其の二十二・とある移住者の話(元桑323・覇下)

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 他国から負屓ひきの国を切り離し、獣たちはほかの国との戦いを繰り返しながら、負屓の国民たちを使役していた。獣たちに逆らう勢力よりも、逆らえない人々のほうが圧倒的に多く、獣たちに服従することで平和が保たれる地方もたくさんあったんだ、と声の主は説明した。

「えっと……しょくみんち、みたいなもの?」

 子供は聞いた。

 まさにその通り、と声の主は一つ頷き、植民地の中では獣たちと人々が共存しているけど、そこに覆せない力の差がある限り、その平和はいびつで屈辱的な偽物でしかない、と付け加えた。

「でも、人と獣の間に生まれた姫様がいたように、人を敵だと思わない獣もいるんじゃないかな」

 じゃあ、とある移住者のお話をしましょうか。

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 遥か昔、人達に敗れた獣たちは、日の光の当たらない地の奥底で暮らしてきた。そこは月の光しか差し込めない世界で、昼には陽の月、夜には陰の月が空にのぼり、獣たちを照らしていた。

 やがて地下の息苦しさに耐えかねた獣たちは、日の光が降り注がれる地上へ戻ろうといくさを始めた。地上の土地を力づくで奪い、たくさんの獣たちが地下からそこへ移住した。

 地上へ移住した獣の中には、蝙蝠こうもりの子供がいた。

 蝙蝠の一族は夜行性の獣で日光を嫌うから、地上に移住しても、岩山を掘り抜いて作った日の差さないお家に住むしかなかったが、蝙蝠の子供はすぐに地上の世界が大好きになった。

 見たこともない風景や生物はもちろん、人々の住む街並みが何よりも好きだった。

 獣たちの住む地下にも街はあったが、手先が器用な種族が限られるため、大味で素朴な作りだった。人々の街はそれとは比べ物にならないほど精巧で、面白いからくりに満ち溢れていた。

