其の七十五・とある修理屋の話(元桑669・狴犴)
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長年各国に占拠されていた
声の主は説明した。
「三百年前は、皆で獣に勝った!って達成感があったけど、今回は、どの国も自分のことで手一杯だったよね……」
子供はふうぅ~と長めのため息をついた。
そこが結構モチベーションに繋がる肝なんだよ。苦難を乗り越えて共通の敵に勝てたら、人々は誇りを胸に生活の再建を頑張れる。でも国同士の戦や内乱は違う。踏みにじられて、奪われて、訳が分からないまま焼け野原に立たされてやり直しをさせられる。それはとても残酷なことなんだ。
声の主は静かに語った。
じゃあ、とある修理屋のお話をしましょうか。
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長年悪い王様に支配されていた
民らは不満を抱え、反抗し、粛清され、絶望し、やがて口を噤んだ。荒れ狂う嵐が過ぎるのをただただ待ち続けるしかなかった。
夫を労役で失くした女がいた。彼女は三人の息子を連れて山に逃げ込み、そこで人目を忍んで暮らし続けた。
三人の息子は幼い頃からお利口で、山で薪を拾ったり、果物をとったり、と母親の手伝いを頑張った。
冷え込んで眠れない夜に、家族四人はいつも身を寄せ合って将来の夢を語った。
長男は料理人になって、美味しいものを腹いっぱい食べるのが夢だった。
次男は大工になって、暖かくて広い家を立てるのが夢だった。
三男は医者になって、いつも気苦労が絶えない母親の病気を治すのが夢だった。
母親はいつも微笑みながら息子たちの話に耳を傾けていた。きっといつか夢は叶うわ、と励ました。
やっと悪い王様が倒された頃には、子供らは大きくなり、母親は長年の苦労が祟って重い病におかされた。
兄弟らはなんとか母親の病気を治せないかと奔走したが、薬が高価でとても手が出そうになかった。母親は日に日に瘦せ衰えていき、床から身を起こすことすら叶わなくなった。
雨が降りしきるある日の夕方、一人の旅人が四人家族の住むあばら家の扉を叩き、雨宿りさせて欲しいと申し出た。
兄弟らは旅人を憐れみ、家の中に招き入れた。
無口な旅人は話しかけられてもほとんど答えず、ずぶぬれなのに顔を隠す頭巾を取らなかった。
この国には罪を着せられ、正体を隠して逃亡する訳ありの人が多く、兄弟らも敢えてそこには触れなかった。
しかし、旅人と夕食を共にする時、長男は気づいた。食器に伸ばされた旅人の手は驚くほど滑らかで、傷一つなかった。まるで生まれてから一度も働いことがないような手だった。
長男はそのことを弟たちに話し、旅人が寝入った隙に、こっそりその荷物を検めた。牛の糞の匂いがする古びた袋には、豪華な織物や金銀でできた装飾品がぎっしり詰め込まれていた。
三人はいかにも高価そうな品々を目の前に絶句し、互いの顔を見合わせた。
驚きの気持ちが、じわじわと怒りに変わった。
国の王様は民を苦しめるのが大好きな狂人だった。そのいかれた狂人にあもねり、忠実にその命を実行し、莫大な財産を懐に入れた官がたくさんいた。狂王が倒された後、罪の追及を逃れるために、官の多くは国を逃げ出した。無数の民の血と肉と引き換えに得た財産を抱えて。
旅人も、その高官の一人だった。
翌朝、三人は道案内をする振りをして、旅人を森の中に誘い込み、殺した。
死体を埋めた三人は、旅人の荷物について相談した。それらを売ればたくさんの金になり、年老いた母親の病を治すのも不可能じゃないかもしれない。
彼らは旅人の荷物を整理した。玉の彫り物を砕き、金銀の飾り物をする潰した。形が変われば元の持ち主も分からない。売れそうな布は残したが、貴族が着る衣服は全て燃やした。
三人は家に帰り、母親の病床の前では何事もなかったかのように振舞った。
次の日の朝、お宝を金に変えて、母親の病気を治す薬を買おう――
そう思っていたのに、翌朝、母親がすでに息を引き取った。
三人兄弟は手に入れた莫大な財産を平等に分け合い、それぞれ違う道へ進んだ。
長男は調理人にはならなかった。彼は商人になって、どんな美味しいものも好きなだけ食べられるようになった。
次男は大工にはならなかった。彼は地主になって、たくさんの大工を雇って豪邸を作らせた。
三男は医者にはならなかった。彼は修理屋を開いて、壊れものをひたすら修理する仕事を続けた。
長男と次男は大金持ちになって、贅沢三昧の日々を送るようになり、質素な生活を続ける三男と疎遠になっていた。
時が過ぎ、自分たちの母親がなくなった年齢に近付くと、長男と次男はだんだん悪夢にうなされることが多くなり、体調が悪くなっていった。
次男は昔母親や兄弟と共に過ごした山を買い取り、長男は旅人を埋めた場所に墓場を立てた。身寄りのない死者を分け隔てなく受け入れ、丁重に弔う彼らを、人々は心根の優しいお方だと称賛した。
本当の理由は、三人の兄弟にしか知らなかった。
過去の亡霊が追いかけてくるんだ、逃げても逃げても逃げきれない――
長男と次男はまた三男と会うようになり、心中の苦悩を打ち明けた。
修理屋の三男は、旅人を殺したことを後悔したことは一度もなかった。
なのになぜか、旅人の荷物を処分した時の光景がずっと忘れられなかった。
砕かれる玉が処刑を待つ囚人に見え、すりつぶした金銀は無様に晒された死骸に見え、燃やされた服の爆ぜく音が断末魔に思えた。
それらがまぶたに焼き付いて離れず、気付けば彼は修理屋になっていた。
ひび割れを修繕し、歪みを正し、ほつれを縫い合わせることで、過去の無念もいつか直せるかもしれないと、ずっと願っていたのかもしれない。
二人の兄も、一足遅いが、同じ気持ちになったのではなかろうか。
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狴犴の国があそこまで傾いたのは、何も絶対的な権威を持っていた一人の王様のせいだけではない、彼を追随し、模倣し、彼以上に残酷な手段で国民を苦しめた官たちが大勢いて、いちいち断罪してたら国を運営する人がいなるなるほどにね。だから王が倒れて、一部の官が逃げ出し、もっと多くの官は自分の罪を王になするつけて、王宮の中にい続けた。民もそれに薄々気付いて、余計憎悪の感情が強くなっていた。権力機関の自浄作用を取り戻すには、まだまだ時間がかかるだろう――
声の主は締めくくった。
「このお話って、修理屋のお話なのよね?もしかして、旅人を殺して盗んだお宝でお母さんの病気を治す薬を買おうと思っていたのも、彼だけだった?」
子供は聞いた。
それは――
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旅人を殺した日の夜、三男は物音で目が覚めた。
二人の兄が、自分に気付かれないように低い声で口論していた。
おふくろはもう長くない。薬を飲ませたところで無駄だ。
もうろくに起き上がれやしないぞ、これ以上苦しませてどうする。
弟はおふくろに一番懐いてる、自分を犠牲にしてても治すって言い張るぞ。
金だって無限じゃない。
やがて口論の声が止み、二つの人影が母親の体に覆いかぶさるのが見えた。
追いかけてくる過去の亡霊は、誰だった?
修理屋はとうとうその質問を兄たちにぶつけることはなかった。
あの夜身を固くして、涙を流しながらも声一つ上げられなかった自分も、所詮はただの共犯者に過ぎなかったのだから。
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