其の四十一・とある外交官の話(元桑451・狻猊)

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 獣たちは打ち破られたとはいえ、いつかまた襲ってくるかもしれないと危惧した国々は、獣たちとの決戦が行われた国――負屓ひきの国――に防衛要塞を作り、そこに駐在する連合軍を送り込んだ、と声の主は切り出した。

「負屓の国の人は弱いから、要塞を築くならほかの国の力が必要だね」

 それだけでなく、負屓の国は鍛冶師が他国の王様を殺めようとした出来事のせいで、国々から後ろ指を差される立場に追い込まれてしまった。獣の再来を防ぐというより、負屓の国の人たちに変な真似をするなと暗に釘を刺しているようなものだ、と声の主は説明した。

「自分たちが悪いことをしたのが先だから、ほかの国々には逆らえないということだね……」

 誤解なのに、と子供は不服そうにつぶやいた。

 じゃあ、とある外交官のお話をしましょうか。

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 外交官を父に持つ女の子がいた。

 いずれ父の後を継ぎ、国同士の交流に関わる仕事を任されることになる彼女は、父と共に五歳から隣国の地に移り住んだ。

 どことなく暗い、というのが、彼女がこの国に対する印象だった。

 雑に開発され野放図に広がる森が暗い。

 街に並ぶ古びた建物が暗い。

 道を行きかう人々の顔が暗い。

 活気に満ちあふれた自分の国とは全然違う、と彼女は驚いた。


 仕方がないよ、この国は守護神に見放された可哀想な国だから、と父は彼女に教えた。

 獣たちが国々を襲ったのは百年も前の話だ。神の加護がないこの国の人々は弱く、戦でたくさん死んだ。弱かったから人心が乱れ、戦が終わった際に我が国の宝物を奪おうとした。

 でも我が国の英雄は優しかった。自分たちに歯向かう愚か者たちを糾弾するどころか、彼らを庇い、国の再建を手伝った。神の加護をなくした国を救済しようとする彼は、まさに〈正義の英雄〉という呼び名に相応しい方だった。

 私と私の娘である君の体にはその英雄の血が流れている。彼の信念を継ぐのは、私たちの責任で、誇りだ。

 父にそう言われ、彼女もこの国を助けなきゃと決めた。


 彼女はこの国で一人の少年と出会った。

 少年はもともと外交官たちが滞在する居所を掃除する使用人の一人だったが、整った容姿と礼儀正しい振舞いを気に入られ、年の近い彼女の世話係兼話し相手に、と父に連れられてきた。

