17.「女神さまのお家で、女神さまと少女の一幕」

 一方、その頃。

 女神さまの家の、一室にて……。


 そこは、こげ茶色の煉瓦レンガの壁に囲まれたキッチンだった。

 壁一面に置かれた棚の中には、籠いっぱいの色とりどりのお菓子が並んでいる。


 女神さまはエプロン姿で、「やっぱり、コレが良いかなー?」「でも、こっちも捨てきれないのよねー」と、珍しく真面目な顔で悩んでいたが、やがてパッと笑顔を浮かべると、両方のお菓子に手を伸ばした。


「ふんふふーん♪」


 女神さまは鼻歌混じりのご機嫌な様子で、お茶会の準備を続ける。

 そんな中……ふと後ろに気配を感じた女神さまは、背後に立つ"彼女"に向かって、声を掛ける。


「あらあら、人の家を勝手に歩き回ったりしてはいけませんよ? ふふっ、わたしは構いませんけどね」

「つまらない御託は要らないわ。私は、あなたに話があって来た」


 女神さまは振り返る。

 そこには、ピンク髪の少女――リゼが、ジッと女神わたしのことを見つめていた。

 女神さまは手を止めると、彼女に向かって言う。

 

「それで何の話ですか? 剣聖リーゼロッテ」

「私を呼び出した理由は何?」


 リゼは女神さまの瞳を見据えながら、静かに、問い詰めるような口調で言った。

 今までずっと、はぐらかされてきた『答え』を、直接確かめるために。



  ◇



 リゼに"その声"が聞こえるようになったのは、今から一年前のことだった。


 【剣聖】という力は、必ず周りの誰かを巻き込んで、傷つけてしまう。

 そのことを身を持って知ったリゼが、誰も巻き込まないようにと――街から街へ、旅する生活を続けていた、そんな時だった。


「リーゼ……ッテ……聞こえ……ますか……リーゼロッテ……」


 どこからともなく聞こえてくる、謎の声。

 いくら周りを見渡しても、声の主は見当たらない。


 そこは、自分だけの場所のはずだった。

 誰かの声なんて絶対に聞こえてくるはずがない。それなのに……。

 自分以外の誰かの声が、どこからか聞こえてきたのだ。


「なんなの、この声……? 私の頭に、直接響いてくる……」


 その声は、自分は"女神"だと名乗った。

 その声は、私のことを"始祖の生まれ変わり"だと言った。


「わたしがあなたを導きましょう……リーゼロッテ」


 自称女神の声が、語り掛けてくる。

 正直、大きなお世話だと思った。


「はっきり言うわ。迷惑だから、消えて」

「それは、出来ない相談ですねー。そんなこと言うなら、わたしは勝手にいていきます。あなたが、根負けするまで……」


 そして――その日から、謎の声との、奇妙な共同生活が始まった。


 朝起きてから、夜、寝るまで。日常生活のことから何まで、馴れ馴れしく余計なお節介ばかり焼いてくるその声と、淡々と無視を決め込むリゼ。

 干渉されるのが苦手な彼女にとって、その声は鬱陶しいことこの上なかった。


 思えば、少しムキになってしまったのかもしれない。

 相手は女神。私に厄介な【剣聖】の異能を押し付けた張本人。

 それが今更、私を導く? 勘弁して。そして、そっとしておいて欲しい。私はそう思っていたのだ。


 けれど……最初に出会ってから、ひと月が過ぎた頃。

 無視しても無視しても、めげずに声を掛けてくる自称女神の声に、リゼはとうとう根負けしてしまった。

 

「はあ……もう、いいわ。私の負けよ。あなたの言うこと、聞いてあげる」


 そしてリゼは、しぶしぶ女神さまの声に導かれて、遠路はるばるこの〈カルネアデスの塔〉までやって来たのだった。

 その理由すら、教えられることなく……。


「理由、理由かぁ……。ちょっぴり、難しい質問ですねー」


 リゼからぶつけられた問いに、「うーん……」と、女神さまは考え込む。

 そして、少しの間考えていたが……やがて自分の中の答えを見つけたように、優しい微笑みを浮かべると、口を開いて言った。


「しいて言うなら、【剣聖】の異能を持つあなたと一緒に、お茶を飲みたかったから、かな?」

「…………」


 リゼは女神さまの返答に、ジトっと呆れた目つきで、黙ってしまった。

 そしてリゼは、「はぁ……」と、大きなため息を付く。


「ふざけないで。迷惑だわ」

「ふざけてなんか、いませんよー。わたしは、リーゼロッテ、あなたに本当の意味で『勇者』になって欲しいんです」


 そう言って女神さまは、一歩、リゼの方へと歩み寄った。

 その顔は、女神さまにしては珍しく、真剣な表情をしていた。


「あなたは確かに、地上の誰よりも強いのかも知れません。けれど……あなたには、絶対的に足りないものがあります。それは、えにし


 そして女神さまは、なんでもまるっとお見通しという風に、リゼに微笑んだ。


「ふふっ、わたしは今まで、あなたのことをずっと見守っていたんですよ? だから、あなたが今まで、人を遠ざけて生きてきたことも知っています」

「……」


 女神さまの、まるで我が子を慈しむような微笑みを、リゼは複雑な表情で、黙って見つめていた。


 人と人とのえにし……。

 リゼにとって、それは得体の知れない不気味なもの――のはずだった。

 けれど、彼と出会ってから、そんな自分が変わっていくことを自覚していた。


 ――トーヤ・アーモンド。


 彼は今まで見てきた人間の、誰とも違う。そんな気がした。

 彼は必死に、私のことを追いかけてきてくれた。この塔で……今まで誰もついて来れなかった私に、彼は一人だけで追いついて見せた。


 きっと彼なら、どんな時も私に追いついてくれる。

 いつの間にか、私は彼に、そんな信頼感まで感じていた。


 私は、誰とも馴染めなかった。

 【剣聖】という異能は、私が望もうと望むまいと、私を『戦いの世界』へと引きずり込んでいく。

 平穏な日常という、ささやかな希望も奪われ――そして次第に、孤独という毒が私の心を蝕んでいく。

 

 そして……私はいくら親し気に話しかけられても、住む世界が違うんだと、どうしても一歩、距離を引くようになってしまった。


 けれど、トーヤ・アーモンド……彼は違った。

 私は、彼のことを何も知らない。なのに……彼にはどこか、自分と近しい物を感じずにはいられなかった。

 彼となら、一緒にいてもいい……。私は、そう思い始めている。



「どれだけ強い人間であっても、人は孤独には勝てません。人を繋ぎとめるもの……それが、縁です。わたしはあなたに、多くの人たちと交わって、成長して貰いたいんです。かつての始祖――ウィルヘルミナがそうであったように」

「……全く、余計なお世話だわ」


 そう言ってリゼは、ぷいっとそっぽを向く。そんなリゼに対し、女神さまはニコニコと笑顔を浮かべている。


「ふふっ、そんなこと言っても無駄ですよー。だって勇者さまに、その『余計なお世話』をするのが、女神わたしの使命なんですから」


 そう言って女神さまは、素直になれないリゼを、優しく見つめるのだった。

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