18.「女神さまのお茶会と、エリクシール」

 それから、少しして。

 ギブリールと僕は、特に言葉を交わすわけでもなく。リビングのソファーの上で、まったりとした時間を過ごしていた。


 いつの間にか隣に移動してきたギブリールは、しかし特に何かするわけでもなく、ただ僕の隣で顔を赤くして、押し黙っている。


 ちょっと、気まずい雰囲気になっちゃったな……。

 ギブリールはずっと黙ったままだし、僕は僕で、こういった女の子と接する経験が絶望的に足りなくて、何を話せばいいのか分からないという。


 そんな初々しい沈黙が続いたところに、家の奥から、女神さまとリゼが現れた。


「二人とも、お待たせー。お茶とお菓子の準備が出来ましたよー」


 女神さまはお菓子の皿を手に持ちながら、僕たちに向けて微笑む。

 その後ろでリゼが、僕に視線を向けていた。


「あれっ、リゼ、女神さまと一緒にいたんだ」

「……まあね」


 リゼは淡々と、そう答える。

 そう言えばリゼは、この塔の頂上に用があったんじゃなかったっけ。

 もしかしたら、女神さま関連の用事だったのかもしれない。


 しかし、それにしても……。お菓子の甘い香りが、僕の鼻腔をくすぐる。

 そしてすぐに、僕の興味は女神さまが持つお菓子に向けられていた。


 貧民街育ちの僕にとって、この手のお菓子は、まさに夢の食べ物だった。

 どんなに望んでも手が届かない、夢の世界の存在。

 今はある程度自由にお金を使えるようになったけれども、それでもやっぱり憧れというものは、昔と変わらない輝きを放ち続けるというもの。


 僕は、皿の上を覗き込む。

 うわっ、かなり美味しそう……!

 僕は息を飲んだ。カリッと揚げられた、小麦色のドーナツ。外のサクサク感と中のしっとりした味わい、その二つの食感が、そこには約束されている……。


 僕の目は、思わずドーナツに釘付けになってしまっていた。

 そんな僕の様子を見て、女神さまはお菓子の皿を机の上に置くと、ニコニコ笑顔で僕に告げる。


「ふふっ、まだまだいっぱいありますから、期待してて待っていてくださいねー」

「あっ、ボクも手伝います!」


 再び家の奥へ戻っていく女神さまに、ギブリールはそう言って付いて行く。

 そして僕とリゼは、リビングに二人っきりになった。


「それで、体の方は大丈夫?」


 そう言ってリゼは僕に近づくと、ソファーに腰かけ、僕の隣に座った。


 リゼとこんな至近距離に近づくのは、これで二度目……いや、三度目だったか。

 ただ、そのうちの一度は、女神さまの家の前で吐いていた僕を、リゼが背中をさすって介抱してくれたときのこと。

 その時はそれどころじゃなかったので、ノーカンとして……。

 女の子に殆ど免疫がない僕は、隣に座られただけで意識しっぱなしだった。


「うん……とりあえず、一応。そう言えば、リゼはしばらく居なかったけど、女神さまと何か話してたの?」

「……どうでもいいわ、そんなこと。それより、私と少しお話ししない?」


 そう言ってリゼは、更に僕との距離を詰めてくる。

 僕は正直驚いていた。そしてそんな僕を見て、リゼは僕にジト目を向けてきた。


「……何を驚いてるの」

「いや、その、リゼがそんなこと言い出すなんて、初めてだから……」

「……別に、ただの気まぐれよ。あなたの話が、少し聞きたくなっただけ」


 そんなリゼの変わりように僕は少し驚きながらも、リゼに促されるまま、僕はぽつぽつと話し始める。好きなこと、育ちのこと……そして、そんな僕の取り留めのない話を、リゼは隣で静かに聞いていたのだった。



