其の五十九・とある求愛者の話(元桑641・狴犴)

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「この前のお話に、急に水の国の国宝が出てきたね、涙の雫とか」

 子供の質問に一つ頷き、声の主は、清澄の雫というのが正式名称で、水を操る強力な力が秘められているんだ、とも付け足しした。

「やっぱり神様や英雄たちが活躍する世界には、アイテムも大事だね。獣の国には『龍のウロコ』が、狻猊の国には炎の斧があるなら、ほかの国も何か持ってないと負けちゃうんだろうなって」

 ぱわーばらんす、ってやつだよね、と子供は自慢げにボキャブラリーをひけらかした。

 その通り。それぞれの国には龍神様から授けられた宝はあり、先の大戦の英雄たちの中には宝を使いこなせる人もいたけど、基本は信仰の象徴として祭られることが多いんだ。危険すぎる力は身を亡ぼすからね。

 声の主は静かに答えた。

 じゃあ、とある求愛あいをもとむ者のお話をしましょうか。

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 雷の国の女王様には、一人息子がいた。

 首元に力の証であるあざを持って生まれたものの、彼は体が弱く、赤子のころから毎日大量な薬を飲まなければならない上に、声を出すことすらできない唖者だった。

 将来一国を背負う者としてはあまりにも頼りないから、もっと優秀な後継ぎを生むべきだ、と声を上げる臣下も多いが、女王は一切耳を貸さなかった。

 彼女は邪心を持つ者から息子を遠ざけ、王宮の最奥で育てた。

 女王は声を出せない息子のために、二人の間にだけ通じる手話まで編み出した。身振り手振りで、親子の交流は成立していた。


 女王の息子である彼は、とても我慢強く、やさしい子だった。

 あざ持ち特有の発作をいつも歯を食いしばって我慢し、喉が焼かれるほどの苦い薬も毎日欠かさず飲み続けた。

 どんなに母を恋しく思っても、多忙な母親にそばにいて欲しいとねだったことはなかった。

 女王は彼に多くのものを与えたが、父親にだけは会わせなかった。

 彼の父親は重い病気を患っており、特別な措置の施された部屋からは出られないのだ。

 信じられないほど美しい声を持っている人なのよ、ちょっと気が弱いけどとてもやさしくて。あなたも、笑うと彼にそっくりなの、やっぱり男の子は父親に似るのかしら――

 いつも落ち着いた雰囲気を纏っている母親は、手話で彼に父のことを語る時だけ、とびっきり柔らかい笑顔を見せた。

 父と母は本当に愛し合っているんだな、と羨ましく思いながらも、美しい声を持つ父の血を継いだ自分がろくに声を出せないのは、きっと母をがっかりさせたに違いない、と後ろめたい気持ちにもかられた。

 話せるようになりたい、と彼は強く願うようになった。


 声を出せるようになる方法はないか、と彼はたくさんの本を読み漁ったが、答えが見つからなかった。悩む日々の中、ちょっとした事故が起きた。

 湯薬を運ぶ下女があちこちに散乱している本に躓いて、薬を彼にぶちまけてしまったのだ。

 王族相手に粗相を働いたら打ち首になりかねない。そんな下女を憐れみ、彼はこのことは秘密にすると約束した。

 彼にとっては生まれて初めて湯薬を飲まない日だった。そのせいで発作は普段より何倍も苦しく、頭が割れそうな痛みで何度も気を失った。

 発作が収まって目が覚めると、彼は軽くせき込んだ。がらがらの喉から、初めてかすかな音が発せられた。

 もしかして自分が話せないのは先天的な病ではなく、発作を抑える薬の副作用ではないか、と彼は気づいた。

 そこで彼は湯薬を運ぶ下女に事情を話し、周りの人たちに内緒で、しばらく薬の服用をやめてみたいと頼んだ。

 自分を庇ってくれた恩人の頼みを断れず、下女は渋々頷いた。


 湯薬を絶って半月が過ぎた頃、彼はなんとか喉から声を絞り出すことができるようになった。話せるようになるかもしれない希望に比べ、発作の苦痛ぐらいいくらでも耐えられた。

