其の六十三・とある船員の話(元桑656・嘲風)

**************************************

 失われた狻猊さんげいの国宝である双剣の片割れには、螭吻ちふんの宝の力が融合されていた。ではこの剣は狻猊のものか、螭吻のものか。内情を知る者たちは剣を手がかりに、失われた最後のひと柱の守護神――不死の神嘲風ちょうふうを探しに海へ出た。

 声の主は振り返りながら話した。

「五年以内に剣が返されなかったら、狻猊の国は負屓の国を滅ぼすんだよね?神様を連れて帰るのに間に合うかな…」

 子供は首を傾げながら聞いた。

 螭吻の国は、ずっと前から縁深い嘲風の神を探していて、大きな船を作っては、海の向こうへ人を派遣していた。

 じゃあ、とある船員のお話をしましょうか。

**************************************


 その昔、刀鍛冶の職人が炎の国のお宝――龍のウロコから作られた双剣――の片割れを盗んだ。長年隠されてきた事実が発覚し、炎の国の女王は激怒した。

 五年以内に剣を返さなければ、職人の生国に復讐する、と女王は宣言した。

 職人の生国には守護神はいない。命の危機を感じた多くの人らは五年も待たず国から逃げ出した。

 炎の国の報復に恐れ、隣国である水の国に逃げ込んだ一人の青年がいた。ちょうどその頃、水の国では、海を渡る船員を募っていた。

 失われた神様を見つけ出すために、海の向こうへ行く仲間を探している。かの神は、永遠の命を持っている不老不死の神様で、体のどこかに黒い紋様がある。無事見つけ出した者には、欲しいものは何でも与えよう――

 行く当てのない青年は、危険を承知で船員になった。

 幾月も荒波にもまれ、神ささを探す旅に出た一行は、幸運にも陸地にたどり着いた。

 青年らの知らないこの土地は、仙人たちが住む国があった。

「仙」というのは、神様とは違い、人が己を律し、鍛え続けて辿り着ける境地で、普通の人よりも寿命が長く、病気になりにくい。極地へ至れば、不老不死の仙人にもなり得る。

 不老不死の神様はそれら仙人の中にいるに違いない、と船の人々は大いに喜んだ。

 神様を見分ける手がかりは、体のどこかにある黒い紋様しかない。一番先に神様を見つけ出し、莫大な褒美を独り占めしたいと血眼になった船員らは、仙人を見つけては、問答無用に服をはぎ取って体をあらためた。

 仙の長を捕らえて、弟子たちを脅迫して一網打尽にする人がいた。

 残忍な拷問で仙になる秘訣を問いただそうとする人がいた。

 紋様が入っていなくても、美しい女を慰み物に、老人や子供を下僕にする人がいた。

 仙の国は戦もなく、平和で優しい人々が住んでおり、乱暴な異邦人たちに抵抗することも叶わず、瞬く間に恐慌に陥れられた。

 無力な青年は悪行に走る仲間たちを止められず、身の回りに起きた出来事は全て悪夢のように思えた。

 とある村で、青年は赤子を見つけた。

 その村は異邦人たちに抵抗しようと試みて返り討ちに遭い、全員殺され、唯一生き残った赤子も、体をあらためるためにおくるみを外され、裸で冬風に震えていた。

 赤子を抱え上げた青年は、仲間たちと袂を分かつ決意をした。


 もう故国に戻ることはないだろう、と腹を括った青年は、山奥に隠れ住み、赤子の世話をした。

 泣くことがほとんどなく、不思議な雰囲気をまとった女児だった。

 肌が雪原のように白く、髪の毛や瞳まで一点の曇りのない白であるゆえ、青年は彼女に「白仙子はくせんし」という名を付けた。

 白仙子はすくすく育ち、髪もぐんぐん伸びていき、ある時期を境に、真っ白い髪に、黒い髪の毛が生えてくるようになった。

 白と黒が混ざる髪は故国では見たことがないが、女児は元気に育っているので、青年はあまり気にすることはなかった。

 白仙子が庭を走り回れるようになった頃、彼女の髪はすでに足首まで伸びていた。うっかり踏んでしまわないように、青年はいつも彼女の髪を結い上げてやっていた。

 ある日、二人で川へ魚を捕りに行く途中、青年の前をはしゃいで歩いた白仙子は、小石に躓いて転んだ。その拍子に髪は解け、水のように流れ落ち、うつぶせた彼女の背中に扇状に広がった。

