其の四十七・とある職人の話(元桑576・蒲牢)

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 いつの時代でも、人々が神を崇拝するのは、見返りに期待しているからで、龍神信仰がこの世界に深く根付いているのも、神様の血族だと言われる貴族や王族たちの存在が大きい、と声の主は語った。

「普通の人と違う力を見せられたら、神様の存在を信じないほうがおかしいもんね」

 子供は頷いた。

 国を導くのは神の血族なら、その力は強ければ強いほど国は安泰だろうと信じられ、どの国も一番強い者を王様の座に据えたがった。

「一番強い者って、武闘会でも開いて選ぶの?」

 小首を傾げる子供に、いや、もっと簡単で分かりやすい方法があったんだ、と声の主は言葉を継いだ。

 じゃあ、とある職人のお話をしましょうか。

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 彫師とは、各国の王侯貴族を相手にする職人で、その目にかなった人間にだけ龍にちなんだ刺青を入れ、刺青を持つ者だけが龍神の祝福が受けられると言われていたため、どの国にも重宝されていた。

 安住の地を持たず、国々を渡り歩く蒲牢ほろうの一族は、かつて素晴らしい彫師を輩出していたが、人喰いの妖鳥を使役して街を襲う事件が起きたせいで、煙たがられる存在になってしまった。

 さらに時が流れ、守護神の血を引く国々の王族に、体にあざが浮かび上がるという異変が表れ始めた。代を重ねるほどあざは鮮明になり、またあざを持つ者は例外なく強力な守護神の力を受け継いでいた。

 彫師の選定がなくとも、誰が王座に相応しいなんてあざを見ればすぐに分かる。そのため、必要とされなくなった彫師は、いつの間にか人々の視界から消えた。


 彫師を父に持つ娘がいた。

 父親は技の全てを娘に仕込んで世を去ったが、娘は父の跡を継がなかった。国々を渡り歩く生き方にも嫌気が差し、蒲牢の一族に比較的寛容な螭吻ちふんの国に留まり、刺繍の職人になった。

 器用な手先から生まれた刺繍はどれも見事なもので、彼女の評判は瞬く間に広がり、王宮にまで轟き、専属の職人として招かれ、王宮で生活し始めた。

 王宮での暮らしが続くと、王室の噂話などもよく耳に入るようになった。

 この国の前女王だったお方は四人目の子を生んだ直後に崩御し、次の王は四人の子供のうちの誰かがなるのだという。彼女は圧倒的な力を持っていたあざ持ちで、その子供らもさぞや立派な後継ぎになるだろうと期待されていたが、長女は生まれ持ちのひどい発作で、長男は不慮な事故で、どちらも成人する前に亡くなってしまった。

 職人である娘を気に入って召しあげたのは、前女王の次女だった。

 王女様はあざ持ちの王族特有の発作を持ちながらも負けない強い精神力の持ち主で、凄腕の武人を打ち負かしたり、地方にのさばる賊を一夜に殲滅したりと逸話が絶えない方で、それゆえ臣の信頼も厚かった。

 そんな王女様は職人の娘と年が近いせいか、よく自ら作業場へ足を運んでは、興味深げに娘の仕事を眺めていた。

 

 ある日、娘が独りで仕事をしていると、王女様は護衛を付けずにふらりと作業場に立ち寄った。

 刺繡の仕事は楽しいかい、と王女様は娘に聞いた。

 皆に必要とされるから続けているにすぎません、と娘は返した。

 職人とは、自分の仕事に愛着と誇りを持つものではないのか、と王女様は怪訝そうに聞き返すと、

 向いているから続けているだけで、愛着や誇りにしがみついて、生き残る道を見失うような人にはなりたくありませんから、と脳裡に父親の顔を思い浮かべながら、娘は答えた。

 その答えが気に入ったように、王女様は微笑みを浮かべながら娘に命じた。

 今宵皆が寝静まった後に、私の居所に一人で来なさい。このことは他言無用だ。


 娘は王女様に言付けられた通り、深夜一人で王女様の元へ参じた。

 恐ろしく豪華で寒々しい居所には、娘と王女様の他に、王女様の弟もいた。悪夢でも見ているのか、眠っている幼い男の子は青白い顔して、時々小さなうめき声をあげていた。

 王女様は弟の寝間着をはだけ、その背中を娘に見せた。爪痕のようなあざが、幼い体にくっきりと浮かび上がっていた。

 あなたの腕ならできるだろう。これと同じ形の刺青を、私の背中に入れなさい――

 王女様は娘に命じた。


 娘は命に従った。彼女は王の器量を問う彫師ではなくただの刺繍職人で、これは布の代わりに肌に模様を入れる仕事に過ぎなかった。

 娘が刺青を施している間に、王女様は痛みを紛らすために話を続けた。

 何十年も前に、彼女の母親――つまり前女王様――には、兄がいた。気の弱い小心者なところもあるが、貧民を救済する策を敷き、多くの人を救った。

 しかしそんな兄をほかの貴族たちは嫌っていた。気概がない、威厳がない、弱すぎて情けない。そんな批判の中で、あざ持ちの女児が生まれ、貴族たちはこぞって女王即位への賛同を示した。

