其の二十四・とある人殺しの話(元桑326・囚牛)

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「墓守は大切なお宝を守るために囚牛の国に逃げ込んだって話だけど、囚牛しゅうぎゅうの国は獣と戦わなかったの?」

 囚牛の国は獣の襲来を確認した時点で城門を閉ざし、結界を強化し、籠城を決め込んだんだ、と声の主は説明した。

「囚牛って芸術の国だもんね、芸術家ってたしかに戦いに向かなさそう。それに、敵を殺さなくたって、誰かを守れるだけでもすごいことだと思う」

 子供はうんうん頷く。

 じゃあ、とある人殺しのお話をしましょうか。

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 そこは、堅牢な結界に守られている国だ。

 守護神の加護を受けた国民は、病気になりにくく、けがや呪いへの耐性も強い。

 この国において、人の命以上に尊いものはなく、いかなる理由があろうと、人を殺してはならない。その禁忌を犯した者は加護を剥奪され、死刑または追放の刑に処される。

 

 とある地主の家に生まれた双子の姉弟がいた。

 母は二人を生んだ時に亡くなり、時を置かずに大きな戦が勃発した。

 結界に守られたこの国だけは戦乱を免れ、平和な日々を享受していたが、よその国には苦しむ人々が大勢いた。

 大きな屋敷と広い土地を持つ地主の父は、避難所を作り、戦争で家族を失った他国の子供たちを迎え入れ、その世話をしていた。

 姉弟は物心ついた時から、いつもたくさんの子供達が周りにいた。

 最初は身なりがみすぼらしく、不健康に痩せている子供でも、少しずつ元気になり、独り立ちできると判断されると屋敷を出ていく。

 十数年にわたって戦争に苦しむ国々の子供たちを救済し続けた父は、姉弟の尊敬する対象であり、憧れでもあった。

 父のように、多くの人間を救える人になりたい、と二人は強く思った。


 二人が十三になった年の春も、屋敷の子供たちの入れかわりがあった。

 出ていくことになった子たちの中に、特に姉弟と仲の良かった少年がいた。二つ上の彼は二人を実の妹や弟のように可愛がり、面白いお話をいっぱい聞かせてくれた。

 弟はずっとそばにいて欲しいと泣きながら駄々をこね、姉も涙をこらえながら餞別に姉弟で作った腕輪を贈った。

 二人のことを思って、ずっと身に着けているよ。落ち着いたらまた会いに来る――

 それは別れ際に少年が残した最後の言葉になった。

 数日後、弓の練習を終え、狩場から帰った弟は、姉にあるものを見せた。

 血の付いた腕輪だった。


 避難所を出た子供たちは、どこへ行くの?

 腕輪のことを伏せたまま、姉弟は初めて父に聞いてみた。

 仕事を見つけて働くのさ。

 父は答えた。

 会いたくなったら、会いに行ってもいい?

 姉弟は聞いた。

 せっかく独り立ちした人に会って、つらい過去を思い出させるのは残酷だよ。

 父は首を横に振った。


 避難所から出た子供たちのことを知らないか、と姉弟は近所の人たちにも聞いて回った。

 さあ、よく分からないね、と首を傾げて否定する人や、視線を逸らして曖昧に笑う人ばかりだった。

 姉弟は、腕輪を見つけた狩場の近くを見張ることにし、そこで真相にたどり着いた。


 そこで行われたのは、見せ物の「狩り」だった。

 檻から放たれる飢えた肉食動物と、逃げ惑う獲物と、狩りを鑑賞する観客の群れ。

 異様な熱気に浮かれている観客たちは、誰もが目をギラギラを輝かせ、目の前で繰り広げられる狩りに夢中だった。

 倒けつ転びつ逃げ惑う獲物は、姉弟と顔見知りの子供の一人だった。護身用の小刀を持たされても獰猛な野獣の牙や爪に敵うわけがなく、それでも生き延びようと死に物狂いであがき、もがき苦しむ姿は注目する観客の歓声を沸かせた。

