其の二十九・とある寄生虫の話(元桑321・狻猊)

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「六人目の英雄って、誰だったんだろう」

 子供はつぶやく。

 普通は文脈から考えて、おとり役になった鍛冶師を指してると思うけどね、と声の主は答え、次いで、違うと思うかい、と聞き返した。

「六国に六人の英雄、いかにも連合軍組みましたってのが、なんかきれいにまとまりすぎて気持ち悪いもん!」

 子供は嫌そうにぶんぶん頭を振った。

 そういえば、君は美談めいたきれいなお話はお嫌いですもんね、と声の主は軽く噴き出した。

「だって本当のにそうなら、なんで六人目は鍛冶師だってはっきり言わずに、五人そろってそれを黙ってるの?」

 じゃあ、とある寄生虫のお話をしましょうか。

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 遥か昔に、地上には強い力を持っている獣たちがたくさん生息していた。

 中でも特に強いのは、翼を持つ獣や鋭い牙を持つけものだった。やつらは非力な人を狩り、時には自分より弱い獣を狩った。

 そんな弱肉強食の世界に、他者の目をかいくぐり、息を潜んで生きる獣もいた。

 

 塵蜘蛛と呼ばれた弱い獣がいた。その名の通り芥子粒程度の大きさしかなく、兎でも足で踏みつぶすことがあるほど無力な存在だったが、寄生と擬態の能力に長けていた。

 針状の生殖器を持ち、自分よりも大きな生き物に卵を産みつける。神経を麻痺する毒素も共に排出され、卵を産み付けられた生き物は意思を奪われ、ただ機械的に生命活動を維持し続けるだけの存在となる。

 やがて卵は宿主である生物を内側から完全に溶かして吸収し、繭状に成長する。そして親蜘蛛が迎えに来て、我が子を繭から取り出す。

 繭から生まれた子蜘蛛は親と宿主両方の特性を受け継ぐ。蟻から同類を使役する方法を吸収し、兎から全面が見える視角を吸収し、蛇から更なる猛毒を生成する体質を吸収し……そのように、代を重ねるごとに強くなっていった。

 いつからか、塵蜘蛛は塵蜘蛛ではなくなった。

 鱗や甲殻で身を守ったり、毒や幻惑の術を操ったりする個体らが一番強くて大きい女王蜘蛛に従い、恐ろしい統率力で活動する。

 やがて女王蜘蛛の禍々しい赤の紋様から、「赫甲族かっこうぞく」と呼ばれる第三の部族が、二大勢力――空を駆ける獣「天翔族てんしょうぞく」と、荒野の覇者と称される獣「征野族せいやぞく」――にも一目置かれる第三の勢力へと成長した。


 しかし、獣たちの隆盛は長く続かなかった。やつらは守護神の力を授かった人々に打ち破られ、多くの血を流した。それでも辛うじて、地下世界へと逃げ込んで生き延びられたのは、ひとえに獣たちを憐れみ、味方になってくれた守護神――覇下はかのおかげだった。

 覇下より言葉と知恵を授けた獣たちは、手を取り合って人に対抗できなかったことを反省し、仲間同士の殺し合いは一切禁じると誓いを立て、月光が照らす幽玄の地に獣たちの楽園を築き上げた。

 獣のほとんどは肉食か雑食で、不殺生の誓いを立てても普通の動物――言葉と理性を持たない畜生ども――を食べれば済むので大して困らなかったが、女王蜘蛛が率いる赫甲族は別だった。

 赫甲族の産卵は宿主の命を奪う行為で誓いに抵触する。だからと言って普通の動物に卵を産み付けても、強すぎる毒に耐え切れず、宿主は即座に死んでしまう。

 不殺生の誓いは赫甲族の足かせになってしまい、女王蜘蛛をはじめとする強力な個体は子を増やせないまま、長い間一族の力がじわじわと削がれていった。

 長い時間が過ぎ、英気を養い、太古の時代以上の力を身に着けた獣たちは、地上へ戻るために、守護神を戴く人の国への侵攻を始めた。

 協力することを覚えた獣たちは絶大な力を人々に見せつけ、国々を竦みあがらせたが、長く地上に根付いた人々は数が多すぎて、制圧しなければならない土地も広すぎた。

 戦が長引いていくうちに、国々は足並みを揃え始め、獣に対抗する戦士たちも日に日に強くなっていた。

 ――だがこれこそが、長い間後嗣こうしに恵まれなかった女王蜘蛛が待ち望んでいた好機だった。

 女王蜘蛛は、ずっと宿主を探していた。龍神から生まれた守護神の力を持つ人なら、産卵に伴う毒に耐えられる優秀な個体もいるだろう。それを宿主にできれば、人側の戦力を削ぐことができる上に、覇下以外の守護神の力を吸収することもできる。

