其の六十一・とある祭司の話(元桑652・囚牛)
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仲良しだった
声の主は振り返りながらまとめた。
「獣との戦を終わらせた時から、みな好き勝手にやってるもんね。英雄の口封じとか、獣と環境の関係を秘密にするとか、ほかの国に黙って自分だけ強くなろうとか」
不幸の匂わせに共感するはずもなく、子供はあっさりドライな返答を返した。
囚牛の国は、結界を生成する国宝――庇護の甲羅――に守られているから、前回と同じように、災いから逃れられると信じてる国民も多かったけど、あいにく今回の災いはどの国にも等しく降りかかっていた。
じゃあ、とある祭司のお話をしましょうか。
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骨の病気を患っている男の子がいた。関節が異様につき出ており、手足を動かすたびに痛みを訴えては泣いた。
医者は、骨の成長が遅く、変な形に曲がってしまう稀な病気だと診断し、十歳までは生きられないだろと、彼の家族に伝えた。
行商人である親は不運さを嘆き、結界の国に立ち寄った時、彼を捨てて去った。
彼は飢えと渇きで倒れるまで、捨て置かれた通りで親の帰りを待ち続けた。
彼を助けたのは、町の祭司様だった。
心優しい祭司様は彼に食べ物と住処を与え、結界の国の守護神の加護の儀式まで執り行い、自分の養子として迎え入れた。
結界の国の加護は、人を病や痛みから守る清らかな力で、彼もそのおかげで骨の病気がもたらす痛みから解放された。ただ、奇形自体が治ることはなかった。無事十歳まで生き延びても、体付きは五、六歳くらいの子供のままで、それ以上の成長はなかった。
幼く骨ばった体に、異様な大きな頭。そんな彼の姿を、人々は気味悪がったが、養父である祭司様だけは意に介さなかった。
神様は人の生まれで差別しない。神様は分け隔てなく人を救う。どんな姿かたちも神の恩恵によるものならば、受け入れて生を全うし、神に報いよ――
祭司様の真摯な言葉に諭され、彼は生まれて初めて、自分は生きていいのだと思えた。
養父の下で、彼は多くのものを学び、敬虔な信心を養った。
乱暴を働いて人を傷つけた強盗を諫め、無一文になって自殺しようとする商人を諭し、死を恐れて嘆く老人を慰めた。
深い痛みを知っている彼だからこそ、他人の痛みに共感し、手を差し伸べることができた。
彼の見た目を嘲笑う人が少しずつ減り、やがて彼が新しい祭司に選ばれた日は、なんて立派の方が祭司様になられたのだろう、と町中の人々は歓声を上げた。
守護神への信仰を怠らず、敬虔に日々を送る彼や町の人々は、平和で幸せな日々を送った。
足繫く祈りに通った敬虔な女性と惹かれ合い、彼は夫となった。
子を持つことには、二の足を踏んでいた。子に骨の病気をうつしてしまうのではないかと心配だった。
そんな彼を叱ったのは、年老いた養父だった。
人々に心の在り方を説く者が、見た目で幸不幸を決めつけるな!
彼は未熟な自分を恥じ、どんな子が生まれようと、清く正しい人間に育て上げようと決めた。
いつからか、不穏な気配が漂い始めた。
守護神の力を振りかざすよその王様が民を苦しめたり、今まで仲の良かった国同士が急に反目しあったりなど、不吉な出来事をよく耳にするようになった。
これは大昔に予言の神様が予知した災いに違いない、と彼を含め、多くの人々は思った。
二度の岐路は、天の頂へ至る光の上り坂。神性への憧れは、時には蝕む毒となろう――
まさにこの予言に示された通りことが、結界の国の外で起きていた。
本来なら、国々の守護神はひと柱ずつ、人々から崇められていたが、その力に心酔した不届き者たちは、異国との通婚によって、より大きな守護神の力を得ようとした。その憧れは、やがて狂気という形で国々を蝕みつつあった。
なんて哀れな愚行ことだろ。神様は崇め従う存在であり、貶め従わせる存在では決してないのに――
祭司である彼は心を痛めながら、血筋を守り、国の安穏を守り続けてきたこの国の王様をいっそう尊敬し、慈悲深く民をよその戦火から守る守護神に感謝と祈りをささげた。
祭司の彼は三人の子供に恵まれた。
長男と長女はいたって健康な子で、末っ子の妹だけ父と同じく骨の病気を患っていたが、分け隔てなく育て上げられた三人とも信心深く、素晴らしい人になった。
よその災禍とは無関係な穏やかな日々が過ぎていく中、その出来事が起きた。
一番信心深かった末っ子が、真冬の祭殿巡りの旅の途中で姿を消した。
消息の知れない妹を探すために、兄と姉の二人は方々を奔走した。妻は心配のあまり衰弱し、床に臥せってしまった。彼も気が気ではないが、祭司の勤めを放り出せず、できることと言えば、守護神の像の前に跪き、末娘の無事を祈るしかなかった。