  ◇



 そしてしばらく、リゼと二人で話をしていたのだけれど。

 その間に、ギブリールと女神さまの二人が、台車に乗せたお菓子の皿とティーポット、そして人数分のティーカップをリビングに運んできてくれた。


 テーブルの上に、色とりどりのお菓子が並べられる。

 そして、女神さまの手で、ティーカップにお茶が注がれ――お茶会が始まった。


 目の前には、美味しそうなお菓子と、淹れたてのお茶。

 それはまあ、いいとして……。

 問題なのは、なぜか僕は美少女二人に挟まれて座っている、ということだった。


 左にリゼ。右にギブリール。そして正面には女神さまが座っている。

 いやいや、普通に、女神さまの隣が空いてますから! ……と言うのは、きっと、野暮というものなのかもしれない。


 そんなこんなで、二人の美少女に挟まれて、僕は一人でドキドキしながら、僕はお菓子に手を伸ばす。

 僕が手に取ったのは、ふわふわサクサクの焼き菓子。

 美味しい……! 美味しいんだけれど……肝心の食欲が続かない。

 何しろ僕は、胃の中のものを吐き出したばかりなのだ。本当だったら、こんな美味しい物、十個どころか何個でも食べ続けられるのに……!


「こんなに沢山用意してもらって、申し訳ないんですけど……あまり、食欲がないと言うか……」


 僕は文字通り断腸の思いで、女神さまにそう言ったのだが……。

 女神さまはニコッと笑うと、ティーカップになみなみと注がれたお茶を一杯、こちらに寄こしてくれたのだった。


「ふふっ、大丈夫ですよ。まずは、これを飲んでみてください」


 どうやらこれは、僕だけに淹れてくれた、特別なお茶らしい。

 …………。

 何かおかしい。お茶って、こんな色してたっけ……?

 僕の目の前にあるそれは、お茶と言うよりも、銀色に光る流体金属のような見た目をしていた。

 これ、飲んで大丈夫なやつなんだろうか……? 

 助けを求めて女神さまに目を向けるが、女神さまはニコニコして、僕に何かを期待している様子だった。

 ええい、男は度胸だ! 僕は恐る恐る、口をつける。


「これは……!」


 ……美味しい。

 上手く言葉で表現できないけれど、香りが高いというか、上品な口当たりだ。

 色々、余計なものが入っているような気がしないでもないけれど、全体的には、普通の美味しいお茶……と言った感じがする。

 いや、やっぱりおかしいぞ……! 体の芯から温まってくる、この感じ……!

 今までの疲れが全部消えていく。そして、モリモリと食欲が湧いてくる。


「どうですー? 女神ちゃん特製、『霊薬エリクシールの煎じ茶』の効き目はー」

「凄いです! この、全身から疲れが飛んでいく感覚……! まるで、魔法みたいだ……!」

「ふふっ、でしょうー?」


 女神さまは、ニコニコと嬉しそうに僕の言葉を聞いていたのだった。


 しかし、しばらくして……。


 僕は一人、体をもじもじさせていた。

 ドクン、ドクン……。心臓が脈打ち、顔が火照ってくる。

 これはマズいな……。

 いや、美味しくないとか、そういう意味じゃなくて、その……。

 『下』の方まで元気になってしまった、というか……。


 あのお茶に、そういう効用・・・・・・があったとしか思えない。


 だとしたら、最悪の状況だ……!

 なにせ絶世の美少女が、それも二人も、肌が触れ合う距離にいるのだから。

 どうしても、僕の中の『男の子の部分』が反応してしまう。

 それに、正面に座る女神さまだって……今の僕には刺激的過ぎて、目のやり場に困ってしまう。


 白くてひらひらの布みたいな服を着ているけど、部屋着でもあるのか、かなり無防備な格好で……大きく開いた胸元から、チラリと豊かな双丘が覗いているし……

 これじゃあ、生殺しだ。

 これは、良くない。本当に良くない……!


「……どうかしたの?」

「? 何かしたの? トーヤくん」

「な、何でもないですよ!? それにしても、このクッキー、美味しいですねっ、あははは……」


 不審そうな眼を向けてくるリゼと、きょとんとするギブリールに対し、僕はそう言って、机の奥にあるクッキーの皿へと手を伸ばした。

 それしかないという、咄嗟の判断だった。それで自然な流れで前かがみになると、なんとかその異変・・を誤魔化すことに成功する。


 ふぅ……なんとか助かったけれど、まだまだピンチは続いている。

 こうなったら、とにかく食欲で誤魔化すしかない。


 耐えろ、耐えるんだっ……!

 そしてそれから僕は、ひたすら無心に、お菓子を食べ続けるのだった……。

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