其の二十六・とある養子の話(元桑325・狻猊)

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「獣たちに勝てたのは戦が始まって十年も経ってからで、英雄が現れたのはさらにその後か……なんでそんなに時間かかったんだろう」

 子供は不思議そうに首をひねった。 

 国々がバラバラで仲も良くなかったからさ。狴犴へいかんの国と螭吻ちふんの国は蒲牢ほろうの民を巡ってお互いを敵視していたし、囚牛しゅうぎゅうの国は籠城を決め込んでほかの国を助けるつもりは端からなかったし、睚眦がいさいの国は助力を乞う国々にどんどん報酬額を釣り上げるし、負屓ひきの国は獣に半ば植民地にされて孤立無援だったからね、と声の主は答えた。

「今まで仲の悪い者同士でも、共同の敵が現れれば手を取り合って戦う、とよく言われているけど、そんな簡単な話でもなかったね」

 国々の間に立ってわだかまりを解決させ、そのバラバラの状態を終わらせたのが、狻猊さんげいの国だったんだ。

 じゃあ、とある養子のお話をしましょうか。

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 人々が獣相手に負け続けていた頃の出来事だった。

 また敗戦を喫した国王は疲弊した兵士たちを引き連れて王都へ戻る途中に、山向こうの小さな村から煙が上がっていることに気付いた。

 戦える兵力がほとんど残されていないにもかかわらず、国王は村を見捨てることができず、小部隊を率いて助けに行ったが、村には大きな蜘蛛の獣が巣くっていたようで、村人はすでに一人残らず狩り尽くされてしまった。

 国王は、平屋よりも大きい蜘蛛の網にかかっている白い繭を見つけ、剣でそれを切り裂いた。

 繭から転がり出たのはまだ微かに息がある幼い男の子だった。

 国王は子供を抱え、蜘蛛の獣に嗅ぎつけられる前に部隊を連れて撤退した。


 村の唯一の生き残りである子供は、そのまま国王の養子となり、すくすく育った。

 獣の毒に侵されたせいか、子供は繭に閉じ込められる前の記憶はなかった。一方で、辛いことを忘れたおかげで、子供は底抜けに明るい性格の持ち主に成長した。

 彼は一国の王の養子であることを笠に着ることはなく、誰に対しても分け隔てなく接した。

 彼が向けるまっすぐで明るい笑顔に照らされ、絶えない戦火で曇りがちな人々の表情さえ明るく塗り替えられた。

 なんて明るくて暖かい子なんだろう、と周りの人々は口を揃えて言い、国王も彼を気にかけ、時には自ら手ほどきをしてくれた。


 絶えぬ戦のせいで、国王や偉い人たちは王宮を留守にすることが多く、そんな時、彼はいつも練武場で一人稽古をしていた。

 その日も一人で稽古していると、どこからか子供がつかつかと向かってきて、いきなり勝負しろと挑んできた。

 初めて見るその子は自分とさして歳は変わらず、身なりから地位の高い家の子供だと察せた。勝負に応じた彼は数手のうちにその子供を負かした。

 地に伏した子供は悔しそうに唇をかみ、彼を憎々しげに睨み、駆け去ってしまった。

 せっかく年の近い子に会えたのに、仲良くできなかったな、と養子の彼は残念に思った。


 しかしその後も、その子供は度々彼の元を訪れた。

 人目を避けるように大人たちのいない時を選んでは、彼に色んな勝負を挑んできたが、彼に勝ったことは一度もなかった。どうして子供がここまで勝負に固執するのか分からないが、遊び相手が増えたような気がして、養子の彼はだんだんそれが楽しくなって来た。

 ある日、その子供は肝試しの勝負を持ち込んできた。


 王宮から出たところにある山の中には、地下の祭殿に通じる通路が隠されている。

 そこには国を作った初代の国王の得物である手斧が眠っており、主が亡くなってから誰もそれを持ち上げることが叶わず、そのまま周りに祭壇を作って祀り上げたという。

 何百年を経た今も手斧は朽ちず錆びず、亡き主の帰還を待っている。夜が更けると、祭壇の周りに人魂らしきものが漂うのを見たという見張り番が何人も出てから、誰も祭殿に近付けなくなった――

