其の六十四・とある引率者の話(元桑654・螭吻)
声の主は振り返りながら説明した。
「狻猊の国もやるよね、同時に負屓と螭吻の、二つの国に戦を吹っ掛けるなんて」
積年の恨みってすごいよ、と子供はやれやれと肩をすくめた。
狻猊の国はその時、人材にも技術にも恵まれた大陸一の大国で、軍事力も睚眦の国を除けばピカいちだったから、戦の初期は二つの国を相手にしてもまだ余裕があった。
じゃあ、とある引率者のお話をしましょうか。
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先生!先生――!
まだ幼い子供は、声を張り上げながらパタパタと男の所へ走ってきた。その手には、片翼の折れた小鳥が震えていた。
この子、壊れて飛べないの、直る?
心配そうに尋ねてくる子供の頭を撫で、彼は答えた。
――壊れたじゃなくて、怪我をしただけ。先生が治すよ。
男に手当てされた鳥は、すぐに元気になり、空へ飛んでいった。
先生はすごいよ!動かなくなってもすぐに治せるんだね!
子供は手を叩いて喜び、男もつられて優しく笑んだ。
国々には、神の力を身に宿す人がいる。大きな力を持つ人ほど体にあざが現れ、激しい苦痛に苛まれることが多い。体の不調から暴虐な性格になり、貴族や王様が民を苦しめることもよくあった。
水の国の神の力を受け継いだ男も、かつてひどい苦痛に悩まされていたが、医学の研究を続け、苦しみを緩和できる薬を作り出した。
彼は水の国の辺境に小さな孤児院を開き、身寄りのないあざ持ちの子供らを育てた。
薬を調合するだけでなく、あざ持ちの人は冷血で残虐だという偏見に負けず、男は子供らが優しい人間になれるよう教育し、力の隠し方を教えた。
虎が牙を見せると、みんな怖がるだろ?仲良くしようね。
いつも男の優しさに触れている子供らは、みな利口で優しいいい子に育った。
ある日突然、戦が始まった。火の国から軍隊が町や村に押し入り、人々の生活をめちゃくちゃにした。
子供らの安全を心配した男は、国々を巡る商隊に大金を払って、孤児院の子供ら十数人を率いて、よその国へ逃げることにした。
旅は火の国を通って行く必要があるが、戦の最中である火の国は出入りの検問が非常に厳しいと言われている。子供たちがあざ持ちであることがばれたら、兵力の補充に連れ去られ、使い潰されてしまうかもしれない。
男は子供らに多めに力を抑える薬を飲ませ、どんなことがあっても、普通の人間のふりを続けてねと念押しした。
一人ずつこの山の洞窟を通っていけ、通り抜ければ我が国の領土に入る――
商隊からたんまり金をもらったのか、火の国の国境の検問官は、何も聞かずに、背後の道を指し示した。
大丈夫、先生が先に向こうで待っているから、みんなも一人ずつおいで――
男は子供らを励まし、引率者として先に洞窟に入っていった。
薄暗い洞窟だったが、しばらく進むと、不思議な花畑が広がっていた。
光の差さない山の中で、淡い光を放つ花畑は、まるで道標のように見えた。こんなきれいで珍しい花を見たら、子供らも喜ぶだろうな、と男は微笑ましく思いながら、洞窟を通り抜けた。
男は待ち続けた。しかしいくら待っても、誰一人出てこなかった。
やがて物音がし、洞窟から顔を出したのは、入る前に会った検問官だった。
なんだ、今回のあざ持ちは一人しかいなかったのか――
検問官はため息をついた。
洞窟の中の花畑は、陽の光の代わりに、生き物の血を吸って成長する特殊なものだった。その花に対抗できるのは、神の加護を戴くあざ持ちの力だけで、普通の人はあっという間に血を抜かれて死んでしまう。
種明かしした検問官は、酷薄そうな笑みを浮かべて言った、
――こっちだって戦で大変なんだ、普通の人間を国に入れる余裕はない。これが一番公平で楽な選択方法だ。
男は洞窟の中へ駆け戻った。
一人、また一人と、銀色の花に埋もれるように倒れた子供らを見つけた。
一人、また一人と抱き起し、その名を呼んだ。
一人、また一人と確かめても、目を開ける者はいなかった。
力を抑える薬さえ飲ませなければ。
花畑に入った瞬間の違和感に気付けば。
戻るのがもう少し早ければ。
どんなに悔いてもすでに遅かった。
≪先生はすごいよ!動かなくなってもすぐに治せるんだね!≫
子供の声が男の耳元に蘇った。
戦の中じゃ、どうせ子供なんか生き延びれない、お前は力が強そうだから、我が国のために働かないか?
くどくどと喋る検問官の胸を、男は一閃で引き裂い、素手で心臓を繰り抜いた。
今度は子供の一人の胸を開き、動かなくなった心臓と、手のひらで鼓動するそれとを入れ替えた。
傷を縫合して癒した子供は、彼の呼びかけに応じて、虚ろな目を開いた。
さあ、みんなの分も取って来なきゃね。全員、先生が治すからね――
男は引率者らしく子供の手を引き、優しく微笑みかけた。
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男は一度花畑で殺された子供らを生きながらえさせるために、心臓を集めた。体が生き返っても、魂は呼び戻せないと分かっていながら、それを繰り返した。後に、彼は清澄の雫が融合された剣――水龍剣と呼ぼうか――を手に入れ、その無類な力で死体を群れで操り、火の国を地獄へと変貌させた。
声の主は締めくくった。
「あの鍛冶屋が死んだら、誰も月光花の秘密は知らないと思ってたけど、とっくに広がっちゃってたか……」
月光花の秘密をばらしたのは、鍛冶屋に復讐した日陰者だった。彼女は月光花の粉は鍛冶に使えることは隠し、血を吸う性質だけ狻猊の国の役人に教えた。彼らは私利私欲のためなら人を殺すことにも躊躇わないと知りながら、と声の主は淡々と補足した。
「牙を隠した虎を猫と勘違いするから、喉を嚙み千切られるんだ」
牙を持つのは、自分だけじゃないのにね、子供は声を沈ませた。
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