其の六十三・とある船員の話(元桑656・嘲風)
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失われた
声の主は振り返りながら話した。
「五年以内に剣が返されなかったら、狻猊の国は負屓の国を滅ぼすんだよね?神様を連れて帰るのに間に合うかな…」
子供は首を傾げながら聞いた。
螭吻の国は、ずっと前から縁深い嘲風の神を探していて、大きな船を作っては、海の向こうへ人を派遣していた。
じゃあ、とある船員のお話をしましょうか。
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その昔、刀鍛冶の職人が炎の国のお宝――龍のウロコから作られた双剣――の片割れを盗んだ。長年隠されてきた事実が発覚し、炎の国の女王は激怒した。
五年以内に剣を返さなければ、職人の生国に復讐する、と女王は宣言した。
職人の生国には守護神はいない。命の危機を感じた多くの人らは五年も待たず国から逃げ出した。
炎の国の報復に恐れ、隣国である水の国に逃げ込んだ一人の青年がいた。ちょうどその頃、水の国では、海を渡る船員を募っていた。
失われた神様を見つけ出すために、海の向こうへ行く仲間を探している。かの神は、永遠の命を持っている不老不死の神様で、体のどこかに黒い紋様がある。無事見つけ出した者には、欲しいものは何でも与えよう――
行く当てのない青年は、危険を承知で船員になった。
幾月も荒波にもまれ、神ささを探す旅に出た一行は、幸運にも陸地にたどり着いた。
青年らの知らないこの土地は、仙人たちが住む国があった。
「仙」というのは、神様とは違い、人が己を律し、鍛え続けて辿り着ける境地で、普通の人よりも寿命が長く、病気になりにくい。極地へ至れば、不老不死の仙人にもなり得る。
不老不死の神様はそれら仙人の中にいるに違いない、と船の人々は大いに喜んだ。
神様を見分ける手がかりは、体のどこかにある黒い紋様しかない。一番先に神様を見つけ出し、莫大な褒美を独り占めしたいと血眼になった船員らは、仙人を見つけては、問答無用に服をはぎ取って体をあらためた。
仙の長を捕らえて、弟子たちを脅迫して一網打尽にする人がいた。
残忍な拷問で仙になる秘訣を問いただそうとする人がいた。
紋様が入っていなくても、美しい女を慰み物に、老人や子供を下僕にする人がいた。
仙の国は戦もなく、平和で優しい人々が住んでおり、乱暴な異邦人たちに抵抗することも叶わず、瞬く間に恐慌に陥れられた。
無力な青年は悪行に走る仲間たちを止められず、身の回りに起きた出来事は全て悪夢のように思えた。
とある村で、青年は赤子を見つけた。
その村は異邦人たちに抵抗しようと試みて返り討ちに遭い、全員殺され、唯一生き残った赤子も、体をあらためるためにおくるみを外され、裸で冬風に震えていた。
赤子を抱え上げた青年は、仲間たちと袂を分かつ決意をした。
もう故国に戻ることはないだろう、と腹を括った青年は、山奥に隠れ住み、赤子の世話をした。
泣くことがほとんどなく、不思議な雰囲気をまとった女児だった。
肌が雪原のように白く、髪の毛や瞳まで一点の曇りのない白であるゆえ、青年は彼女に「
白仙子はすくすく育ち、髪もぐんぐん伸びていき、ある時期を境に、真っ白い髪に、黒い髪の毛が生えてくるようになった。
白と黒が混ざる髪は故国では見たことがないが、女児は元気に育っているので、青年はあまり気にすることはなかった。
白仙子が庭を走り回れるようになった頃、彼女の髪はすでに足首まで伸びていた。うっかり踏んでしまわないように、青年はいつも彼女の髪を結い上げてやっていた。
ある日、二人で川へ魚を捕りに行く途中、青年の前をはしゃいで歩いた白仙子は、小石に躓いて転んだ。その拍子に髪は解け、水のように流れ落ち、うつぶせた彼女の背中に扇状に広がった。
青年は足を止めた。白黒入り混じる髪がなしているの紋様は、船長から伝えられたものとそっくりだった。
こんな幼子が神様だなんて、到底信じられなかったが、青年は故郷に残してきた家族たちのことを思い出した。
彼が国を飛び出した時、身重の姉は故郷に留まっていた。もし彼が白仙子を船長に渡せば、炎の国が攻め込む前に、姉やほかの家族たちを助け出せるかもしれない。
自分は違う大陸から来た人で、故郷にはもう一度会いたい家族もいる、と青年は白仙子に打ち明けた。
おうちに帰りたいの?
白仙子は首を傾げながら聞き返した。青年がこくりと頷くと、
じゃあ私も一緒に帰る。あなたのそばが私のおうちだから。
幼子は無邪気な笑顔を見せた。
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嘲風の神はたしかに不死の神だけど、歳を取らない訳ではない。かの神は人と同じように生まれては成長し、成人して年を取って死ぬ。ただ死んだらまた赤ちゃんになり、その過程は永遠に繰り返される。嘲風が持つお宝は、不死の髪飾りと伝えられているけど、それは恐らく何かしらの誤伝で、彼女の髪こそ神の力を宿している宝なのかもしれない――
声の主は締めくくった。
「死んでは生まれ直すのかぁ、まるでフェニックスみたいだね。でも子供の白仙子に、清澄の雫と龍のウロコの剣を分ける力があるのかな?」
子供は首を傾げながら質問した。
嘲風の神は、生まれ直す度に前世の記憶を忘れてしまうけど、知識だけは蓄積されているので、彼女が思い出しさえすればできるでしょうね。
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故郷の家族たちを救える――
青年は期待を胸いっぱいに膨らませていたが、船に戻って船長に告げられた言葉に再び打ちのめされた。
炎の国の女王が宣告した復讐の刻限から、すでに二年が経過した。
君の望みはできる限り叶えよう――
船長は彼に約束したが、同情の眼差しは、ご家族が生きていればの話だが、と言下に語るようであった。
これからどう生きて行こう、白仙子と共に水の国で暮らすだろうか――
ぼんやり考える青年の視界に、水の国の港が入ってきた。彼らの船旅はもうじき終わる。
夜中であるにもかかわらず、港がはっきり見えたのは、街を焼き尽くす炎に照らされているからだった。
狼煙と硝煙と雄叫びと殺戮と悲鳴と血しぶき。
水の国は戦の真っただ中にいた。
船長、大変です。我らが失われた炎の国の剣を持っていることがばれて、炎の国は我が国にも軍を差し向けました!
伝令兵の叫びが青年の耳に届いた。
そんなバカな!全員武器を取れ、敵に船まで近づけさせるな‼
船長は命令しながら剣を抜いた。
堅氷のように冷ややかで、水のように透き通る宝剣――炎の剣と対をなす片割れの剣であった。
皆の者よ、命がけで不死の神様をまもっ
船長の言葉は最後まで続かず、背後から心臓を刺し貫かれた体はくずおれた。
小刀を船長に刺した青年は、彼の死体を見下ろした。
出航した時は、まだ時間があった。
海の向こうへたどり着いた時、まだ姉は生きていた。
あの時に剣を差し出せば、海のこっち側もあっち側も、たくさん死なずに済んだはずだ。
青年の血まみれの手をぎゅっと握る小さな手があった。
ねえ、寒いの?震えているよ?
白仙子の手を握り返し、青年は跪いて慟哭した。
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