其の四十二・とある隠匿者の話(元桑389・狻猊)
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どんな大きな災いがあったとしても、時間が流れれば忘れ去られていく。痛みや悲しみはもちろん、栄光や誇りも色あせていく、と声の主は感傷気味に語った。
「外交官の彼女の時代には、もう英雄たちは生きてないもんね」
英雄も人だってことをつい忘れちゃうよ、とつられた子供もため息をこぼした。
彼らが命がけで守った命はやがて寿命が尽きて死に、彼らも例外ではない。華々しい活躍と違い、舞台からの退場は得てしてひっそりと寂れたものだ。
じゃあ、とある隠匿者のお話をしましょうか。
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戦のない平和な時代に生まれた男の子がいた。一国の王である父親はいつも国事で忙しく、彼は多くの時間祖父と一緒に居た。
彼の祖父は国々を恐ろしい獣たちから守り、平和をもたらした英雄の一人で、彼はいつも祖父に昔の話をねだった。
獣たちから人々を守る英雄たちはどんな苦境に立たされてもめげずに戦い、最後には勝利を勝ち取る。男の子はそれらの話が大好きだったが、無限に続くと思われた話もやがて終わりを迎えた。
――そして獣たちは退治され、英雄たちもそれぞれの国に帰り、平和が訪れた。英雄たちのお話はこれでおしまい。
祖父にこのように締めくくられても、男の子は納得できなかった。
――おしまいじゃないよ。正義の英雄が持ち帰った龍のウロコで鋳た宝剣を、ほかの国の悪いやつらが盗もうとしたことは、皆知ってるよ。
宝剣の鍛冶を引き受けた他国の職人が欲にのまれ、献上の席で王を弑そうとしたのは、この国の誰もが知っている話だった。
――獣たちが退治されても、悪い人がまだいっぱいいるよ、その人達を懲らしめるのが、英雄の仕事じゃないの?
重ねて問いかけてくる男の子に、祖父は少し悲しそうな表情を浮かべ、口を開き
寝台から起き上がった王様は、窓からもれてくる朝日の光を眩しそうに見つめた。
久々に昔の夢を見た。
英雄たちに憧れ、冒険に憧れ、いつか自分も旅に出て、行く先々の人々を助ける英雄になると夢見ていた子供時代も、王様にはあった。
しかし平和な時代に英雄は必要なかった。
幼い男の子は旅に出ることはなく、壮大な冒険を広げることもなく、政について習い、一国の主に相応しい教養と品格を身に着け、大人になり、王様として国を統べた。
若き日は英雄として名を馳せ、地上に平和をもたらした祖父は、当時の王様を弑そうとした国を許し、その再建にすら手を貸したことで国々の尊敬を集めながらも、自分は王の器ではないと王の息子の禅譲を拒み、陰で国を支える道を貫き通した。
その謙虚さや徳の高さは英雄ならではと讃えられていたが、子供だった彼にとっては理解しづらいものがあった。
夢の中の自分の問いかけに、祖父はどんな答えを返していたっけ。
英雄として名高かった祖父は年を取るにつれ衰えていき、近頃は起き上がることすらままならなかった。政務の合間を縫って見舞いに行く彼の顔を見ても、自分の孫であることが思い出せず、ほかの誰かと勘違いして話しかけることが増えた。
いつもすまないね、ありがとう。
穏やかな笑みを浮かべて言うのは、侍女に対する言葉。
我々にはあなた方の協力が必要だ、手を貸してもらえないか。
真剣で力強く言うのは、他国の使節に対する言葉。
やっぱお前すげーよ、こんな仲間がいて心強いぜ。
ちょっと乱暴で明るく言うのは、英雄仲間に対する言葉。
子供のころは英雄たちに憧れながらも、年老いた祖父が完全無欠な若き英雄の内の一人だという実感は持てなかったが、今このように祖父の言葉に耳を傾ければ、彼の人生を垣間見ているようだ、と感慨にふけっていると、その言葉が唐突に耳に飛び込んだ。
お教えください、なぜ皆を殺したのですか。
この言葉を発する時だけひどく傷付いたような表情は、どこか夢の中で見た祖父の表情と重なり、彼を戸惑わせた。
戦の最中に発せられたものにしてはかしこまった言い方だな、と少し違和感を抱いたものの、所詮はお年寄りのうわごとだろうと聞き流すことにした。
