其の五十一・とある暗君の話(元桑612・狴犴)

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 三権分立という言葉を知ってるかい。

「サンケン、ブンリツ?」

 子供は首を傾げながら聞き返す。

 法を定める権力と、法を執行する権力と、違反を罰する権力を、それぞれ違う機関に任せて、均衡を保つ仕組みだ。狴犴へいかんの国もそれに似た制度を採用していて、王が法を定め、文官がそれを執行し、武官が違法行為を取り締まっていた。

「確かに、前には陪審制度もあるって言ってたっけ、法がしっかりしてるね」

 子供は聞いた。

 でもその制度がすこしずつ揺らぎ始めたんだ。身体能力が高く、武の才能に恵まれた親から、あざ持ちの子供が誕生する可能性が高いことが分かってから、王家と武官をまとめる将軍家との結びつきがより強固なものになった。

「……法を決める人と裁く人が同じになったってこと?」

 その通り。スポーツに例えたら選手と審査員がグルになったようなもので、ルールなんてあってないものに等しかった。

 じゃあ、とある暗君のお話をしましょうか。

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 いつの時代からだったか、守護神の血が流れていると言われる国々の王族の中に、あざをもつ子供が生まれてくるようになった。その子たちはおおむね並外れた力を持っているために、最初は気味悪がられていたあざも、やがて守護神の力の証として崇められるようになった。

 とあるの国の王様には、あざ持ちの子供が二人おり、上が男の子で、下が四歳離れた女の子だった。

 やがて長男が王位を継ぎ、盛大な即位式典が開かれた。

 式典の一環である御前試合では、腕に自信のある武人らが競い合い、勝ち残った人は新王と手合わせする機会が得られるのみならず、王妹を娶ることができる。はずだった。

 予期せぬ出来事が起きた。王妹自ら御前試合に参加し、勝ち抜いた末に、兄である新王を手合わせの試合で殺してしまった。

 御前試合は対戦相手を殺しても罪に問わない決まりで、王妹は罪に問われることなく、そのまま法に則って、女王として戴冠した。


 若き女王は、政など臣下らに押し付け、自由気ままな毎日を過ごし、何年たっても婿を取ろうとはしなかった。

 政務は代わりにできても、跡継ぎの問題は代わりに解決できない、と方々から心配の声が上がったが、実の兄をためらわずに殺した女王に面と向かって異を唱える人はいなかった。

 特に王家との結びつきを失いたくない将軍家は、女王の婿に相応しい相手をかき集めては送り込んだ。百戦錬磨の武人だけでなく、博学多彩な学者や、見目麗しい優男……各方面に秀でた者で女王の目を引こうとした。

 だが女王はその中から誰かを伴侶として選ぼうとはしなかった。そこには、自分の腕っぷしを過信する傲慢な人間と、知恵をひけらかす軽佻な人間と、懸命にこびへつらう卑屈な人間しかいなかった。


 ある日、後宮へ足を運んだ女王は、新入りと思われる少年の姿を視界の隅に捉えた。

 華美な服でも痩せた貧相な体つきを隠しきれず、彼女に群がる人だかりの外にぽつねんと立つ様は、とても高貴な出身の人間には見えなかった。

 いつものように夜更けまで宴と遊びに興じ、自分の居所へ戻ろうとした女王は、人気のない後宮の隅でうずくまる少年の姿を再び目にした。

 涙をこぼしながら何か独り言を繰り返し少年の訛りがひどく、女王には聞き取れなかったが、彼が悲しんでいることはなんとなく察せた。

 服の袖で乱暴に目頭をぬぐった少年は、月に向かって声を上げた。

 故郷を恋しがる歌だろうか。涙声でありながら、伸びやかで澄み渡るような歌声だった。その歌声を彩るがごとく、少年がもたれかかっている梅の老木から小さな白い花がぽつぽつ咲いた。