 女王蜘蛛が目を付けたのは、火の国の王子である青年だった。

 火の国は獣に対応するために奔走し、ほかの国々と協力の約束を次々に取り付けた厄介な相手で、軍を率いて戦場を駆ける王子も、そのうち獣に初めて勝てる人になれるほどの才を持っていた。

 女王蜘蛛は赫甲族の全員を動かし、王子の率いる部隊に奇襲をかけ、彼を生け捕りにして連れ帰った。二百年生き続けた女王蜘蛛にとっても、今度の産卵は子孫を残す最後の機会だった。


 すべては女王蜘蛛の思い通りに運んだ。

 女王蜘蛛は王子とその麾下たちに卵を産み付け、王子以外の全員が狂気と毒に侵されて死んだが、火の守護神の血が流れる王子だけは産卵の毒に耐えきった。それどころか、自我まで微かに残るほどだった。

 自我を保ちながら卵に内側から蝕まれ、完全に食われるまで希望を捨てなかった人の強靭さと愚かさを感嘆しつつ、年老いた女王蜘蛛は用心を怠らなかった。人に悟られないよう森の奥に巣くい、卵が宿主を食い尽くし、繭が成熟するまでの二年間、目を離さずに守り続けた。

 托卵する習性を持つ郭公かっこうという鳥が、自分の卵をほかの鳥に似せることができるように、繭から出る前の子蜘蛛には、「擬態」の能力を持っている。

 繭の中にいるうちは形を持たず、繭から取り出される瞬間に、最初に目にする生物と同じ形へ変化する。これは塵蜘蛛と呼ばれた時代から力の弱い寄生種として、捕食者の目を逃れ、さらにその庇護を受けて生き延びるための特性と言えた。ただしこの変化は不可逆的なもので、一度姿が定まると蜘蛛の形には戻れず、ただ変化した生物として生きて、死ぬ。

 だから、女王蜘蛛は自ら子を取り上げなければならなかった。


 繭が完全に成熟する直前に、女王蜘蛛の元に、獣たちの主力軍が火の国さんげい雷の国へいかんとの連合軍の挟み撃ちに遭い、救援を求めているとの知らせが届いた。

 負けたら戦線が崩れ、我が子に危険が及ぶかもしれないと考えた女王蜘蛛は、加勢することに決めた。

 戦に出る前に、女王蜘蛛は森の外の村に住む人々を襲い、腹いっぱい食べた。万一にも生き残りが出ないよう、村の住民全員を殺した。獣が荒らした気配が残る村には、人を含めた生物は一切近づかないから、繭を隠すのにも最適だった。

 女王蜘蛛は村の隅に網を張って繭を預け、意気揚々と戦場へ赴いた。

 

 女王蜘蛛は戦に助勢し、若き軍師である王子を失った火の国の軍勢はあっけなく崩れ、敗走した。

 女王蜘蛛は浮かれていた。敗走する軍勢が繭を置いてきた村の近くを通る可能性など念頭にもなく、惨敗を喫してなお死に絶えたであろう村を救う酔狂な人間がこの世に存在するなど夢にも思わず、ただただ束の間の夢を馳せていた。


 我が子が生まれる暁には、この地上の全てが獣の手中に収まるだろう――

 

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 後はご存知のように、女王蜘蛛よりも先に村に駆け付けた小部隊は繭から子供を見つけ、連れ帰って、王様の養子として育てた、と声の主は締めくくった。

「なんで養子の彼が狻猊さんげいの国宝を使えて、正義の英雄にまでなったのか、やっと納得した。彼には本当に、狻猊の血が流れていたんだね」

 子供は満足げに頷いた。

 本当は、血縁や出自に関係なく、自分の努力で英雄になりあがるほうが、胸熱の定番設定で受けると思うのに、と声の主は残念そうにため息をついた。

「英雄たちが戦を終わらせたってずっと言ってるけど、私はそう思わないね。命を投げ出しても英雄にはなれなかった鍛冶師や、戦で惨めに負けても村を助けようとした王様のような人たちがいるから、人はやっと獣に勝てたんじゃないかな」

 本当のことを隠して英雄ばっか強調するほうが、その人たちにとってひどい失礼だよ、と子供はきっと唇を引き結び、

「結局、六人目は誰だったわけ?」

 六人目は、覇下の国出身故に隠され続けた、〈裏切りの英雄〉だ。

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