45.「一方その頃。暗殺者と天使少女、二人きりの寝室では――」

  ◇



 ……そして、そんなリゼとエレナがお風呂に入っている一方で。

 浴室の外、豪奢な宿の寝室では――トーヤが壁にもたれ掛かりながら、一人物思いに耽っていたのだった。


 窓から差し込む、きらめくような朝の日差し。

 時折窓の外から吹き込む、穏やかな風。

 そして、小さく揺れるカーテン……。


 そんな和やかな景色の中で、僕はまるでそこが定位置であるかのように、音もなく一人窓際にもたれ掛かる。


 ……つい無意識で『窓際』に立ってしまうのは、暗殺者時代の悪い癖だった。

 いつでも脱出出来るように、退路を確保する……別に今はそんなことは必要ないと頭で分かっているのに、叩き込まれた癖が、自然と体をそう動かしてしまう。



 ――そして、ギブリールはと言うと。

 そんな僕の横で俯きがちに、ちょこんと椅子に座りながら……時折様子を伺うように、こちらをチラチラと見てくるのだった。

 さっきまで、あんなにリゼ達とはしゃいでいたのに……二人きりになった途端、めっきりしおらしくなってしまったようだった。


 ――まるで、お互いタイミングを図っていたら、話し始めるキッカケが掴めなくなってしまったような……。

 


 窓の外では、何処から来たのか「チュンチュン」と小鳥のさえずる声が、やけに大きく聞こえてくるのだった。



  ◇



「…………」

「…………」



 ――そして、壁時計が刻々と時を刻んでいく中……

 僕は壁に凭れ掛かりながら、再び思索に耽り始める。


 …………。


 そう言えば今はリゼとエレナが入浴中な訳だけれども……どうやら僕も、二人の後で入った方が良さそうだ。


 さっきもギブリールに、『匂い』について言われたし……。

 痕跡を残して、スィーファさん達に勘付かれるのは何としても避けたい。


 特に、ユリティアさんには勘付かれたくなかった。

 単純に『怖い』というのもあるけれど(どんな小言を言われるか分かったものじゃない)……でも、どうしてだろう。ユリティアさんに対して、何処か後ろめたい気持ちがあるのも事実だった。


 それにスィーファさんだって、変に面白がられるのは間違いないだろう。

 特にエレナは、『男』という事になっているのだから……。



 …………。


 そして僕は、これからのことを考える。


 ついに『王都入り』、か……。


 ――リゼとエレナとの関係。

 ――ギルドから与えられた、王都での『暗殺依頼』。

 ――そして、『勇者としての責務』……。


 思えば僕は、いつの間にか色んなことを抱えてしまったものだ。


 ついに僕は、憧れの勇者になれる――そんな所まで来てしまっている。

 幼い頃から憧れていた、英雄譚……それは僕にとって、生きる支えでもあり――貧民街で先が見えない人生の中で、生きる希望でもあった。


 苦労、か……そんな言葉では片付けられない程の苦境の連続だった。

 僕がしてきたこと、それは『真っ当な努力』から、まるでかけ離れた物だった。


 けれど……そんな『生きるか死ぬかの瀬戸際』で得た力は、今でも僕の生き血となって僕の中で息づいている。

 

 僕はいつも、生き延びることに必死だった。

 そんな僕が必死になれたのは、『勇者』という希望があったからだ。


「…………」


 そして僕は視線を落とすと、右手に刻まれた聖痕を見つめる。

 縋るだけ希望でしかなかった『憧れ』は、いつしか現実となり。

 ついに僕は、手が届く所まで来ている。


 しかし……その前に、僕には果たすべきことがあった。


 それは僕にとって、暗殺者としての最後の仕事だ。

 荷物の中には、その為だけに用意してきた暗器の数々が仕舞われている。


 暗殺稼業は、もう足を洗ったつもりだったけれど……

 ギルドは僕にとって、『もう一人の親』のようなもの。そんなギルドからの頼みを、無下に断る訳にはいかない。


 ――自分でも、難儀な生き方だとは自覚している。けど……

 彼らに命を救われたのも、間違いない事実なのだ。


 最後の『親孝行』のつもりで、潔く受けるしかないだろう……。



 ……と、僕がそんなことを考えていた、その時。


 ――むぎゅー。唐突に僕の体を包み込む、柔らかい感触。

 

「っ、ギブリール……!?」

「えへへ……トーヤくんに抱きついちゃったっ♡ 難しいことばかり考えてたら、肩が凝っちゃうよ?」


 そう言ってギブリールは、僕の体にギュッと抱きついてくるのだった。

 ……けど、そんなに難しい顔をしていただろうか?


 そして至近距離で体を密着させる、ギブリールと僕だったのだが……


 ……やがてドクンドクンと、ギブリールの心臓の鼓動が伝わってくる。


 …………。

 見る見るうちに、ギブリールの顔が赤くなっていく。


「って、ボク、何してるんだろう……やっぱり、浮かれてるのかな……!」


 ギブリールは何やら急に恥ずかしくなったのか、バサッと慌てて離れる。

 見るからに視線は泳いでいるし、顔もカーッと赤く染まっている。


「……ぼぼぼ、ボクのこと、どう思う、かなっ?」

「えーっと……ギブリールのそういうところも可愛いなって。とっても魅力的で……可愛いらしい女の子だと思います」

「そ、そうかなっ? えへへ、だったら……そのことを、証明して欲しいな……」


 そう言ってギブリールは、僕の前でつま先立ちになると……まぶたを閉じる。



 

「…………」



 ……ギブリールと、二人の寝室にて。

 そこはまるで時が止まったように、静まり返っていたのだった……。

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