 女王は瞬きすら忘れ、その歌声に聞き惚れていた。


 女王が将軍家が気まぐれで拾ってきた平民に入れ込んでいる噂は、瞬く間に宮中を駆け巡った。

 女王は、少年が歌うのを聞きたがった。言葉が通じなくても、身振り手振りで彼に歌って欲しいと伝えようとした。

 しかし物知らずの少年はただ怯え、拒んだ。

 家へ、帰りたい――

 その言葉だけは、何とか聞き取れた。


 女王は少年を機嫌を取るために、彼の生まれである南の辺地まで昼夜馬を走らせ、草花や果物を持ち帰らせた。珍しい物を国中から取り寄せ、大金をつぎ込んだ。

 将軍家以外の貴族らは、どこの馬の骨とも知らぬ少年を間者と疑い、嫌悪の目で見た。彼らは自分の手ごまの人間を動かし、少年を王宮から排除しようとした。

 しかし少年への仕打ちが一度女王にばれ、彼女は烈火のごとく怒った。少年に害をなそうとする人間を拷問にかけて首謀者を吐かせ、関わった人物は容赦なく首をはねた。

 だが、どれだけ珍しい品物を積まれようと、少年の曇った表情は一向に晴れることはなかった。


 女王は少年の心に近づけようと、彼の故郷の言葉を習い始めた。どこへも行けず、ただ日がな一日、少年のそばにいた。

 今まで口を噤んでいた将軍家も、さすがに見かねて女王に王の威厳を保つように進言したが、彼女は一切聞く耳を持たなかった。

 家へ帰りたい。家族に会いたい。ひとりぼっちは辛い――

 少年は切々と訴えた。

 女王は少年の言葉を理解できるようになっても、彼の心を手に入れることはなかなかできなかった。その事実がだんだん苛立ちを募らせ、やがて女王は一つの結論を出した。

 帰る場所が無くなれば、彼も私にそばにいることを受け入れるだろう。


 女王は少年の故郷の地を焼き払った。

 将軍家は女王の所業に反抗するもむなしく、冷徹な討伐に遭い、壊滅状態に追い込まれてしまった。

 女王は少年に、彼の故郷を滅ぼしたのは将軍家の者で、その者たちには相応な報いを受けさせたと伝えた。

 私は君を家族に合わせることはできないが、君の家族になることはできる。これからも私のそばにいて、その歌声を聞かせてはくれまいか。

 全てを持っている女王が差し伸べた手に、すべてを失った少年がまるで何もかも諦めたように、そっと自分の手を重ねた。


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 年下の少年に惚れ込んだ女王は、道を誤り、残虐な暗君として、その名を歴史に残った。彼女と少年の間に生まれた子供は、母親以上に残虐非道な人格破綻者として国を苦しませることは、また別の機会にお話ししましょう――

 声の主は締めくくった。

「将軍家がなくなれば、三権の中の二権が女王様の物になるんだよね」

 王を裁く者がいなくなって、彼女が悪いことをしても、それを正せる者がいなくなり、三権分立の仕組みが完全に破綻してしまう、と声の主は説明した。

「でも、そのサンケンブンリツの仕組みって、とっくの昔に効かなくなってたかもね。歌声で花まで咲かせることができる少年って簡単に拾って持って帰れる存在な訳ないもん」

 子供は疑問を投げかけた。

 では、すこし裏話を補足しましょうか。

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 王に相応しい伴侶を育てることは大変なことである。

 守護神の血を濃く受け継いでいることは無論、後天的な素質を伸ばすことも、気品を養うことも必要不可欠で、それらのすべての条件を満たして初めて、王に見初められる可能性が生まれる。

 どこの名門貴族も、王家との結びつきを欲し、優秀な人材を育てているが、将軍家が遥かに優位になっているのは、「数で圧倒的に勝っている」からだった。

 将軍家は、秘密裏に国境に村を作った。よその国の王家の分家や遠縁にあたる者をかどわかし、あるいは攫い、あるいは金銭で買い入れ、家の者に宛がって子供を産ませた。

 ここで行われていることが誰にも知られないように様々な隠語が使われ、百余年の間繰り返されるあげくに、独特な言語体系まで形成した。

 軍隊によって厳しく監視されているその村から逃げ出せる人は一人もおらず、村に生まれ、村で生涯を終える人間にとって、それが彼らの世界で、常識で、全てだった。


 王の長男が次期の王になることが分かり、王都にいる将軍家の本家は、女児のみ手元に置くことにした。

 もともと男児は女児より生存率が低く、育てるのにも労力がかかるため、男の王の即位は彼らには喜ばしいことだった。

 本来なら嬰児殺しは大罪にあたるが、裁く側の将軍家を監督できる者はおらず、彼らは思うままに行動することができた。女児を残し、男児は病弱なものを殺し、残りを村に送った。

 しかし目算が外れ、あにはからんや、女王が即位してしまった。今まで苦心して用意してきたものが水の泡に帰した将軍家は、大慌てで女王に相応しい男を探したが、結果は香ばしくなかった。

 子供を産ませる村には、王のために用意した女ばかりで、男と言えば、まだ少年としか言いようのない下働きが一人だけだった。薄汚れているせいで、彼の首にかすかに浮かんでいるあざを、誰もがただの汚れだと勘違いしていた。

 いないよりはましだ、と駄目もとで少年を王宮に送り込んだら、まさかの大当たりだった。

 喜ぶのもつかの間、少年に惚れ込んだ女王は、しきりに少年の出自を気にしていた。

 村のことを知られないように、将軍家はのらりくらりと女王の追及をかわし続けた。

 少年にも余計なことを喋らせないように人をやって釘を刺そうとしたが、それが女王にばれてしまった。

 拷問にかけて吐かせた情報を頼りに、女王は自らの足で国史のどの頁にも載っていない、存在しないはずの村にたどり着いた。

 隠しようのない物は、もはや葬るしかない、と腹をくくった将軍家の者は、総力を挙げて女王に反旗を翻した――

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