幕間・堕神の乱(元桑301~元桑333)

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 守護神の導きによって、六つの国が誕生したばかりの時代より伝えられる「千年の歌」があるという。


≪神の子らは、与えられし加護によって千年の繁栄を享受することができよう。

 ただし太平に浸らず、栄華に溺れず、三度みたびの岐路に用心せよ。

 一度ひとたびは、地の底へ至る闇の下り道。異形への恐れは、時には抗う力となろう。

 二度ふたたびは、天の頂へ至る光の上り坂。神性への憧れは、時には蝕む毒となろう。

 三度みたびは、末の世へ至る虚の袋小路。人たる不屈さは、時には切り裂く刃となろう≫


 いかにも人々の憧憬や畏敬の念をかきたてる抒情的な言い回しは、神話時代を記すおとぎ話や寝物語のたぐいとして受け継がれていったが、人々の考えを改めさせる出来事が起きた。

 退治され、姿を消して久しい獣たちの襲来である。


 蒲牢ほろうの民への迫害を巡り、狻猊さんげいの国と螭吻ちふんの国が一触即発の状態に陥った元桑313年、地面に突如黒いほらが開き、そこから凶暴な獣が湧き出る「洞喰ほらぐい」という現象が大陸各地に発生し、人々を恐怖に陥れた。

 絶滅寸前まで追い込まれたいにしえの獣たちは地下へ潜り、そこで独自の進化を遂げ、地上の支配者として返り咲くべく、侵攻を始めたのだ。

 人の守護神の座を降りた覇下はかの名を掲げた獣たちは、神授の力をまざまざと見せつけた。言葉を操って人心を揺さぶり、人の姿に化けて討伐軍を内側から切り崩した。

 獣を屠ることに長けた睚眦がいさいの国でさえ多大な犠牲を出し、自分らを守るはずだった神の一柱――獣側へ堕ちた覇下の神――に牙を剥かれた国々は狼狽うろたえた。

 そして、人々は「千年の歌」の一節を思い出す。


≪一度は、地の底へ至る闇の下り道。異形への恐れは、時には抗う力となろう≫


 それは、地中から這い出た獣たちの進撃を指し、岐路に差し掛かる人々を戒める予言なら、取るべき道も示されている。

 恐れ、抗え。

 国同士は共同戦線を張り、強敵に対抗した。

 その甲斐あって人の劣勢は食い止められ、じわじわと一進一退の消耗戦にもつれ込んだ。宿敵を倒す意思はやがて大きな流れとなり、英雄たる傑物たちを育んだ。

 元桑333年、六人の英雄の手により、獣たちは再び地の底へ封じられ、人の世はようやく平和を取り戻した。

 二十年にわたる大戦は後に「堕神だしんの乱」と呼ばれ、大陸に大きな傷跡を残しながら、人々の絆を強め、国々の団結を促す一戦となった。

 「歩みの歌」もまた、進むべき正道を説く予言として、人々の心に刻み込まれた。

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 長く続く歴史の途中に一つ句点を付け、書き続けた手を少し休める。

 机に広げた紙面には、まだ空白が多く残っている。


「――そういえば、あの子は予言なんて信じないみたいな話をしてた」

 紙の端をひょいとつまんで、遊ぶようにぺらぺらを音を立てる。


「おや、それは、誰かさんと違って、ずいぶんと賢い子だね」

 ちょっと大げさに感嘆する声は軽やかに響く。


「人の死を不幸と定義するなら、生まれて死に向かう人生なんて不幸以外の何物でもないだろうに、決定された不幸を再確認するような予言に縋る者は後を絶たない」

 全部がそれの繰り返しに見える時があるよ、と笑うように嘆くように息を吐き出す。


「なのに、飽きもせず書きとめるんだ」

 にこやかに応酬する声はひそかに笑みを噛み殺す。


「同じ場所に帰結するとしても、たどり着くまでの道は実に多種多様で、そこから目が離せないんだ」

 私もたいがい物好きだという自覚はあるよ、と声は開き直ったように宣言する。

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