其の五十六・とある逃亡者の話(元桑621・覇下)

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「自分たちの国を強くするために、獣を利用する人がいるのは分かるけど、じゃあ獣のほうはどうだろう、人に捕まって殺されるかもしれないのに、わざわざ外に出たがる?」

 子供は聞いた。

 地下の世界は何一つ不自由のない素晴らしい所なら、獣たちもわざわざ外には出ないさ、でもやむにやまれぬ事情があったら、話は別じゃないかね。

 声の主は穏やかに返した。

「事情って?」

 例えば、謎の流行り病とか。

 じゃあ、とある逃亡者のお話をしましょうか。

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 平和で争いのない地下の世界に、仲良しの三匹のけものの子供たちがいた。

 天翔族てんしょうぞくの出身である胡蝶の男の子と、征野族せいやぞくの出身である獅子の女の子、赫甲族かっこうぞくの出身である蜥蜴の男の子は、部族など関係なく、一緒に遊んで育った。

 蜥蜴の男の子の父親は神殿に勤める神官であり、仲良しの三匹は、よく彼に昔話を聞かせてとねだった。

 ある日、神官は子供らを神殿の奥へ連れて行った。

 そこには大きな祭壇があり、厳重に封じられている玉の箱が祀られていた。

 

 この玉の箱には、我々のために身を費やした神様の御首が納められているんだ。

 かの神は地下の世界を作って力尽きたが、どうしてもこの世界を見守りたくて、御首だけはここに残された。

 地下の世界が作り出された当時、一片の光もなかった。真っ暗な世界になれず、多くの獣は惑い、衰弱した。

 そこで神官たちは、神様の御首から冠羽を頂いた。舞い上がる羽根は涼やかに輝く一輪の月と化し、闇の世界に光をもたらした。

 おかげで獣たちはつつがなく暮らしていたが、数が増えるにつれて、食べ物が足りなくなってしまい、空腹に苛まれるようになった。

 そこで神官たちは、神様の御首から牙を頂いた。土に蒔かれた牙はたちまち根を張り、どの獣も食べられる美味しい作物へと育った。

 またさらに長い年月が過ぎ、地上での生活に戻りたいと願う獣たちは、自分たちを地下へ追い込んだ人々に仕返しをした。しかし戦いは厳しく、多くの犠牲が出た。

 そこで神官たちは、神様の御首からウロコを頂いた。人に勝ちこそできなかったものの、彼らがこの地下の楽園へ侵入することだけは辛うじて防げた。

 このように御首は、幾度も獣たちを危機から救った――


 この話を聞いた三匹は、神様はどの部族の獣かで言い合いになった。


 神様は冠羽を持っているのだから、羽根で空を飛ぶ天翔族に違いないよ。

 胡蝶の男の子は羽を広げながら言った。


 いいえ、牙を持っているのは、野を駆け巡って狩りをする征野族の特徴だわ。

 獅子の女の子は自慢げに牙を見せた。


 でも、甲羅やウロコで身を守るのは赫甲族である証さ。

 蜥蜴の男の子も負けじと背中のとげとげを立たせて言い返した。


 誰も自分の意見を曲げず、三匹は生まれて初めて大喧嘩をし、もう一緒に遊はないと言い捨て、そのまま別れた。


 それから間もなく、蜥蜴の男の子は病にかかってしまった。

 それは、「魂抜たまぬけ」と呼ばれる謎の病で、体の調子がどこも悪くないのに、突然意識が遠のき、まともに言葉を話せなくなり、最後には魂が抜けたように完全に知性をなくしてしまう。

 神への信心が足りない者が罰を受けてなる病なんだ、とまことしやかに囁く者も多かった。


 不殺生の誓いを立てた獣たちは、仲間を殺さないが、言葉と知性をなくし、ただのけだものになり下がった者らは、他の獣を襲う前に狩らなければならないと定められている。

 胡蝶の男の子は、神様の御首のお話を思い出した。

 御首から神の力を頂ければ、友の病を癒せるかもしれないと思い、彼は獅子の女の子に相談した。

 獅子の女の子も、蜥蜴の男の子と喧嘩別れしたことを後悔しており、絶対に友を助けようと約束した。

 