 青年は足を止めた。白黒入り混じる髪がなしているの紋様は、船長から伝えられたものとそっくりだった。


 こんな幼子が神様だなんて、到底信じられなかったが、青年は故郷に残してきた家族たちのことを思い出した。

 彼が国を飛び出した時、身重の姉は故郷に留まっていた。もし彼が白仙子を船長に渡せば、炎の国が攻め込む前に、姉やほかの家族たちを助け出せるかもしれない。

 自分は違う大陸から来た人で、故郷にはもう一度会いたい家族もいる、と青年は白仙子に打ち明けた。

 おうちに帰りたいの?

 白仙子は首を傾げながら聞き返した。青年がこくりと頷くと、

 じゃあ私も一緒に帰る。あなたのそばが私のおうちだから。

 幼子は無邪気な笑顔を見せた。


**************************************

 嘲風の神はたしかに不死の神だけど、歳を取らない訳ではない。かの神は人と同じように生まれては成長し、成人して年を取って死ぬ。ただ死んだらまた赤ちゃんになり、その過程は永遠に繰り返される。嘲風が持つお宝は、不死の髪飾りと伝えられているけど、それは恐らく何かしらの誤伝で、彼女の髪こそ神の力を宿している宝なのかもしれない――

 声の主は締めくくった。

「死んでは生まれ直すのかぁ、まるでフェニックスみたいだね。でも子供の白仙子に、清澄の雫と龍のウロコの剣を分ける力があるのかな?」

 子供は首を傾げながら質問した。

 嘲風の神は、生まれ直す度に前世の記憶を忘れてしまうけど、知識だけは蓄積されているので、彼女ができるでしょうね。

**************************************


 故郷の家族たちを救える――

 青年は期待を胸いっぱいに膨らませていたが、船に戻って船長に告げられた言葉に再び打ちのめされた。

 炎の国の女王が宣告した復讐の刻限から、すでに二年が経過した。

 君の望みはできる限り叶えよう――

 船長は彼に約束したが、同情の眼差しは、ご家族が生きていればの話だが、と言下に語るようであった。

 

 これからどう生きて行こう、白仙子と共に水の国で暮らすだろうか――

 ぼんやり考える青年の視界に、水の国の港が入ってきた。彼らの船旅はもうじき終わる。

 夜中であるにもかかわらず、港がはっきり見えたのは、街を焼き尽くす炎に照らされているからだった。

 狼煙と硝煙と雄叫びと殺戮と悲鳴と血しぶき。

 水の国は戦の真っただ中にいた。


 船長、大変です。我らが失われた炎の国の剣を持っていることがばれて、炎の国は我が国にも軍を差し向けました!

 伝令兵の叫びが青年の耳に届いた。


 そんなバカな!全員武器を取れ、敵に船まで近づけさせるな‼

 船長は命令しながら剣を抜いた。

 堅氷のように冷ややかで、水のように透き通る宝剣――炎の剣と対をなす片割れの剣であった。

 

 皆の者よ、命がけで不死の神様をまもっ

 船長の言葉は最後まで続かず、背後から心臓を刺し貫かれた体はくずおれた。

 小刀を船長に刺した青年は、彼の死体を見下ろした。


 出航した時は、まだ時間があった。

 海の向こうへたどり着いた時、まだ姉は生きていた。

 あの時に剣を差し出せば、海のこっち側もあっち側も、たくさん死なずに済んだはずだ。


 青年の血まみれの手をぎゅっと握る小さな手があった。

 ねえ、寒いの?震えているよ?

 白仙子の手を握り返し、青年は跪いて慟哭した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る