 子供はこう語りながら、養子の彼と共に、月明かりを頼りに神殿へ通じる山道を進んだ。 

 祭殿に入って人魂があるかどうか見てくる、それが肝試しの内容だった。

 提灯の明かりを頼りに暗い地下通路を進み、子供を祭殿の扉の前に残し、養子は先に神殿の中に踏み込んだ。彼は恐怖の気持ちを押さえつけながら進み、手斧を祀る祭壇に手を合わせ、人魂が出なかったことにほっとし、踵を返した。

 しかし、彼は祭殿から出ることはできなかった。

 子供が外から扉を閉ざし、彼を中に閉じ込めた。


 お前なんかいなくなればいい。父上もみんなもお前に構って私のことなんか見向きもしない。私のほうが本当の息子なのに!

 扉越しに憎しみに満ちた叫びが聞こえた。


 隙間風が提灯の明かりを消し、周りは真っ暗になった。


 養子の彼には一つだけ苦手なものがある。

 暗闇だ。

 繭の中に閉じ込められていた記憶は、暗闇はあがいても抜け出せないないものだと彼の心に消えない恐怖を刻み込んだ。

 蘇る恐怖に彼はうずくまって頭を抱え、自分を飲み込もうとする闇に震えた。


 その時、遠くから咆哮と悲鳴が同時に響いた。

 彼をおき捨てて地下通路を戻った子供が、地上で獣に遭遇してしまったのだ。

 二人がこっそり王宮を抜け出したことを知る人はいない。誰も助けには来ない。

 そう思うと、彼は萎えた足を震わせて立ち上がった。闇への恐怖に歯をがたがた鳴らしながらも、捨て身で扉にぶつけた。

 

 繭の中に閉じ込められ、一人でどうしようもなかった時、闇を切り裂き、光をもたらしてくれた人がいた。

 その人と同じようになりたい、と彼はずっと願っていた。

 闇に溺れそうな人がいたら、手を差し伸べて、光のあるところに引き上げてやらなければならない――

 その一心で、彼は己の恐怖をねじ伏せようとした。

 誰かを守る力が欲しい。誰かを守るために戦う武器が欲しい――

 彼は振り返って暗闇を突っ切り、こけつまろびつ祭壇にたどり着き、手斧の柄を掴んだ。

 

 手によく馴染んだ斧を振るい、妖鳥の両翼を切り落とすのは造作もなかった。

 手斧から迸る炎は凶悪な獣を飲み込み、その巨躰を焼き尽くした。


 助けられてよかった。さあ、一緒に帰ろう。

 養子の彼は、放心したように地に座り込んでいる子供に手を伸ばした。


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 狻猊の国の至宝を手に入れた養子の彼は、それから人のために自分の力を振るう清い心を持つ少年へ成長し、やがて戦を終わらせる六人の英雄の中心人物となった――

 声の主は締めくくった。

「でも、きっと国王の子供は生涯彼を許せないよね。だって父親や周りの人だけでなく、国宝の手斧ですら、本当の王族ではなく、養子の彼を選んだのだから」

 助けられても仲良しにはなれないのね、と子供は小さくため息をついた。

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 私には、息子が二人いた。

 上の息子はやたらと優秀なやつだったけど、何年も前に出兵した時に獣の待ち伏せに遭ってね、部隊が全滅して、死体すら見つからなかったよ。下の息子は君と同い年で、まあ、見ての通り、普通の子供だよ。だから優秀な君を目の前にして、みっともなく嫉妬してしまったんだろう。代わりに詫びよう。本当にすまなかった。

 息子の存在を伏せてた訳でも、疎んじていたわけでもないんだ。こんな時代だから、優秀な人ほど早死にする。私はすでに一人子供を失った。なら凡庸のままでいい、戦からも政からも遠ざけて生きて欲しいというのは、親心というものだ。

 君の村を救えなかった罪悪感から、せめてもの罪滅ぼしのつもりで君を養子にしたに過ぎなかった。まさか養子の君が、国の至宝の継承者に認められるとは……いや、まさにその逆だよ。

 ……ほっとしたんだ。選ばれるということは、これから否応なく戦に身を投じる羽目になることだから、実の息子じゃなくてよかった、とね。

 私は君が思うほど立派な人間ではないのだ。

 そんな私を、君は軽蔑するだろうか。

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