其の五十八・とある運び屋の話(元桑612・蒲牢)

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 蒲牢ほろうの一族の多くは、戦後長い間負屓ひきの国に留まっていたけど、ほかの国々も、彼らとの付き合い方を色々と模索していた。例えば確執が一番深かった狴犴へいかんは、自治拠点を作ることで共存を図った。

 声の主は話した。

「自治拠点って?」

 子供は首を傾げながら聞いた。

 国の中で彼らが羽休めできる場所さ。その中にいる時だけ、彼らは国の法に縛られず、他者の干渉を受けない。国に著しい害をなそうとしない限り、そこは彼らの根城――国の中にある国なのさ。

「大使館とかの中の人がその国の法で裁けないみたいな?」

 似た感じだね、と声の主は一つ頷き、おかげで、貿易を含む様々な交流が盛んになったから、狴犴の国と仲良しの螭吻の国もそれに倣った、と続いた。

 じゃあ、とある運び屋のお話をしましょうか。

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 国々を行き来する運び屋がいた。

 彼らは先祖たちと同じく、物や情報を運び、生活の糧を得ているが、違う点と言えば、彼らには「帰れる場所」があった。

 懇意にしてくれている国は、小さいながらも彼らの自由が保障される拠点を与えてくれ、彼らが理不尽な扱いを強いられない居場所となった。


 運び屋がよく使っている水の国螭吻の拠点には、二人の子供が暮らしている。

 八歳の姉と五歳の弟は、表向きは運び屋の長の子どもになっているが、包帯で背中のあざを隠している二人の正体は、昔王宮から出奔した水の国の王族の末裔であった。

 あざ持ちの王族の体には、巨大な守護神の力が宿っているが、精神を蝕む苦しみも常に付きまとっていた。以前水の国の女王に救われたことのある蒲牢の民は、恩返しのためにあざと苦しみを背負う王族の出奔を手助けし、その子供たちを救う薬の開発を続けてきた。

 運び屋の皆はとても親切で、二人を自分たちの子供のように優しく接した。

 おとぎ話から国々に起きた出来事、旅の心得、貿易に関する知識、力の制御と苦痛の耐え方まで、たくさんの人たちがたくさんのことを二人に教えた。

 君たちには、いずれ自分の人生を歩みだす日が来るだろう。王座について国を仕切るのも、自由気ままに過ごすのもいい。その日に備えて、もっと多くのことを知り、もっと多くの経験を積んでほしい――

 運び屋の長は二人にこう語って聞かせた。

 

 姉は、薬の開発や医学に興味を示した。彼女は誰かが自分の痛みを癒してくれるのを待つのではなく、自分で自分を救う方法を探したいと強く願った。

 弟も、姉と一緒に勉強を始めた。

 薬草の調合までは何とか飲み込めたが、一歩先に進んだ姉が動物の体を開いて内臓を切り取る場面を見て、彼はその生々しさに吐いてしまった。

 医学は治すためにあるなら、殺したらだめじゃないか。

 内蔵の切り取られた動物が冷たくなっていくのを見て、弟は聞いた。

 腹の中を開いてみないと、どの臓器がどう働くか分からないでしょう。腹が空いて肉を食べるのと同じで、生かすために殺すことは仕方のないことよ。

 姉は弟を諭した。

 弟はしぶしぶ頷いたが、それから医学の勉強には身が入らなくなり、運び屋の長についてあちこち旅することが増えた。


 ある日、運び屋の一行と共に帰ってきた弟は、驚きの情報を仕入れたと興奮気味に姉に告げた。

 嵐に巻き込まれて失踪した船の乗組員の一人が生還し、海の向こうの土地に嘲風の末裔に会ったという――


 嘲風の神は不老不死を掌る神であり、その力を受け継いだ姫君は、別れを惜しむ思い人のために一粒の涙を流し、海の向こう側へ渡ったと言われている。その涙は宝石と化し、その思い人が作った国――水の国――の国宝として大切に扱われていた。