 そしてあざ持ちの女児が成人を迎えた日に、兄は何者かによって毒殺され、その死を悲しむ者は一人もいなかった。


 おじの話を聞かされ、同じくあざを持たなかった王女様は、自分を守るためにあざ持ちを装うことにした。

 苦しそうに暴れれば、周りの人はそれがあざ持ち特有の発作だと勝手に納得した。

 武術の稽古では、戦う相手の武器に小細工をしたり、感覚を鈍らせる薬を撒いたりすれば、ぎりぎりで勝てた。

 賊退治などは、裏で間者と金をうまく動かせば、大体仲間割れで賊は自滅した。

 そのからくりも知らず、王宮にいる有力者たちはまんまと騙され、王女様をあざ持ちと思い込んだ。

 それでも王女様の危惧は消えなかった。自分の体にあざがないことがばれれば、臣下たちは一斉に手のひらを返すだろうと。

 

 ――さすが彫師の腕だ、これなら誰が見ても疑うまい。

 王女様は鏡越しに背中の刺青を見て、満足げに頷いた。

 娘が彫師の家に生まれたことも、王女様はとっくに知っていて、自分の欺瞞を完璧にするために彼女を王宮に入れたのだった。


 同じ形の刺青になさっては、どちらかが偽物だと疑われませんか、と黙々を仕事を終えた娘は、唯一の疑問を口にした。


 十一人だ。

 王女様は振り向かずに答えた。


 そこに眠っている弟が殺した人の数。あざ持ちの彼に宿っている力が強すぎて、感情が高ぶるだけで触れる人を死に至らしめた。

 生まれた瞬間に母上を殺し、それから乳母を、使用人を、私のもう一人の弟を、意識もないまま殺した。

 こんな化物が王座に就くまでどれくらいの人が死ぬと思うかい、王になった後も、どれくらいの人を殺すと思うかい。

 一人だけなら、偽物だとも言われまいよ。


 自分に協力してくれたお礼に、なんでも願いを叶えよう、と言う王女様に、娘は王宮を離れることを願い出た。

 王女様は快く応じ、巨額な路銀を与える代わりに、秘密を守ることを誓わせた。

 娘が王宮を離れた日に、王族の住まう宮殿の一部が大火で焼け落ちたそうだが、もう彼女に関わる話ではなかった。


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 強い力をもって生まれた子供に体に浮かぶ「あざ」、それは強さの証明と見なされ、あざ持ちの人こそ王座に相応しいという考えが広がり、国々の常識となりつつあった。これはそんな中で祝福されなかった者のささやかな抵抗のお話でした。

 声の主は締めくくった。

「もしかしたら、大昔にもあざ持ちの人がいたのかもね。あざがない人を助けるために偽物の刺青を入れて誤魔化して、それがいつの間にか『龍神様の祝福』と言われるようになって、彫師の職業が生まれたのかも」

 子供は思いをはせた。

 そうかもね、因果は巡るものなのさ、と声の主は相槌を打った。

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 ごめんね、あなたの痛みを肩代わりできなくて。これが国を背負う痛みでもあるんだ。

 彼女の母親は、姉が発作に苦しむ度に繰り返し謝っていた。

 私の母――あなたたちのおばあさんは、昔、友人の医者と約束を交わしたそうだ。彼女は王宮に残って国を支え、その医者は王宮を出て、あらゆる国をまわって、あざの痛みを消し去る薬を作って迎えに来るって。

 それはとても難しい道だけど、その医者も、その医者の子供達も、今も約束を守って頑張っているんだ。だからあなたたちも諦めずに頑張って。

 だから彼女も頑張った、母親を、姉を支えるために。

 姉が死に、母が死んだ後は、弟を助けるための方法を探し続け、やっと母親の話に出た医者の血縁者にたどり着いた。

 喜ぶのもつかの間、その人は配偶者と共に既に鬼籍に入り、残されたのは刺繍職人である一人娘だけだった。

 医者ですらない娘がどこまで知っているかは賭けだったが、藁にも縋る思いで彼女を王宮に入れた。

 娘が王宮を辞する前に夜闇に乗じて弟をさらったのを見て、何代も前に交わされた約束はまだ生きていると確信した。

 見事に賭けに勝ってみせた彼女はもぬけの殻となった弟の寝所に火を放ち、燃え盛る炎をもって二人を見送った。

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