其の七十二・とある潜入者の話(元桑659・覇下)

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「雷の国の王様の力を封じる時、騒動があったって話だったけど、復讐者の女の人はこっそり行動してたから騒ぎにはなってないし……それ以外に何か大変なことが起きたってこと?」

 子供は聞いた。

 その通り。国々のお宝をかき集めて、いざ魂剝がしの儀式に望むと、なんと、導きの杖が真っ二つに折れてしまったのだ。狂王の力が強過ぎて器に入りきれないから、儀式も中断してしまった。

 声の主は補足した。

「……それって、めちゃくちゃ大変な事じゃん!国宝が壊されたんだよ、そんなすごい力を、どうやって封じるのさ⁉他の国だってまだ魂剝がしをしてない王族がたくさんいるのにっ」

 じゃあ、とある潜入者のお話をしましょうか。

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 その昔、人喰いの獣が地下の世界から這い出し、人々の国を蹂躙した。奴らは捉えた人間を使役し、獣が我が物顔で跋扈する歪な町まで築いた。

 やがて果てしない戦は人間側の勝利で幕を閉じ、獣たちは町を捨てて再び地下へ逃げ帰った。獣がいなくなっても人々に恐れられた町はうち捨てられ、廃墟と化した。

 いつの間にか、そんな獣の町の廃墟にまつわる怖い噂が囁かれるようになった。

 獣の街の廃墟は獣らが棲む常夜の世界に繋がっている。一度入り込めば二度と出られず、骨すら残らず食い尽くされる――

 その噂を裏付けるかのように、近隣の土地に住む人は時折消え、誰一人と戻らなかった。


 義侠心の強い男がいた。彼は廃墟の噂を聞き、そこに巣くう獣を倒し、人々を助けなければならないと決意した。

 男は人目を忍んで廃墟に入り、獣に繋がる足掛かりを探した。町の廃墟は広い上に入り込んでおり、探索しているうちに日が沈んだ。

 周りがよく見えないせいで、男は建物の床に開いた穴に気付かずに落ちてしまい、その衝撃で気を失った。

 再び目を覚ましたのは、小綺麗な寝台の上だった。そこは大きな城の一室で、使用人らしき老女が、男に服と温かい食べ物を渡し、彼の体を気遣う言葉をかけた。

 町の廃墟にもその周辺にもこんな大きく立派な城はなかったはずなのに、と男は訝ったが、すぐに廃墟にまつわる噂を思い出した。この城はもしや、獣らが棲む常夜の世界の物ではないだろうか。

 真実を探るために、男は足が折れたふりをして、治るまで城の中にいてもいいとの許しを得た。


 男は怪我人のふりをして、潜入捜査を開始した。

 広い城には沢山の部屋があるが、どこも薄く埃をかぶっていた。扉は辛うじて通れるほど小さく、窓はどれも異様に高い所にあった。まるで人を監禁するためにあるような場所だった。

 城の中に住んでいる人々も、誰も彼も様子がおかしかった。老いてろくに身動きできない老人や、病気で皮膚が爛れた子供、手や足が欠けた男女。まるで重い怪我人や病人ばかりかき集めているようだった。

 男は城で生活している人らに出自を聞いてみたが、何故か皆嫌がって質問を避けた。諦めて城主の話を振ってみたら、皆打って変って明るい表情を見せた。

 その人たちの話によると、彼らはみなこの城の主に助けられ、ここに住まわせてもらっているらしい。

 だが城主はそう簡単に目にかかれる方ではない。年老いた城主は足腰が悪く、ほとんど自室から出てこず、選ばれた人しかその部屋には入れないという。

 口を揃えて城主を讃える人々は目が爛々と輝き、まるで何かに魅入られたようであった。


 男は城主に近付き、その正体を探ろうと画策した。

 城の最上階にある城主の部屋は常に見張りが立っているため、彼は露台から外に出て、部屋の窓を通して中を覗き込んだ。

 男は見た。

 おぼつかない足取りで寝台へ近付いた老人の腕を、寝台に座っている何者かが手に取り、口元へ寄せた。老人は身震いしながら目を閉じ、恍惚とした表情を浮かべ、床へ崩れ落ちた。