 このことを母親に教えなかったのは、薬を飲まないことで心配をかけたくなかったからだった。

 彼はさっそく次の目標を立てた。手話ではなく、自分の声で言葉を伝えられるようになりたい。下女は彼に乞われ、言葉の意味や音の繋がりを教える先生となった。


 王子様は、どんなお言葉をお話になりたいのですか――

 と下女は聞き、

 そうだ、「愛している」を教えてくれないかい――

 と彼は目を輝かせて話したい文字を見せた。


 望む言葉を会得した彼は、母親に内緒で、父親の居所を訪ねた。今まで一度も会ったことのない実の父親に、どうしても会って伝えたい言葉があった。

 彼の父親がいるのは、雷電の力を宿す国宝――導きの杖――が祭られている部屋だった。

 卑しい出身だと彼の父親を嫌う大臣たちが多く、女王は誰にも信を置けず、護衛を付ける代わりに、自分にしか扱えない国宝を大切な人を守るために使っている。

 雷の力を受け継いだ彼は、簡単に部屋に入ることができた。

 そこで彼は、自分の顔と酷似している年長の男と対面した。両腕は失われているが、男にしてはやや華奢な体つきや、優しそうな眼差しは、全て母親が語ってくれた通りだった。

 きみは……

 初対面のはずなのに、月の光が照らしだす雪のような、筆舌に尽くし難い美しい声で、父親は彼の名前を口にした。

 熱いものが胸から沸きあがり、彼は息を吸い込み、教わった言葉を初めて声に乗せて出した。


 砕け散って死ね――


 その昔、雷を操る女と、歌声で花を咲かせる男の間に、赤子が生まれた。

 新しい命の誕生に立ち会った人々は目撃した。赤子が産声を上げた瞬間に、まるでその泣き声に呼応するように、青い稲妻が迸る様を。

 赤子を腕に抱いた父親の両腕は瞬時に粉々に千切られ、血しぶきが舞った。雷は蛇のようにうねり、無差別にその場に居合わせた人々を襲った。

 赤子は、負の感情のこもった声に雷を宿す力を持っていた。

 母親が雷の力を中和し、赤子の口を塞いた頃には、室内は血の海へと化した。

 瀕死の父親は辛うじて一命をとりとめたが、産婆を含む一部の人間はあっけなく命を落とした。

 あまりにも凶悪な力であるため、女はそれを封じることにした。薬師に喉を潰す薬の調合を命じ、赤子からその声――恐ろしくも御しがたい武器――を封じた……

 

 こんなことになると分かってたら、あんたの声を永久に奪う劇薬にしておけばよかった、いや、あんたを産まなきゃよかった――

 父親の亡骸のそばで真相を聞かされ、彼は自分の首を絞める母親の手に込められた気持ちの重さを実感した。

 返しなさい!私がこの世で最も愛している人を、返してよ!

 ぽろぽろ涙を流す母親は、まるで行き場を失い、迷子になった幼い少女のようだった。

 謝らなきゃと、彼は思い、絞められていく喉から必死に声を絞り出した。


 地獄へ落ちろ――


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 彼に薬を運んでいた下女は、彼が生まれた時に立ち会った産婆と、薬の調合を任された薬師の間の娘だった。彼の秘密を知りながら、忠実に尽くした一家は女王の信頼を得て、彼の近くに置かれる数少ない人間の一人に、娘は選ばれたんだ。でも娘は、母親を殺されたことを忘れられず、愛する人のために復讐のチャンスを待ち続けていた――

 声の主は明かした。

「ふーん、じゃあ最初に薬をこぼしたのも、わざとだったのかもね」

 子供は思い返しながらコメントした。

 事故を装って、彼に自分は啞者ではないと気付かせ、言葉を教える過程でわざと間違えた言葉を教える。用意周到というか、執念深いというか。

 声の主も考え深げに相槌を打った。

「でもさ、本当に間違えて教えられた言葉で、彼は自分の両親を殺したの?『負の感情のこもった声に雷を宿す力を持ってる』なら、人を殺したのは、負の言葉じゃなくて、負の感情にならない?」

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 下女は逃げなかった。自分が教えた間違った言葉で親を殺したであろう王子の帰りを待って、因果応報だと、あざ笑ってやろうと思った。

 私があなた様に母親を殺された痛みを思い知れ、と言ってやりたかった。

 しかし再び彼女の前に現れた王子は、悲しみに暮れるどころか、目に爛々とした輝きを湛え、口元に笑みを浮かべていた。


 王子は、愛がよく分からなかった。

 優しくするでは足りない。寄り添うだけでもない。慈しみ育むでも違う。

 愛を知りたくて、王子はいい子になるよう頑張った。

 しかしいくら母親に愛していると手話で伝えられても、心に響くことはなかった。何かが噛み合わないような、何かがずれているような。

 だが父親の話になると、母親から伝わる眼差しも、気配も、何もかもが桁違いに違った。その人に向けられたものは、稲妻のように眩しく感じられた。

 それが本物の愛なのかどうか、王子は試さずにはいられなかった。

 そして王子は、愛は血のつながりを越え、死の壁を越え、憎悪へと昇華され、ひと際強烈な輝きを放つ様を目撃し、感嘆せずにはいられなかった。


 なんて美しい愛だろう、と。

 

 彼は下女の腕を取り、その手の甲に口づけた。

 きみが私の前で気弱な下女を演じ、わざと悪意ある言葉を教えた時、瞳の奥に見え隠れする稲妻のような光がとても美しかった。

 それがきみの母親へ向けた「愛」なのだろう。

 もっと見せてくれよ。そんな君の姿を、愛している。


 この国の人々の愛を見たい。

 人々の愛を見届けたい。

 さあ、血で、命で、絶えない憎悪で、その愛を、証明せよ。

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