其の四十三・とある継承者の話(元桑406・螭吻)

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「正義の英雄って何歳まで生きた?前は孫の話だったから結構長生きしたのかな」

 子供は首を傾けて聞いた。

 七十歳を越えたから、結構長生きなほうだね。ちなみに粛清の英雄の姉は二十代で毒殺され、弟は五十歳頃に戦死し、叡智の英雄は六十歳まで生きた、と声の主は説明した。

「あと一人……治癒の英雄は?」

 彼は……、と声の主は少し口を噤んでからゆっくり言葉を選び、誰よりも長く生き、誰よりも深く苦しんでいたかもしれない、と告げた。

 じゃあ、とある継承者のお話をしましょうか。

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 その国には、とてもとても美しい王様と王后様がおり、その間には二人の子供がいた。

 兄は美しい容姿を持ち、その美貌はかつて世界を救った英雄の一人に酷似しているといわれ、周りの人たちにもてはやされていた。

 妹は親兄弟とは似ても似つかぬ凡庸な顔立ちで、背中には生れ付きの大きな黒あざがあり、周りの人たちから気味悪がられていた。

 兄は人の前では優しく振舞っているが、裏ではいつも妹をいじめていた。

 美しさは血統の尊さの現れだ、美しくないやつは王家に相応しくない。お前は一族の恥さらしだ。

 兄はいつも侮蔑を込めて妹を罵った。


 妹は悲しい思いをすると、いつも彼女の曾祖父の居所に逃げ込んだ。

 彼女の曾祖父は大昔、隣の国の女王様と結婚し、その国で暮らしていたが、女王様の崩御をきっかけに医学が一番進んでいる生国に戻り、それからずっと研究をしていた。

 不老不死の研究に取り憑かれた変人だと陰口を叩かれる曾祖父は、いつも落ち込む彼女の頭を優しくなでてくれた。

 見た目の美しさで人を判断してはいけない。それが分かる人間はいずれより多くの人を味方にできるよ。

 穏やかに響く言葉と、部屋に充満する薬草の匂いは、いつも妹の心に安らぎをもたらした。いつも曾祖父の部屋に入り浸っていた彼女は、いつからか研究の手伝いをするようになった。

 曾祖父は彼女のささやかな進歩も見逃さず、たくさん褒めてくれた。いつも兄に愚鈍だ、のろまだと笑われていた妹は、もっと褒めて欲しくて、たくさんの本を読み、難しい理論を頭に詰め込んだ。


 妹が曾祖父の研究の手伝いをしていると知り、兄は毒づいた。

 かつての治癒の英雄とは、聞いて呆れる。死が怖くて馬鹿げた不老不死の研究をするくらいなら、若いうちにとっとと死んどけばよかった。

 曾祖父を侮辱する暴言に耐え切れず、妹は初めて兄に殴りかかった。


 君は自分のけがを治すことはできても、兄との関係性を直すことはできない。直すことは壊すことよりずっと難しい。私はそんな君が心配なんだ。

 事の経緯を知った曾祖父は、彼女の頭を撫でながらつぶやいた。


 ひいおじいさまにも、治せないものがあるの?

 彼女は聞いた。


 私は人生で治せない絶望を二度味わった。

 一度目は、共に戦った友を病で亡くした時だった。戦の残党を追いかけて奥地にいた私は彼女の異変すら知らず、戻った時に彼女はすでに埋葬され、顔を見ることは二度と叶わなかった。

 二度目は、共に人生を歩んだ伴侶に先立たれた時だった。私は病は直せても、老いを止めることはできなかった。彼女が日に日に弱り、やがて息を引き取るのを見守るしかなかった。

 君や、みんなが同じ絶望を味わわないように、私は研究を続けているんだ。きっとそのために、私には長い人生が与えられていたのだ。

 曾祖父は優しく微笑んだ。


 曾祖父はたくさんある研究の中、特に内臓移植の研究に熱中していた。臓器の取り換えに成功すれば、病にも老いにも対抗できる、と考えていたから。

 弱っている動物の腹を開き、病の元である臓器を見つけ、ほかの健康な動物の臓器と取り換える。彼女の手先の器用さはすぐに年老いた曾祖父を追い抜き、移植実験のほとんどを任されるようになった。

 曾祖父は少しずつ弱っていき、実験どころか、彼女と少し言葉を交わすだけでも辛そうにしていた。

 妹は一刻も早く臓器移植を実現させたくて、昼夜を忘れて実験に打ち込んだ。唯一の味方である曾祖父を、彼女は失いたくはなかった。


 彼女の努力が実り、実験はやがて成功した。

 やはる気持ちを抑えきれない彼女は、真っ先に曾祖父の寝所へ駆け込んだ。そこで見たのは、沈痛な面持ちをした医者と、哀しみを顔に無理やり張り付けた兄だった。

 つい先ほど、息を引き取ってしまわれた、と誰かが茫然と立ち竦む彼女に告げた。


 医者らが部屋から退出し、部屋には兄妹二人だけ取り残された。

 よりによっておやじたちが地方視察で留守にしてる時に死にやがって、こっちが葬式取り仕切るはめになったじゃないか。

 悪態をつく兄をよそに、妹は曾祖父の手を握った。

 まだ温かい。まだ治せるのではないだろうか。

 体内の流れが滞れば死ぬ。その流れさえ途絶えさせなければ、人は死なない。血の流れを司るのは――


 心の臓。

 

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 国に女王が即位した。

 彼女には兄がいたが、数年前に忽然と姿を消し、以来消息が知れず、彼女が王位を継ぐことになった。

 国政に明るく、民のために善政を施す女王様は市井の間では賢君として名高いが、王宮内では近付け難い存在として恐れられていた。

 時折、王宮で官吏が消える。汚職に関わったり、悪事に手を染めたりする者ばかりで、女王様の不興を買ったら消されるとの噂が絶えない。

 女王様は誰にも信を置かず、一人の従者を除いてそばには近づけさせない。その従者も紗幕で顔を覆われ、誰も正体が分からないという。


 その従者が政務で疲れた女王様を労わり、彼女の頭を撫でるのを遠目で見たことがあります。女王様は穏やかな笑みを浮かべていらっしゃったから、きっと誰よりも信頼している方に違いありません。

 そう証言する使用人もいた。


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 彼女は、百年に一人とも言われた治癒の名手だった曾祖父を追い越し、心臓の入れ替えで死者を蘇らせることに成功した。ただ借り物の心臓では死人の肉体を蘇らせることができても、失われた魂まで呼び戻すことはできなかった。それでも、彼女は曾祖父の肉体が完全に腐り落ちるまで、そばに置き続けた――

 声の主は種明かしした。

「それから?」

 畳みかけるように聞いてくる子供に、それからって、と声の主は質問の意味を掴みかねて困惑したように聞き返した。

「曾祖父が本当に去ってから、彼女はなにしてた?頭を撫でて励ましてくれる人を見つけた?治癒の英雄が大切な人を亡くして、多くの人のために研究を始めたように、彼女もちゃんと立ち直った?」

 それは――

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