 二匹は夜闇に乗じて、神殿に忍び込んだ。

 周りを見張る必要があるから、胡蝶はずっと高い所を飛んでてね、絶対に降りてきちゃだめよ――

 獅子の女の子はしつこいほど念を押した。


 最奥の祭殿へ辿り着くと、獅子の女の子は玉の箱を封じる鎖をかぶりと噛み千切った。

 ふたを開けてみると、中にあるのは何の神通力も感じさせない、ただの干からびた頭蓋骨だった。

 獅子の女の子は、そのどの獣にも似つかわしくない骨に手を伸ばしたが、触れた瞬間にひびが走り、頭蓋骨はぽろぽろと灰へ化してしまった。

 驚きのあまり声を出してしまった二匹に気付き、看守らは押しかけてきた。


 覇下の神は地下の世界に光を、食べ物を、祝福を与えるために、全てを使い切ってしまっていた。

 魂抜けは、信心の無さから起きる病ではなく、そもそも守護神が失われたから、神より授かった理性も脆くなってしまうことを、神官らは長い間隠し続けていた。

 神のご加護がなくなった事実が知られたら、獣の世界は大混乱に陥るに違いないから――

 秘密を知ってしまった二匹は、すっかり囲まれてしまった。


 神様を探してきて。彼の病気を治すためにはそれしかないわ。

 獅子の女の子は、宙を飛ぶ胡蝶の男の子に言った。


 どこへ行けば神様を見つけ出せるのさ。

 捕まったらおそらく二度と外に出られなくなる予感に震えながら、胡蝶の男の子は聞き返した。


 地上のどこかよ。覇下の神様には、八柱の兄弟がいると聞いた。頭蓋骨の形が分かっていれば、きっと見つけ出せる。ここは私に任せて。

 獅子の女の子はこう言い残し、唸りを上げながら群れに突っ込んでいった。


 突然凶悪な形相で襲い掛かる獅子の女の子に、看守たちは慌てふためいた。

 警告の言葉に耳を傾かず、彼女は知性を失った野蛮なけだものになり下がったように牙を突き立て、暴れまくった。

 魂抜けだ!こいつはもう誇り高き獣ではない、ただのけだものだ!

 叫びが上がり、咆哮が上がり、血しぶきが上がった。


 それら全てを置き去りにするように、胡蝶の男の子は夜空に高く舞い上がり、弾丸のような猛烈な勢いで飛び出した。

 羽ばたく彼に追いつける者はなく、やがて小さな逃亡者の姿は、地上の世界への通り道が発せる銀色の光に溶け込んで消えた。


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 胡蝶ら子供が知らなかっただけで、力の失われた神様の代わりを探そうとしたのは、何も彼らが初めてではない。実は神官らは秘密裏に囚牛しゅうぎゅう睚眦がいさいの国らと契約を交わし、獣と守護神の力を持つ人の子とを交換していた。この苦肉の策で病の進行を遅らせることができたけど、完全に食い止めることはできなかった。

 声の主は締めくくった。

「結局覇下の神様がどの部族の生物だったのか、分からなかったね」

 でも神様だから、普通に考えてどの生物とも違うだろうか、と子供は自問自答した。

 獅子の女の子が一芝居打ったおかげで、追っ手から逃れた胡蝶の男の子は、無事地上の世界への通り道に逃げ込めたけど、本当の試練は、地上に上がってから始まるだろうね、と声の主はしみじみと言った。

「それ、本当に芝居してただけなの?彼女もお友達の蜥蜴と同じように、魂抜けを発症してたんじゃないかな」

 だから胡蝶に降りてこないで、私に近付かないでって何度も注意した、と子供は言った。

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