 その次は顔の爛れた子供が首を差し出し、その者は子供の首元へ顔をうずめた。

 その次は担架で運び込まれた男、次は腹を抑えて苦しむ女……


 そいつは血を吸っている――

 男は背筋が凍った。血を糧とする生物なんて、人喰いの獣しかいない。

 吸血された人たちは恐らく城主をかたる獣に洗脳されている。年老いて健常者を狩れなくなった獣が弱い者を連れ去り、食料として飼い馴らしている。なんて卑劣で狡猾な!

 男の胸から怒りがふつふつ沸きあがった。

 なんとか獣を殺し、人々を助け出さなければならないが、強引な手段を取ると、獣のそばの洗脳された人たちを傷つけかねない。誰にも気取られずに城主を仕留めなければならない。


 その日の朝、男は突然倒れた。口から泡を吹き、手足の痙攣が止まらなかった。周りの人らは驚き、急いで城主に報告した。

 重病人しか会わない城主の元へ、もだえ苦しむ男が担ぎ込まれた。

 激痛で朦朧とする男の目は、初めて間近から城主の姿を捉えた。彼の腕を取った手の指の間は薄い膜で繋がっていた。

 人間に化けた、蝙蝠の化け物がっ――

 男は獣が彼の血を吸い上げているのを感じ、心の中で冷たく嗤った。


 男は武器のほかに、色々な毒を持ち歩いていた。

 血液に溶け込み、三日三晩苦痛を与えた後、目鼻から血を噴出させ、死に至らしめる劇毒を選び、彼はそれをあおいだ。

 危険な賭けだ。血を糧とする獣には血に混ざる毒が一番効く。年老いた獣が毒殺されれば、そのうち洗脳も解けるだろう。

 解毒剤をなくしたのは残念だが、皆を助けられるなら、この命も惜しくない――

 男は意識を手放した。


 どれくらいの時間が経ったか。昏睡から覚めた男は、自分をのぞき込む獣と目が合った。まずは獣が死んでいないことにがっかりし、次は自分が死んでいないことに愕然とした。

 毒はもう抜けたかい?

 男の耳に届く声はやさしく、穏やかなものだった。

 血を吸う獣の体質は、人と少々異なっていた。病気や毒などで濁った血を吸えば、防御機能が働き、体内でそれに対抗する薬の成分が生成される。その血を再び人に分け与えれば、病や毒を癒すことができる。

 老いた獣の目鼻に、拭いきれない血の跡がついていた。獣もまた毒に苦しめられ、生死をさまよっていたと分かり、男はかける言葉を失った。


 男の無言を失意と解釈したのは、獣は彼を励ました。

 絶望しないで欲しい。誰かに死を望まれてここに来たとしても、私は君の生を望む。生きていいんだ。いつか日の当たる地上の世界に戻りたくなったら送り返そう、それまでは、ここで養生するがいい。


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 潜入捜査を敢行した男はその後地上へ戻り、胆力と義侠心を買われ、「奉還隊」の一員となった。狂王の力の封印に失敗した際、彼から提案があった。人の力でどうにもならないなら、獣の力も合わせてみてはどうだろうと。そして人と獣は、六百年もの憎しみ合いの歴史を越え、初めて談合の席に着いた――

 声の主は締めくくった。

「この蝙蝠って、あの協力者のお話に出てた蝙蝠の子孫かな?協力者の蝙蝠は地下に戻るのをあんなに嫌がってたのに、結局子孫たちは帰ってたんだね……」

 悔しかったろうね、と子供はため息をついた。

 あいつらも十分すぎるほど頑張ったさ。人と共に生きる約束を、何百年にわたって守り続けてきたから、交渉のテーブルに着けたんだ。

 声の主は述べた。

「獣の世界に通じる廃墟を姥捨て山のように使う人なんか、獣と話し合う資格なんかないよ」

 子供はむすっとそっぽを向いた。

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