其の二十・とある兵士の話(元桑316・睚眦)
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「
子供は聞いた。
最初の百年はそうだったかもしれないけど、獣を知っている人たちが亡くなり、さらにそこから二百年間、彼らは人相手に戦いを続け、対人戦のプロであっても、獣退治のプロではなくなったんだ、と声の主は説明した。
「それでも、ほかの国よりずっと戦い慣れてるし、強いんだよね?」
じゃあ、とある兵士のお話をしましょうか。
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災いは突如降りかかった。
神話時代に守護神らに退治された人喰いの獣たちは、豊かな土地を人の手から奪い返すために、ふたたび人々の前に姿を現した。
獰猛な獣たちは畑を荒らし、街を壊し、人を殺して回った。
しかし人も昔のような弱い存在ではなくなった。砦を築き、堀を張り巡らし、軍を率いて獣たちに対抗した。
戦の前線から少し離れた小さな山間の村には、幼い子供が住んでいた。
子供は毎日のように山に登り、狼煙でかすむ空を眺めては、戦が早く終わるよう心を込めて祈った。
武具も農具もまだ握れない子供は、村のために働くことも、獣と戦うこともできない。それでも何かの役に立ちたくて、一生懸命、神様に祈りを捧げ続けた。
そんなある日、子供は山で見知らぬ男に出くわした。
男は泥と血しぶきで汚れ、身にまとった鎧もボロボロだったが、鎧に刻まれた紋章から、傭兵の国の兵士であることが分かった。怪我をしているらしい彼は息も絶え絶えに木の根元にもたれかかっていた。
子供は彼を村へ連れて帰ろうとしたが、差し伸べた手を払われてしまった。
兵士風の男は、怖い顔で子供を睨み、何か吐き捨てるようにしゃべった。
子供には兵士がしゃべる異国の言葉が分からなかったが、彼は村に迷惑をかけたくないのだろう、となんとなく察した。だから懐から昼食の餅を取り出して渡し、駆け去っていった。
それから、子供は誰にも内緒で毎日兵士の元へ通い、食べ物や薬草、包帯代わりになる布を運んだ。
傭兵の国の兵士は、皆を守るために戦っていることは、大人たちから聞かされていたから、子供も自分にできる限りのことをしようと頑張った。食べ物には草の根が混ざっていたり、布もくたびれたぼろ布ばかりだったが、それは子供にできる精一杯のことだった。
子供は神様に祈りをささげる代わりに、兵士が元気になるように頑張った。
兵士の男も、最初こそ子供を邪険に扱ったが、時間が経つにつれ、表情が少しずつ和らいでいった。
半月が過ぎ、男のけがはほぼ治り、また動けるようになった。彼は身支度を整え、この地を去る準備をした。
男は脱走兵だった。
彼のいた小隊は行軍中に獣に奇襲をかけられ、苦戦を強いられた。
苦戦というより、それは獣による一方的な殺戮だった。鋭利な牙は武器とそれを握る腕をまとめて噛み砕き、血しぶきが辺り一面にまき散らされた。
仲間たちの悲鳴を耳にした男は恐怖に支配され、軍紀も誇りも忘れて、命からがら逃げ出した。
――あんな化物と、どうやって戦うっていうんだ。
男は兵士に生まれた運命を呪い、金で傭兵を雇って戦わせておきながら、自分たちはのうのうと生きている国々の人間を呪った。
逃げ出して力尽きた時に出くわした子供も、彼の呪いの対象だった。
なのに彼が脱走兵だということを知らない子供は、自分の持てるものすべてを彼に差し出そうとした。
自分の腹の虫の音を恥じながら、彼に食料をくれた。
寒さで細い肩を震わせながら、彼に寒さをしのぐ布をくれた。
自分が同じくらいの年だった時は、どんな子供だったっけ。
腹が空けば遠慮なく親に縋り、他人に何かを分け与える概念は持たなかった。まだ何もできず、ただ守られて与えられてしかるべき幼さだった。
戦は、子供を子供のままいさせてはくれなかった。
最初は気味悪くて、次は哀れに感じ、徐々に感情は変化していった。
最初に会った子供は、空に向かって祈りをささげていた。彼に出会ってからはそれをやめたようだが、祈る代わりに彼に尽くているようにも感じられた。
子供に神のように崇められるほどの人間では決してないのに、と男はいつからか、罪悪感に苛まれるようになった。
せめて最後にもう一度子供に会って礼を言おう――
そう考えていた男の前に、一匹の獣が現れた。
狼ほどの、獣の内では小型に入る部類のやつだったが、一匹だけでも一つの村を壊滅させるには十分だった。
男は武器を抜き、村を目指して進む獣の進路を阻んだ。
勝てる算段はないが、逃げることは選択肢になかった。
――獣を、子供が住む村に入れてはならない。
仲間を目の前で殺された時、自分は何のために戦っているのか分からず、ただ生き延びたくて逃げ出した。
しかし今回は違う。男は、子供が空を仰ぎ、戦の終結を祈る顔を思い浮かべる。
――ああ、私はあの子に、戦の終わった、澄み渡った空を見せてあげたいんだ。
小さな村の中で、葬式が営まれた。
熱を出して寝込んだ小さな子供は、意識不明のまま息を引き取った。
遺体を清めるために服を脱がせた家族の人は、子供のあばら骨がくっきり出るほど痩せこけていることに今更のように気付いた。
なんでこんなに痩せてたんだい、ちゃんと食べなかったのかい。
その悲痛な質問に答えられる人はいなかった。
小さな棺を墓地まで運ぶまでの山道で、村人たちはぞっとする光景を目にした。
動物らしき残骸と、人間らしき残骸が絡み合うようにあたりに散らばり、土を赤褐色に染め上げた。
どこの誰だか分からないが、野ざらしのままではさすがに不憫で、村人たちは原型をとどめていない亡骸を拾い、子供の墓の隣にそれらを埋めた。
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睚眦の国でも、獣相手では相当手こずらされたが、負けたらもう後はないと分かったら、持てるすべてのものを動員して、獣に対抗する術を探した。それは大きな犠牲が伴う長い道のりだけど、抗う心を失わなければ、人は獣には跪かない――
声の主は締めくくった。
「戦っているのも、睚眦の国だけじゃないもんね、
狼煙に染まらない空を、いつか誰かに見せるためにね、と声の主は言葉を継いだ。
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