 観客の中には、いつも親切にしてくれる近所の人が何人もいた。


 平和な国ほど、退屈さが耐えがたいものなんだよ。

 足元の狩場を一覧できる席に座りながら、父はいつものように穏やかに語る。

 退屈さからいらつきが生まれ、壊したい、暴れたいという衝動が生まれる。抑えるだけではだめで、うまく発散する必要があるんだ。

 だから私は、みんなのために退屈凌ぎの遊戯を用意したのだ。


 姉弟の父は、戦が起きてから国々を巡った。

 孤児だけでなく、我が子を安全な国へ避難させたい親達から金を巻き上げ、それらの子供を連れ帰った。

 不参戦の国にいながら、他国の悲惨な戦況を耳にしては、密かに焦燥や苛立ちを募らせていた人々に、「人狩り」の娯楽手段を提供し、彼らの心の憩いをもたらした。

 子供たちの親から得た金は、戦で滞っていた貿易の穴埋めとしてあてがわれ、その地に暮らす人々の生活も保証される。

 地主である父の行為は、誰にも咎められることはなかった。


 人の命を奪ってはならない、それがこの国の法律ではないか。

 姉弟は父に問いかけた。

 私は血の繋がっている娘と息子や、同じ守護神の加護を受けた同胞ひとたちを愛している。けれどこの者たちは国民ひとではない、いくら死んだところで罪には問われない――


 たくさんの記憶が、二人の脳裏をよぎった。

 屋敷で共に過ごしていた子供たち。誰かと分かち合った嬉しいことや悲しいこと。幾度と繰り返される出会いと別れ。

 大事そうに腕輪を身に着け、優しく微笑みかける顔。


 父の胸に手を当てたのは、二人ほぼ同時だった。

 力を込めて押すと、父は自分が作り上げた狩場の舞台――子供を食い殺し、まだ口元の赤い野獣のもと――へ、落ちていった。


 身近に人殺しが出るなど信じられない、なんておぞましい。

 まさか親を手にかけるとは、鬼畜の所業だ。

 囁き声が野次馬の群れから聞こえ、姉弟はあたりを見渡す。

 人狩りの場面を狂熱の目で魅入っていた人らは、今度は嫌悪と軽蔑の眼差しを無遠慮に向けてくる。

 人を殺したことのない人たち。

 自分が何かに加担しているとも思わず、ただ向こう岸に立って罪を責め立てる。

 二人は父よりも、周りにいる人たちのほうが、ずっと恐ろしく、汚らわしく感じた。


 まだ幼い姉弟は、傭兵の国への追放が決まった。

 きみたちはまだ子供だから、追放という温情ある判決が下されたが、死より残酷な未来が待ってるよ。あこそは命を金で売買するやつが跋扈する国で、その理不尽さに生涯苦しむことになる。

 役人は饒舌に語るが、二人の心には響かなかった。

 出自で命を天秤にかける国と、金で命を天秤にかける国とでは、果たして違いはあるのか。

 手を染めずに見殺しにする国よりも、手を染めて殺す国のほうが、まだましではないだろうか。

 人を殺めた感触は消えないが、後悔はしていない。血のつながった父親一人よりも、ずっと多くの命が失われるのを救えたはずだから。

 姉弟はお互いの手を強く握りしめ、悪を絶ち、人を救う大人になろう、とかたく誓い合った。

 

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 人殺しの罪で祖国を追われた二人は、誓いを違えることなく大人になり、後に獣たちとの戦いを終結させる英雄たちの一員になる――

 と声の主は締めくくった。

「こんな荒っぽい子供が囚牛しゅうぎゅうの国出身だったなんて、ちょっと意外だったね」

 あっ、国柄で決めつけるのはよくないか、と子供はすぐに考え直した。

 守りが固いというのは、それだけ他者を拒絶する強い意志があって、荒い気性の裏返しとも言えるかもしれない、と声の主は答えた。

「姉弟たちは気付いているのかな。子供たちを守るために父を殺した自分たちは、民を守るためにほかの国の人を殺した父と似たことをしているんだって……」

 気付いていながらこの道を選んだのなら、それはそれで大変な道のりだろうね、と声の主は静かに添えた。

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