しかし祖父にとってそれがよほど心残りだったのか、似たようなうわごとが繰り返されるようになった。
なぜ皆を。なぜ殺したのですか。お教えください。教えてください。なぜ。どうして。
おじいさま、皆って、誰のことですか。
彼は祖父の手を握りって、なだめるように聞いた。
何故鍛冶師たちを……そこにいた皆を殺したのですか。
弱々しく手を握り返した祖父は、虚空を見つめながら問うた。
大戦後、龍のウロコで鍛えた宝剣を欲した他国の鍛冶師が王を弑そうと企み、処刑された――誰もが知っている史実が、祖父の言葉で覆された。
王様は過去の事件に関わる手がかりを探った。
自分の思い過ごしだ、耄碌した老人の戯言だと一笑に付すための証拠がほしかった。〈正義の英雄〉を生み育てた国の誇りを証明したかった。
やがて王様は、秘匿されていた祖父の手記を見つけた。そこに記されたのは、衝撃的な真実だった。
宝剣に魅入られたのは鍛冶師ではなく当時の国王であり、彼はおそらく同じような宝剣が二度と世に出ないために、類を見ない腕を持つ鍛冶師を殺し、その場に居合わせた全員を口封じのために殺した。
手記を読み終えた王様は思い出した。
悪い人たちを懲らしめるのが英雄の仕事じゃないのと聞いた幼かった自分に、祖父は何かを堪えるようにしながら答えた。
――宝剣が献上されたその日から、私は英雄ではなくなった。だから英雄のお話は、もうおしまいなんだ。
子供の彼は分からないが、王となった今の彼は、祖父の沈黙がよく分かる。
この国は国々のまとめ役として立ち回り、大戦を終結へ導き、各国から絶大な信頼を寄せられた。信頼と協力があってこそ、戦後の再建も速やかに進められた。
そこに国王が私欲のために平民を虐殺した話が出たらどうなるか。
卑しい国として唾棄され、今までの功労にも裏があると疑われ、国間で築き上げられた信頼と協力関係はすべて崩れ去る。人々に希望をもたらした「英雄」の存在も虚像とみなされ、最悪新たな戦が始まってしまう。
手記を誰の目にも触れない所に隠そう、と彼は決めた。
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最近、おじいさまのご様子はよろしくないようでございます。殺す、殺さないとか、穏やかではないうわごとを繰り返されることが多くて。いったい何のお話をされているのでしょうか……
侍女の報告を受けた王様は、一人で祖父の元をたずねた。
おじいさま、国々のためにも、この秘密は、二人だけのものにしましょうね。
彼は優しい手つきで、眠っている祖父の鼻口を塞いだ。
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その次の日、正義の英雄が世を去った知らせは、国々へ届いた――
声の主は簡潔に話を結んだ。
「正義の英雄が王様にならなかったのは、人ができてたからとかじゃなく、単に負い目があるから断ったかもしれないね」
英雄も王様もただの人だけど、人々は英雄や王に「特別」を求め、その信仰心こそ彼らに進む力を与えるんだ、と声の主は語った。
「この秘密がいつか秘密でなくなって、それでも
子供は願った。
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おじいちゃん、大丈夫?私のこと分かる?
手を握るぬくもりを感じ、年老いた王様は辛うじてまぶたをこじ開けた。心配そうにのぞき込できた孫娘と目が合う。
〈正義の英雄〉がついた嘘と隠された真実を知ってから、もう何十年も過ぎた。あの時感じた衝撃や失望等の葛藤は今や薄れて色あせ、衰え切った体にはほとんど残っていない。それでも、体の奥底を締め付けるのは、心残りというものだろうか。
ずっと王様として振舞ってきたが、本当はずっと英雄になりたかった。過ぎし日の正義の英雄のように世を正し、義を通したかった。
まだ、間に合うだろうか。
お前に、伝えなければならないことがある……
孫娘の手を握り返し、彼は最後の力を振り絞って告げた。
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