 緊張した面持ちで顔色を窺ってくる少年に、彼女は手を差し伸べて言った。

 お友だちになろう。


 働き者の少年は、彼女の身の回りの世話をそつなくこなし、彼女の話に耳を傾いた。

 女の子は、この暗い国の出身とは思えない明るい少年を気に入った。彼のような人間が幸せになれるようにするのは、きっと自分に与えられた使命だと信じていた。


 彼が古い服をなかなか捨てず、あちこちにあるほつれを直すのを何度も見て、彼女は仕立師を呼んで彼に新しい服を見繕ってあげた。

 こんな高価な服はもったいないよと恐縮する彼に、お友だちなんだからもらいなさいと彼女は答えた。

 この服の刺繡はね、芸術の神に守られている国の有名な裁縫師の手によるものなの、とても美しいでしょう。

 彼女は得意げに自分の知識を披露した。

 このつやのある刺繍糸の色は知っています。私の国の南の地にしか咲いていない花から取ったものなんです。

 少年は懐かしそうな笑顔を見せた。


 庭の菜園の萎れた作物を元気に戻そうと、彼が色んな方法を試してもうまくいかないのを見て、彼女は植物医を呼んであげた。

 こんな専門な方を呼ばなくてもと恐縮する彼に、お友だちなんだから手伝うのは当然よと彼女は答えた。

 このお医者はね、水の神に守られている国の専門医なの、元気のない作物でもあっという間に直せるから心配はいらないわ。

 彼女は親切に友人の彼に教えた。

 私の国の干ばつのひどい地に灌漑水路を作ってくれた国だと聞いています。

 少年は一つ頷いて静かに微笑んだ。


 夜回りの時よく風に吹き消されてしまう灯籠の火を守るために、手先が器用な少年は風除けの囲いを作った。

 風に揺れる弱弱しい燈火を見て、彼女はぱちんと指を鳴らし、炎は途端にごうごうと燃え上がった。

 私はね、炎の神に守られている国の王族なのよ、そんな手間をかけなくても頼ってくれれば手伝ってあげるわ。

 彼女は自慢げに腕を見せた。

 それは頼もしい限りですね。

 少年は取り払われた囲いに目を落とし、すぐに顔を上げて微笑んだ。


 良き友人を得た女の子は、異国の地ですくすく育ち、父の後を継いだ。世話役の少年は国の要人たちとの間の折衝役として、彼女の側にい続けた。

 彼女が外交官になったころから、この国の要人たちは相次いで謎の死を遂げた。他国との交流に関わる者が多くいたため、これは排他的思想を持つ過激派が暗躍しているのではないかという噂が広まった。

 身の危険を感じたほかの国の外交官らが自国へ引き上げる中、彼女だけはこの国に留まり続けた。

 可哀想な国だから、助けてあげないといけない。


 一連の事件の首謀者は彼女と国の要人らの折衝役を務めた彼だという事実は、しばらくして明るみに出た。

 彼女の信頼を勝ち得て、要人らに接近し、抹殺する。彼はそのためだけに送り込まれた駒だった。


 あなたのことを、本当の友だちのように思っていたのに。

 彼女は捕らえられた青年を目の前に、震え声で嘆いた。

 

 青年は問い返した。

 あなたがくれた服に使われた染料が欲しくて、かの国が我が国の南の耕作地を半分以上花畑に変えさせたことは知ってますか?役人たちに蜜を吸わせて買い叩き、国の外で百倍の高値をつけられたことは?染料の生産者は原料の毒で早死にすることや、不足分の食料を他国に買わされ、その国の機嫌一つで餓死者が町を埋め尽くしてしまう怖さを分かりますか。

 灌漑水路で家をなくした人がいることは?工事に雇われた地元の人が一人もおらず、費用ばかり負担させられていたことは?雇われの傭兵たちがその地で我らの国の人々を侮辱し、狼藉を働いたことは?

 私の作ったものを不要と笑ったあなたの国は、鍛冶師の不祥事以降、我が国から鍛冶職人を取り上げ、技術の伝承を禁じた。人を送り込んでは各地の要人らと結託させ、依存しなければならない状況を作り出した。


 あなたはこの国に入ってから、知り合うのは富を手にした一部の権力者ばかりで、民の暮らしなんてちっとも分かっていない。

 私に語るのはほかの国のことばかりで、この国のことを知ろうともせず、この外交官居住区から一歩も外に出たことがなかった。

 

 我々から何もかも取り上げ、搾りかすだけ投げよこして悦に入るあなたが友だちだなど死んだほうがましだ。

 彼は決然と言い切った。


 では、ここで死んでもらうしかないね。

 彼女は彼に応えた。


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 常に波乱に見舞われてる負屓の国は、戦後長い間他国に依存せざるを得なかったが、この出来事を皮切りに、再び自立の道を歩み始めた。武器職人を輩出していたこの国には、守護神に頼らずとも自分の力で生きていく気概が受け継がれていたのかもしれない――

 声の主は締めくくった。

「確かに外交官の彼女には知らないことがたくさんあったけど、ほかの国の人が慌てて帰っても残って頑張ることにした彼女が、自分の友人を殺すの?」

 子供は首を傾げた。

 落とし前を付けなきゃ、帳尻が合わないでしょう、と声の主は少しもったいぶって言ってみた。

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 要人を殺した下手人は死んだ。

 幸い国々の関係者たちに死者は出ず、この出来事は内輪揉め程度に処理された。

 そして彼にも知らないことがあった。

 火の国が思った以上にこの国と深く関わっていることや、その外交官の一声で、彼の死の偽装も、新しい身分も仕立て上げられること。


 本当についてくるのですか。

 彼は聞いた。

 いつもの華々しい装いを質素な旅装束に変えても、豪華な居所に慣れた彼女は、歩きなれないぬかり道に足を取られていた。

 なるほど、町の居住区の外の道はこうなっているのか。これは修繕のし甲斐がありそうだ。

 彼女のつぶやきを聞きながら、彼は思わずため息をついた。

 友だちは死んでも御免だと啖呵を切った相手に、では死んで生まれ直して友だちをやり直そうと言われるとは思わなかった。

 どこへ行くか決まってますか。

 彼は聞いた。

 まずはあなたの故郷へ案内してくれない?友だちの生まれた場所を見てみたい。

 彼女は自分の目で隣国を見る旅の第一の目的地を、彼に伝えた。

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