其の四十六・とある信者の話(元桑534・嘲風)

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 弱き人たちを守るために、世界の創造主である龍神様は九柱の守護神を遣わし、恐ろしい獣らを退け、大陸の人たちに信奉され続けてきた。龍神様は唯一無二の神様で、絶対的な存在だった。

 声の主はおさらいするかのように話した。

「でも、海の向こうはまた違ってくるでしょう?」

 その通り、と声の主は一つ頷き、海の向こうには「龍神」ではなく、「仙」を信奉する文化があり、そこから人が大陸に渡ってくるように、大陸の中から海の向こうへたどり着いた人もいるんだ、と説明した。

 じゃあ、とある信者のお話をしましょうか。

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 その昔、とても敬虔な信者がいた。彼は毎日世界を創造した龍神様に祈りを捧げ、感謝の気持ちを胸に生きてきた。

 ある日、信者が乗っている船が嵐に巻き込まれてしまった。三日三晩、鉛色の雲と墨色の波に揉まれた船は粉々になってしまい、全員が海に投げ出されてしまった。


 再び意識を取り戻した時、信者はどことも知れない浜辺に打ち上げられていた。ひどいけがで身動きできない彼を、見たこともない服を身にまとった人たちが自分たちの住処を連れ帰った。

 そこで信者は、異人たちのおさらしき中年の女性に引き合わされた。

 塩の水の果てより迷い込んだ者よ、仙郷へようこそ――

 博識な長の女性は、信者にも分かる言葉で彼を労った。

 美味しい食べ物に、腕のいい医者、すべてを差配した長に、彼は感激と感謝の気持ちを込めて、あなた方に、神様のご加護がありますように、と祝福した。

 しかし長の女性は首を傾げながら聞き返した。

 神とは、いかなるものだろうか?

  

 偉大なる創造神を知らない人間が存在することに、信者は衝撃を受けた。なんとも無知で哀れなことであろうと思った。

 そして信者ははっと気づいた。この地に流れ着いたのは、信仰心の大事さを人々に知らしめるための神の導きに違いありません。

 龍神がいかに世界を創造し、人喰いの恐ろしい獣を駆逐し、守護神を遣わして人々の生活を守った……

 信者は神様にまつわる話を熱心に語った。


 私たちが踏みしめている大地や全ての生き物までその神によって作られたものだというのなら確かに偉大なる存在と言えるだろう。しかし人が生まれる前の天地創造の様子を、いったい誰が目撃して、それを後生へ伝えたのだろうか。

 ひとしきり語り終えた信者に、長はおもむろに尋ねた。

 なんと不敬な、龍神様の存在をお疑いなのですか!龍神様はいわば万物の母なる存在で、数々の奇跡を施してくださいました。これは誰もが知っていなければならない事実です。その不明を正さなければ龍神様のご加護をなくしてしまいます!

 長の言葉に、信者は激しく驚き、その愚かさを憐れんだ。


 気に障ったのなら済まない、してそのご加護というものはいかなるものだろうか。それによってそなたらは奇跡を体験し、龍神様への確認を持てたのであろうか。

 長は信者に謝り、こう聞き返した。

 我々は龍神様によって生かされていますから、感謝の気持ちを常に抱いていなければなりません。日々を感謝しながら過ごせば、見守っている龍神様は天の気を整えてくださり、水害が収まり、山が崩れず、秋の収穫が増えます。国も整って、戦争は起きません。

 信者は懇切丁寧に解説し、長を回心させようとした。


 水の流れる方向を導けば水害は減らせる。豪雨や過度な伐採に気を付ければ山は崩れない。秋の収穫を増やせるかは働き手の知恵と勤勉さ次第だ。国が整うのかは、采配を取る指揮者の腕次第だと思うが、頼るべきは神ではなく、人自身の力ではなかろうか。

 長は難色を示しながら自らの意見を述べた。

 人でありながら身の程を弁えないとはなんと嘆かわしい!人の力には限界があり、途方もない困難が立ちふさがる時もあります。そんな絶望的な状況に立たされた時、神のご加護を受けた人だけが助かるのですよ!私はまさに神のご加護のおかげで、船を飲み込んだ嵐から生き延びたのです!

