其の三十八・とある因果者の話(元桑507・睚眦)

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「前に睚眦がいさいの国の女王は二人目だって言ってたよね。一人目が同じ時代の英雄だから……今の今まで男の王様ばっかで女王は一人もいなかったの?」

 王家に他国の血筋を入れない、王座に女を据えない、王城の場所を変えない、この三つは暗黙の了解として今まで固く守られてきたんだ、と声の主は説明した。

「そうしなきゃいけない理由でもあるの?」

 子供は首を傾げながら聞いた。

 そうだな。それなりの理由が存在してたけど、長い歴史の中で忘れられ、あるいは隠され、結論だけはルールとして引き継がれていったんだ、と声の主は曖昧に答えた。

 じゃあ、とある因果者のお話をしましょうか。

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 誇りに思いなさい。あなたは英雄の子孫なんだよ。

 母親の腕に抱かれた幼い男の子は、そのように聞かされながらはじめて国の英雄の彫像を目にした。戦士の装束を身に纏い、得物を手に並び立つ二人の男女は、その昔獣の蹂躙から人々を救った双子の英雄なのだという。

 控えめながらも不敵な笑みを口元に浮かべた表情や、今にも足を上げて動き出しそうな姿勢は、生身の人間に見間違うほど見事な彫像だった。

 男の子は、息を止めて彫像の女に見入っていた。初めて見るはずなのに、ずっと昔から知っているような、懐かしくて、愛おしくて、温かい気持ちが胸いっぱいに広がった。


 男の子は、毎日彫像の元へ足を運んだ。

 彫像の女の顔を見つめていると、英雄にまつわる話は百年以上も前の話ではなく、ついこの前に起きたことではないかという気がしてくる。彼女の優しくも芯の通った強いまなざしは、自分に向けられたもののように感じられる。

 男の子は彫像に語り掛ける。

 平和な日々の中で起きた嬉しいことや、悲しいこと、面白いこと、怒ったこと……

 男の子は想像する。

 彼女は自分の話にどんな言葉を返すのだろう。どんな表情を見せるのだろう。

 私は彼女の半身で、彼女は私の半身だ――

 いつからか、男の子は、こんなにも心を通わせている自分こそ彼女の双子の弟だと信じ込むようになった。

 

 ある年、ちょうど英雄の片割れが病死したと伝えられた日に、男の子に妹が生まれた。

 その妹は成長するにつれ、姿や顔立ちはどんどん彫像の女に似ていき、周りをざわつかせた。

 まるで過ぎし日の英雄の生まれ変わりのようだ、と両親すら薄気味悪がっているなか、兄である彼だけは確信した。

 私たち兄妹は、英雄の姉弟の生まれ変わりだ。今生は彼女を守るために兄として一足先に生まれてきたに違いない。

 そう強く信じて疑わなかった男の子は、親の分まで妹を可愛がった。どんなわがままでも聞き入れ、彼女の願いをかなえてやった。いずれ父の後を継ぎ王となる彼を諌める人もいたが、彼は頑なに耳を貸さなかった。

 傭兵の国の一員として誰もが武人としての技を身に着けているこの国にいながら、彼は妹を一切の戦闘訓練から遠ざけた。

 彼女はもう国のために十分過ぎるほど戦った。今度こそ戦闘とは無縁に、幸せに生きて欲しい。

 彼女の分まで強くなれば文句なかろうと言い切った彼は、さすが英雄の血を受け継いだ者というべきか、やがて国切っての凄腕の青年へと成長し、新たなる王様になった。

 だが王様になっても、彼の関心は国事にあらず、妹のことしか眼中になかった。かごの中の鳥のように妹を囲い、贅を極めた暮らしをさせた。彫像そっくりの彼女の微笑みを見ることは、彼の生きがいとなった。


