぁ……』


 しかし――そう呟くギブリールには、どこか哀愁が漂っていた。

 そんなギブリールに僕はゆっくり近づくと、優しく頭を撫でる。


「……ほら、顔を上げて、ギブリール」

『……! トーヤくん……!』

「また体が戻ったら……ギブリールがしたい事なら、『何でも』してあげますから。だから――元気を出して下さい」

『な、何でも……!?』


 ギブリールは僕の言葉に、一転して興奮した様子で僕を見つめる。


「ええ、何でも、です」


 そう言って、僕はギブリールに頷く。

 ――ボカン! ギブリールの顔が、あっという間に真っ赤になる。


『えへへ……トーヤくんと、あんなことや、こんなこと……』


 そしてギブリールは、まるで恋する乙女のように――ウットリとした様子で、『妄想自分の世界』に耽り始める。


 ……えーっと。

 流石に『何でも』は言い過ぎちゃった気がするけれども…… 

 ……でも、それでギブリールが元気を出してくれたなら、それでいいか。


(……けど、問題はギブリールに何をお願いされるかだな……僕が出来る範囲のことならいいんだけど……)


 ワクワクした様子のギブリールを見ながら、僕は安請け合いしてしまったことを後悔しつつ。ちょっぴり不安になるのだった……。



  ◇



 …………。


 そして僕は宿の正門の前に立つと、『花の都亭』の建物を見上げるのだった。


 ――隣には、男装姿のレオとリゼ。

 そして僕の背後で浮かぶ、霊体のギブリールがいた。


 今はちょうど、スィーファさんが馬車の用意をしている所だった。 


 それにしても……この町では、本当に色々な事があった。


 


 『町の英雄』が出発するという事で、どこから聞きつけて来たのか、宿の周りには沢山の人々が押し寄せて来ていた。

 最初は一人、二人……と見かけるぐらいだったのが、今ではちょっとした人だかりができてしまっている。


 そして――どうやら、スィーファさんの準備が終わったようだ。

 僕たちはメイドのユリティアさんと共に、いつもの馬車へと乗り込む。


「……英雄、ですか……この状況、あまり居心地の良い物ではありませんね」

「けど……ユリティアさんだって、『この町を救った英雄』の一人じゃないですか? 誰も知らないでしょうけど……」

「……私は、自分の為に戦っただけですから」

 

 ……相変わらずユリティアさんは、素直じゃない人だ。

 そして僕たち三人は、馬車の中から町の人々に対し、笑顔で手を振る。


 町の人たちがこんな明るくいられるのは……結局、誰も死ななかったからだ。


 暗殺者の僕が、人を殺さずに感謝される……やはり、不思議な感覚だ。

 ……案外僕も、ユリティアさん側の人間なのかも知れない……。



 そして――遂に僕たちを乗せた馬車は、人だかりの中を走り始める。



 目指すは、陰謀渦巻く王都へ――





 ――『花の町』フロリア編 完


 To be contented ……

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