 嘲風の末裔を見つけ出せたら、不老不死の力で、あざ持ちの苦痛から解放されるかもしれない――

 希望を見出した弟は、いつか海の向こうを渡るために、運び屋の仕事に精を出した。

 そんな折、雷の国において暴君による制圧が行われた。運の悪いことに、その騒乱に巻き込まれた地区は、運び屋が仕入れる予定の商品の出荷地でもあった。

 定期的に水の国の王宮に渡す大切な商品だったため、運び屋の一行は、王族である弟の安全を案じて同行を許さず、自分たちだけで危険を冒して雷の国へ赴いた。

 皆の安否を心配した姉と弟は、国境近くで待ち続けた。

 炎と悲鳴に染め上げられた夜闇の中、運び屋ら一行は散り散りになり、国境線まで辿りついた幌馬車は一台しかなかった。

 私たちの生死が左右されるほど高価な商品だから、傷一つつけずに送り届けてくれ――

 傷だらけの乗り手に釘を刺され、姉弟は素早く馬車馬を替え、水の国の王宮へ急いだ。

 王宮の建物が見えてきた時、石に乗り上げた馬車は大きな音を立てながら横倒しになってしまった。

 幌の一角が破れ、そこから黒いものが出ているのを見て、投げ出された二人は自分のけがをよそに、商品は無事かと慌てて駆け寄って確認しようとした。

 はみ出ていたのは、人の腕だった。


 傷一つつけずに商品を送り届ける約束を違え、二人は幌を取り外し、荷物の中身を検めた。

 二段構造になった大きな檻は仕切り板で区切られており、その狭い空間に家畜のように詰め込まれているのは、幼い子供ばかりだった。


 雷の国は、より強力な力を持つあざ持ちを作り出すために、王族の血を掛け合わせ、子供を産ませ続けたが、秘密裏に誕生した多くの子供は、期待に応えられない「失敗作」だった。

 一方で水の国は医学の研究が進み、あざ持ちの副作用に関する治療法を模索しているが、あざ持ちの独特な体質に関する臨床試験の数が圧倒的に足りなかった。

 そこで、雷の国が水の国に実験体を提供し、水の国は雷の国に開発した薬を提供する互恵関係が生まれた。

 しかし、人々が信奉する守護神の血が流れている子供を国同士で売買している事は決して知られてはならない。

 そこで両国は蒲牢の一族を仲介に立てることで、真実を隠し続けた。自治拠点を使えば、取引に関する追求は免れ、万一ばれても、国は知らぬ存ぜぬで白を切り通せる。

 蒲牢の一族も、取引から多くの恩恵を受けることとなった。手詰まりだった薬の研究は、両国を味方につけることで大きく進み、暮らしも厚い支援が得られた。


 運び屋の長は二人に真実を打ち明け、更に続いた。

 君たちは私たちを軽蔑するかもしれない。私たちには力がなさ過ぎて、一つの約束を百年もの時間を費やしてなお果たせておらず、たくさんの物を犠牲にしなければならなかった。しかし一つ確かなのは、雷の国と水の国の力が無ければ、君たちはこの日まで生きては来れなかっただろう。


 百年経っても根治することができない病は、もはや病ではなく呪いだ。呪いに対抗できるのは、神様だけだろうから、私は海を渡って不老不死の嘲風の末裔を探し出そう。

 姉は決意した。

 ずっと助けてくれる誰かに期待してた。でもそれは神様ではなく、物のように売買されてた子供たちだった。幌馬車に積まれた子供たちの中にまだ生きている者もいる。今度は私はこの子たちを助ける番だ。

 弟は決心した。

 二人は蒲牢の一族に別れを告げ、それぞれの道を歩みだした。


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 蒲牢の一族は、どこにも留まらず、何者にも縛られないことを誇りにしている一族だった。どんな理由からにせよ、一度でも立ち留まり、縛られることを受け入れれば、自由の心はもう二度と取り戻せないかもしれない――

 声の主はまとめた。

「でも、医学の研究をしてた姉が神様探しを、昔話を信じてた弟が人助けを選ぶなんて、お互いの人生を交換したみたいだね」

 子供は意見を述べ、「そっかー、あの途方もない約束もいよいよ果たされるかもしれないね」と感慨深げに続いた。

 王宮を抜け出した相伴者の時代から百年ほどしか経ってないから、大昔ってほどでもないよ、と声の主は苦笑しながら応じると、

「違うよ、『退屈させない素晴らしい国を見せる』のほうの約束」

 あのお姫様は、今の水の国の姿を気に入ってくれるのかな、と子供は思いをはせた。

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