春めいてきた頃、更なる不幸が降りかかった。
数百年融けなかった雪山の氷が氷解して雪崩を起こし、麓の街と、妹探しでその街に泊まっていた長男と長女ごと飲み込んでしまった。
彼は祭司として雪崩の救援を援助しながら、ひたすら守護神に祈り続けた。
どうかわが子が無事でありますように。どうかわが子が帰ってくるように。
いろいろなことが起きすぎて、彼は妻の精神が弱っていくことにも気づけなかった。
ある日家に帰ったら、床から身を起こした妻は微笑みながら彼に話しかけた。
翼を生やしててね、ふわっと飛んでくるのよ。あの子は体が小さいけど、誰よりも利発で優しいから、きっと神様に選ばれて仕えているの。
でも、せっかく帰って来たのだから、何故部屋には入ってこないのかしら。お母さんを置いて行かないで欲しいわ…
そう呟いた妻は数日後、崖の下で死体で見つかった。
我が子の幻を追いかけて崖から落ちたのだろう、と彼は分かった。
家族を失った祭司は、いっそう信仰に縋った。自分を苦しみから救いあげた神様が、理由もなく家族を奪うわけがない、と彼は強く信じ続けた。
年老いた養父は、彼に後妻を娶るようすすめたが、彼は首を縦に振らなかった。死んだ家族は彼にとって、何物にも代え難い大切なものだった。
おまえの家族はまだ生きている。神様はちゃんと、おまえの信心に応えている――
養父は彼の耳元で囁いた。
どこの国も、力をつけてきている。我が国の守護神の力を妬み、いつ攻めて来てもおかしくない。だから我々は神に祈り、その力を授けられることを許された――
養父の案内でやっと対面できた娘は、美しい翼を生やし、空中から彼を見下ろしていた。
彼女たちは誰よりも早く飛ぶ素早さと、誰よりも鋭敏な聴力を生かし、我が国を守っている。おまえの娘は、その敬虔さゆえに神様に選ばれたのだ、誇りに思え――
養父の言葉をよそに、彼は妻がなくなる前に話していたことを思い出した。
≪あの子がね、会いに帰ってきてくれたのよ≫
娘は、家族が恋しくて家まで訪ねたのか?
それだけじゃない、彼女らはその祈りで気候を整え、国を潤うことができる。我が国は寒い地方が多いだろ。彼女たちの祈りで、氷を溶かし、不毛な土地を耕地に帰ることができるのだ――
養父の言葉がちくりと、彼の記憶に刺さった。
妹を探す兄と姉が雪崩に巻き込まれた。
娘は、慕っていた兄と姉がもういないことを知っているだろうか?
その翼では、大人の体では飛べないから、今まで神様に力を授けられるのは、小柄な女児だけだった。しかも神様の力が使える代わりに、みな五年くらいしか生きられない。神様のお目にかなう子はめったにいない。しかし神の力を持った者に子供が産めたら、その子は生まれながら神の力を持っているのではないか――
養父の言葉は洪水のように、彼の耳になだれ込む。
養父は自分を大事に育て、熱心に子を育てる良さを教えた。
それは分け隔てなく救済する神の教えに沿ったものだったろうか?
ふわりと目の前に降り立つ娘のお腹は、微かに膨らんでいた。
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数年後、一つの教団が結界の国の中で勢力を拡大し続け、陰ながら多くの人々に噂される存在となった。
その教団は教義を掲げる。
神は人の生まれで差別しない。人も畜生も神には大差ないから。
神は分け隔てなく人を滅ぶ。神は人のためだけの存在ではないから。
神を崇めるな。餌食にされてしまう。
神に憧れるな。骨髄まで毒される。
神を畏れよ。神を恐れよ。
龍神信仰を根底から否定するその教団は、後に「
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畏信教は、神様は本当に人のための存在なのかという疑問から生まれた。創始者は囚牛へ移り住んだ、あの獣の目の力を受け継いだ絵描きの女の子だったけど、信者が一気に増えたのは、二度目の試練の直前に当たる、祭司の彼が生きた時代だね。実際に国々では守護神の力を濫用した王様が多く、それで畏信教の信ぴょう性が高まった面もある。
声の主は話の背景を簡単に補足した。
「結界は他所の敵に強いけど、内側に敵ができたら敵わないね」
子供は腑に落ちたように頷いた。
ほかの国は婚姻で混血の子を作ることで力を強め、その代償に精神の制御が難しい狂人が生まれた。囚牛の国は血筋を守るために、王族ではなく一般人を犠牲にして獣の力を取り入れ、ある意味正気を保つ賢い選択だと言えた。
声の主は冷静に評価する。
「神様への憧れが毒なら、ほかの国は王様が自分から毒を飲だけど、囚牛の国はそれを民に蒔いたんだね」
どっちもどっちだよ、と子供は反論した。
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