 しかし街に住む人たちは獣を怖がるから、蝙蝠の子供はいつも人の姿に化けて街に通い詰めた。そのうち、よく見かけた人の子供と友だちにもなったりした。

 初めてできた友だちは、いつも長い髪を後ろにまとめ、きびきび動く働き者の女の子だった。その子は蝙蝠の子供にいろんな遊びを教え、美味しい屋台に連れて行ったりした。

 私の両親はこわい獣が街に入ってきた時に殺されたの。いつか大人になって、獣たちのいない平和な場所で暮らしたい。

 女の子にそう聞かされた蝙蝠の子供は、自分は本当は獣だと打ち明けられるわけがなかった。


 生物の血を吸わないと生きていけない蝙蝠の一族にとって、人は食料に過ぎないのに、女の子と一緒にいるほど、蝙蝠の子供は、人々に親しみを感じるようになった。

 確かに人は獣ほど丈夫でも力強くもないけど、それを補う器用さや優しい思いやりを持っている。そんな人たちともっと仲良くなりたい。

 捕食者を恐れる人と仲良くなるためには、捕食者であることをやめなければならない、と考えた蝙蝠の子供は、食事を拒むようになった。

 家族らがどんなに説得しても、蝙蝠の子供は血を一滴も口にせず、挙句の果てに衰弱し、起き上がれなくなってしまった。

 やがて困り果てた父親は、我が子のために珍しい花を探してきた。

 涼やかな銀色に輝くその花の蜜を口にすると、蝙蝠の子供はまるで血を飲んだように体に力が戻ってきた。

 これは夜にしか咲けない月光花で、その蜜は生き物の血の代わりになる。日の光を浴びると枯れてしまう珍しい花だから、絶対に外には持ち出すな――

 父親は強く念を押し、その花は岩山の中にある家の庭に植えられた。

 蝙蝠の子供はそれから、花の蜜だけで腹を満たし、血を啜ることはもちろん、生物を傷つけたりしないように心掛けて生きた。

 いつか獣が人を見下すことなく、人が獣を恐れることなく暮らしていけるように、と願いながら。


 人と獣との戦いは十年以上続き、獣たちが支配するこの地域にも、不穏な気配が漂うにようになってきた頃、女の子が成人の日を迎えた。

 蝙蝠の子供は初めて彼女の前で人の姿を解き、獣であることを打ち明けた。

 女の子はさほど驚かなかった。長い付き合いの中で、うすうす気づいていたのかもしれない。

 蝙蝠の子供は、自分たちのことをもっと知ってほしいと伝え、初めて女の子を家に招いた。

 闇に蕾を揺らす月光花に埋め尽くされた庭を通り抜けながら、蝙蝠の子供は語る。

 私は獣と人との戦いを望まない。私たちが仲良くできるように、獣と人は仲良くできるはずだ。殺し合いや憎しみ合いではない関わり合い方で、一緒に生きていこう――

 くたりと倒れる音に振り向くと、蝙蝠の子供は、後ろを歩いていた彼女が月光花に埋もれるように伏しているのに気付いた。

 慌てて助け起こしてみると、その手足は氷のように冷たく、顔色は蠟のように白かった。

 かたい蕾だった月光花はいつの間にか咲き乱れ、白銀の輝きと共にかぐわしい蜜を滴らせていた。


 月光花は、我ら獣以外の生き物の血を吸って成長し、蜜を作り出す。我ら一族の先祖が手早く食料を集めるために育てた植物だが、踏み込んだ生き物の血を一気に吸い尽くし、根絶やしにしてしまうからたちが悪い。君がどうしても食事を摂らないから、しかたなくその花を探してきたんだ。

 父親は息絶えた人間を抱えて庭にうずくまる我が子を一瞥し、ため息交じりに告げた。

 君がどんな夢を抱こうが構わないが、血を糧とする己の性までは変えようがないのだ。

 今度気に入った人間がいたら、花に食わせず、小分けして血を吸うことだな。

 

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 狼は羊と友達になれても、肉食から草食に転向はできないように、この移住者の子供も自分を構成する獣の枠組みを飛び越えることはできなかった。そのはかない願いは成就されず、ほどなく各国の援軍が国境を越え、植民地のかりそめの平和を終わらせた――

 声の主は締めくくった。

「本当は羊と友達になるためには、羊さえ食べなければいいのに、お肉いっさい食べないと変に頑張りすぎるから、無茶がたたったんだよ」

 でも羊以外の牛や馬をがつがつ食べる狼を、羊は安心してそばにおいておけると思う?と声の主は聞き返した。

「その羊もお友達になりたいと思ってるなら、その狼とだけは仲良くできるんじゃないかな」

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 前を歩く姿を見て、彼女は無意識に脇に隠し持っている懐刀ふところがたなをさする。

 初めて出会ったのは、まだ子供のころだった。そいつは人の形に化けていたが、常識外れで突飛な行動から、なんとなく獣だと分かった。

 親を獣に殺された彼女は、獣が憎かった。その獣が恥ずかしげもなく人の姿に化け、街を闊歩するのを許せなくて、彼女は懐刀を研いで自分からその獣に声をかけた。

 隙をみて親の敵を討とうと考えていたのに、無邪気な笑顔を向けられ、決心が鈍った。

 機会はいくらでもある。もっと親しくなってからが確実だ。もっと信頼してくれたほうが警戒心も薄まろう。

 親の敵を討ちたい。

(でも殺したのはこいつじゃない)

 獣が憎い。

(でもこいつはほかの獣とは違う)

 結局十年過ぎた今も、懐刀は隠し持ったままで一度も使われることはなかった。

 共に生きようと告げられ、何をばかなことを、とあざ笑いたかった。にもかかわらず、その言葉を信じたいという気持ちは抑え込んでも抑え込んでも消し去ることはできなかった。

(一度だけ。一度だけ信じてみよう。裏切られたら、その時こそ懐刀をその胸に突き立てればいい)

 彼女はそう自分に言い聞かせ、彼の家に通じる花の咲く庭に足を踏み入れた。

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