其の二十三・とある墓守の話(元桑326・狴犴)

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 大陸の支配者の座を賭けた獣と人との戦は、最初の数年間は獣たちの圧勝で多くの土地が陥落したけど、それに屈さない人々の努力で、獣たちの侵攻の勢いは徐々に鈍くなっていった、と声の主は説明した。

負屓ひきの工匠たちがすごい武器を鍛えたように、きっと色んな人が自分にできることを探して頑張ってたんだろうね」

 戦乱の時代だからって、すべての人が出征して戦いに明け暮れるわけじゃないんだ。兵士がいれば農民もいて、物売りや占い師、歌うたい……目の前の戦の勝敗とは関係のない所で生きている人たちもたくさんいる。

 じゃあ、とある墓守のお話をしましょうか。

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 物心つく前から両親に連れられて、色々な廃墟に出入りする子供がいた。

 人の気配が感じられない建物の中は声を出すと響き、歩を進むと埃が舞った。

 薄暗くて気味が悪いと怖がっていたのも最初だけで、それらの廃墟はすぐに子供の遊び場となった。

 幼い彼は見たこともない生き物の絵が描かれてたひび割れた土壁の周りでかくれんぼしたり、奇妙な模様の入っている置物が並べられた棚によじ登ったりした。

 はしゃぎすぎないようにと彼を注意しながら、両親は崩れかかっている壁を直したり、埃まみれの置物をきれいにしたり、手に持っている書簡に何かを夢中に書き込んだりした。


 少し大きくなってから、子供はそれらの廃墟が大昔の人が眠っている墓だと知り、両親はそれらの墓の修繕と保護に精を出していると知った。

 しかし、周りの人達の目はいつも冷ややかだった。

 過ぎたものは滅びていく定めにあるのに、なぜわざわざ守ろうとする。それには何の意味がある。

 かび臭い遺物を愛でる暇があるなら、もっとまともな仕事について、みんなのためになることをしたらどうだ。

 皮肉を込めて、人々は彼の両親のことを「墓守」と呼んだ。


 同じ年頃の子供たちから墓場で遊ぶ変なやつだと揶揄われた彼は、両親に聞いた。

 どうして誰の役にも立たないものに時間をかけているの?過ぎた昔よりも、今のほうが大事じゃないの?


 砂漠の中を進む旅で、一番心細いのは行く先が分からなくなった時だ、と思う人が多いけど、もっと心細く感じるのは、足跡が砂に埋もれて見えなくなった時なんだよ。

 彼の母親は優しく答えた。

 道に迷っても、自分の歩いてきた足跡を振り返れば、ある程度の見当はつくし、何よりも「これだけ歩いてきたんだ」という実感に勇気づけられる。

 でも足跡がないとどうなるのだろう。自分がどこから来たのか、どこまで進んだのか分からなくなる。それは行く先が分からないことよりも、もっとずっと恐ろしいことなんだ。

 その足跡というのは、人が歩んできた過去の積み重ねなんだよ。

 前を向いて進んでいる時は、誰もわざわざ足跡を振り返ったりはしない。でも、道に迷ったり、目標を見失ったりする時、人は足跡を顧みて、やっと前へ踏み出せる。


 分かるようで分からないように首を傾げる子供を、父親はぽんと頭に手のひらをのせた。

 つまり過去を知ることが、未来へ繋がるんだ。墓守だって、立派なお仕事だぞ。


 数年後、戦が始まった。

 長く続く戦で、人々の暮らしがどんどん苦しくなったが、悪いやつらを倒さなければならない強い意志だけはくじけなかった。

 武器を鍛えるための材料が足りなくなり、人々は昔の人の墓に目を付けた。

 墓を暴き、武器に鍛え直せる物を漁って持ち去った。

 彼の両親は、墓を守るために奔走した。

 今まで歩んできた足跡を消してしまったら、いつか自分の立つ場所も崩れてしまう。

 しかし墓守の説得の言葉はかえって人々の怒りを買った。

 死んで骨すら残ってない人間を守るために、生きた人間が犠牲になってもいいというのか。今を生き残れなければ、過去なんて何の意味も持たない。


 彼は自分の両親がどれだけ墓の保全に心血を注いでいるかずっと見てきたが、家族を戦で失ってなお戦う意志を失わず、抗い続けようとする人々を止めることもできなかった。

 そうこう迷っているうちに、事故が起きた。

 墓所に入ろうとする人たちを止めようとした母親は、もみ合いのはずみで、崖から落ちて死んだ。

 父親は悲しんだ。妻の死を嘆き、共に守ってきたものが壊されたことを嘆き、そしてまだ荒らされていない墓を守るために、妻の亡骸と息子の彼を残し、家を出た。

 彼が父親の死を知ったのは、ほんの数日後だった。

 父親は、龍神が地を治めていた時代の物だと伝えられた一番大きく古い陵墓を守るために、その入り口を崩し、中へ通じる道を塞いだ。

 運命を共にするように、その道が落石によって塞がれていくのを、内側に立って見守っていた。


 本当に命をかけて墓を守るなんて、狂ってる。

 憤る人々は言う。


 彼は人目を忍んで、国中の墓を巡った。

 壁画は移すことは叶わないが、運べるものを選んだ。幼いころから両親からたくさん教わったから、貴重で大事なものはどれなのか、判別することは難しくなかった。

 運べる限りの物を荷車に積んで、彼は国を出た。


 隣国は結界に守られ、戦に参戦していない唯一の国であり、文化や芸術にこだわる国でもあった。

 彼は運び出した遺物を引き渡す代わりに、戦が終わるまでこの国での滞在を許してほしいと願い出た。

 彼の差し出したものの価値が分かる国王は目を輝かせ、彼の要求を快く受け入れた。

 これらの宝物は今後わが国の物となるが、本当にそれでいいのだな、と国王は念を押し、彼はそれに頷いた。


 両親は、過去の足跡は未来へ繋がると言い、過去に殉じました。私にはそれが理解できませんでした。前へ歩む人がいなければ、足跡を残したって何の意味もありません。

 私は墓守として死ぬつもりはありません。生き残って、未来へ進みます。

 いつか彼らが私の盗み出したものの価値に気付き、盗人の裏切者とののしる日が来るまで生き延び、見せつけてやりますよ。


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 国の人々の味方にもなれず、両親の味方にもなれなかった青年は、墓守の職務を放棄し、他国で居場所を見つけたとさ――

 声の主は締めくくった。

「そのお仕事、墓守っていうんだね、今でいうと何のお仕事?」

 興味津々に聞いた子供に、考古学者が一番近いかな、と声の主は答えた。

「昔のお話を守る仕事か~でも分かってくれる人が周りにいないのって、つらかったんだろな」

 どちらかに決められるなら楽に生きられたのに、どちらも選べなかった彼にとって、逃げることが最善の選択だったのかもしれない、と声の主は言った。

「大事なものを守り切ったのに、逃げたなんてひどいよ。それに、彼はしか囚牛しゅうぎゅうの国にはいないんでしょう?」

 口は悪いけど、なんだかんだ言っていつか故郷に戻って、墓守として生きていくんじゃないかな、と子供は結論付けた。 

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