 前世の英雄と同い年になったその年、妹は謎の病で床に臥せった。一見何の異常もないのに、弱って立ち上がることすらできなかった。

 とにかく彼女を治せ、もしものことがあったら全員の首がとぶぞ、と彼は激情を露わに医者たちに宣言した。

 しかし国中から医者をかき集めても誰もその病を解明できず、他国から呼びつけた名医ですらさじを投げた。悲観的な言葉を漏らした医者を何人も死刑に処したところで、彼女の体調は一向に好転しなかった。

 英雄だった女は謎の病気で死んだことは、この国の誰もが知っている昔話の結末だ。

 今生の彼女はまた同じ運命を辿ろうとしているのではないか――

 そう思い至った彼は、頭を掻きむしって慟哭した。


 長い時間を経てやっとふたたび巡り合えたというのに、また私の半身を奪おうというのか。

 

 過去を知ることで、我が半身を救う手がかりが見つかるかもしれない、と彼は必死に祈りながら、古い書籍を探し、英雄に関する記述を読み漁った。

 英雄の死に関して諸説あったが、権力争いゆえの暗殺ではないかとする説が一番まことしやかに唱えられていた。

 本来ならば、王位継承権のある男のほうが狙われやすいが、肩を並べて共闘した姉は弟の代わりに多くの外交の場に出席した。当時はほとんど女王の前例がなく、姉が狙われて殺された可能性よりも、何かの手違いで弟の代わりに殺された可能性が大きかった。

 そこまでたどり着き、彼はやっと希望の光を見出した。


 前世でも今生でも、私たちは、二人で一人だ。

 彼は床に臥せっている妹の頬を慈しむように撫で、やさしく語り掛けた。

 

 かつて君は自分の命を投げ出し、私の命を繋いでくれた。今度は私が君の命を繋ぐ番だ。生まれてきてくれてありがとう。側に来てくれてありがとう。

 どうか君のこれからが幸福に満ちあふれているように。

 そう言い残し、兄は妹の前で自ら命を絶った。


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 男は自分の手で前世の因果を打ち破った。彼が死んだ後、妹は謎の病から快癒し、兄の代わりに王座に着き、天寿をまっとうしたとさ――

 声の主は締めくくった。

「粛清の英雄は人のために殺すことがあっても、自分のために殺すことはなかった。だからきっと、彼は粛清の英雄の生まれ変わりじゃないよ」

 また話を誤魔化そうとしてるんじゃないよね、と子供は疑いの視線を投げてよこした。

 だって、そのほうが話が綺麗に終わると思わないかい、と声の主は負け惜しみを言った。

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 あなたは、生まれ変わりを信じるかい?

 新たに即位した女王は、公務をこなしながら、顔を上げずにそばの侍女に聞いた。


 わたくしのような者は生まれ変わったりはしないと思いますが、生まれ変わりを信じることで国がうまく進むことはあるとも考えております。

 侍女は言葉を選びながら慎重に答えた。

 長らく王である兄の庇護下に置かれ、武芸のぶの字も知らない女が、傭兵の国の王座に着いてまだ日が浅い。彼女がこれから想像を絶する苦難の道を辿るのであろうことは想像に難くなかった。


 確かに一理あるね。

 女王はそれ以上語らなかった。自分も生まれ変わりなど信じていないが、口に出すほどのことでもないと思った。


 生まれ変わりを信じて疑わない兄は、妹の名を一度も呼んだことはなかった。

 ただ顔が似ているというだけで、とうに昔に死んでる英雄の名を繰り返しながら可愛がり続けた。

 そんな兄が哀れで、愚かで、滑稽で、どうしようもなく嫌いだった。

 兄がいる限り、自分は英雄の代替物として生きるしかないと悟ると、一芝居打つことにした。英雄の最期をなぞり、身代わり暗殺の仮説を流した。


 兄は夢に浸りながら生涯を閉じ、私は夢から解放され生まれ変わる。二人とも大願成就ではないか。

 彼女は笑った。

 兄に求められた彫像そっくりの微笑みではなく、心底嬉しそうな笑みだった。

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