 信者の声はますます熱を帯びた。


 あなたが助かったのは神のご加護があったおかげというなら、何故神様は船に乗り合わせた全員を助けなかったのだろうか。荒波にのまれた者の全員が、死を罰せられるほどの大罪を背負っているのだろうか。

 長はにわかに信じられない表情で問い返した。

 神様は試練をお与えくださったのです!絶望的な状況に置かれて、なおも信心を失わない人だけが救われるのです!私は誰よりも信心深かったから救われて、ここにいるのです!

 信者は胸を張ってきっぱり答えた。


 長は信者の言葉を吟味するように目を閉じ、しばし考え、再び口を開いた。


 そもそも何故〈龍神様〉なのだろうか?

 蟻の群れの頂点に立つのは女王蟻。獅子の群れを率いるのは雄の獅子。生物はなべて同じ種族で群れを成し、群れの頂点に立つのもいつだって同じ種族の同胞である。

 なのにそなたの言う神様は、何故人の形ではなく、龍の形をしているか。

 何故人を守護するのに、信心深さを求めるのか。何故信心深さを測るために、平気で命を見捨てられるのか。

 龍の姿かたちといい、加護の代償を欲する所といい、むしろそなたの話に出ていた人の命を脅かす「獣」に近い気がしてならない。

 龍神様は本当に人の守護神なる存在だろうか――

 長は重ねて聞いた。


 信者の頭は一瞬真っ白になり、口をぱくぱくと動かして、やっと一言発した。

 神を信じないあなたたちは、いったい何を信じて生きているのですか。


 私たちは<仙>になるために修行をしています。

 神の加護を乞うのではなく、自分の身を鍛え、高みへと昇る。神の助けを待つのではなく、自ら人を助け心を研ぎ澄ましていく。誰かを推し量るのではなく、自身の器量を量って磨き上げる。不死の仙人になるために、修行を重ねている。

 長は伝えた。


 たかが人間の分際で、不死の領域に達しようと願っているほうがよほど馬鹿げている、と信者はあきれ果てたが、すぐに笑みを浮かべた。

 そういう話なら、どちらが正しいか証明するのは簡単だ。

 

 誰もその行動を予想できなかった故に、すべては一瞬で終わった。

 信者は長の近侍から短刀を奪い、躊躇いなく長の胸に突き立てた。


 何が不死の仙人だ、死んだのではありませんか。神を信じる私が生き延びて、仙人とやらの道を信じる愚か者が死んだ!これで我が龍神様の正しさが証明されました。神を信じない罰が下されました!

 地にくずおれた長の胸から血だまりがどんどん広がり、信者は腹を抱えてげらげら笑った。


 しかし、歓喜の笑いはすぐに止んだ。

 長の体がまばゆい輝きに包まれ、大きな光の玉と化した。燃え上がるように激しく揺らめいき、次の瞬間には人の形をなした。

 五歳ほどの幼い少女が死んだ長がいた場所に立ち、少し憐れむような、寝ぼけたような眼差しで信者を見上げていた。

 信者は、遭難して流れ着いた異国の土地で、不死の仙人の再生を目撃し、足を震わせた。

 同時に、奇跡を目の当たりにする衝撃よりもはるかに大きい恐怖の感情が、かの言葉の残響と共に彼の全身を駆け巡った。


『龍神様は本当に人の守護神なる存在だろうか』――


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 嘲風、その性質は〈不死〉――長きに渡って大陸から姿を消していた最後のひと柱の神は、いよいよ生まれ故郷から来た子孫たちとの再会を果たしたのだった。

 声の主はそう締めくくった。

「神を見たこともない信者が神をひたすら信じて、神である嘲風が神を否定するなんて、なんか皮肉だね」

 嘲風は自分が神だということを忘れたのかな、と子供は首を傾げた。

 更に皮肉なことに、信者は神に出会った衝撃で、神を信じる心を砕かれてしまった。信者という者は信仰によって生きる力を得ている。その力が強く大きいほど、覆された時の反動が大きくなる。

 敬虔さや信心深さは、崩せば狂気になる、と声の主は感情を窺わせない口調でぽつりと付け足した。

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