其の三十六・とある咎人の話(元桑342・囚牛)
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「いくら元は自分たちの国の出身だからって、英雄を毒殺しようとしたことがばれたら、さすがに
子供は聞いた。
使われた毒は気付かないうちにじわじわ体を蝕んでいくもので、発症までの期間が長い分、いつ、どこで、誰に毒を入れられたのは、確かめようがなかったんだ、と声の主は明かした。
「でも、治癒の英雄がいるでしょう?彼なら仲間を治せたんじゃない?」
治癒の英雄は、戦後の獣送還に関わる探索隊の一員として、連絡のつかない場所にいて、やっと国へ戻れたのは、彼女が亡くなった後だった、と声の主は説明した。
世界を救うために死んだんじゃなく、普通に人に殺されたのが切ないね、と子供は声を落とした。
傑物や英雄と讃えられる者たちは、案外あっけない幕切れを迎えることが多い。英雄でも、死に方は選べないからね。
じゃあ、とある
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結界の国には、獣たちとの戦から逃れるため、各国からたくさんの人間が流れ込んだ。出身や年齢は様々だが、「安住の地にいたい」という願いは共通していた。
遺跡修復師の男がいた。
彼は古き時代より受け継がれてきた品々を守るために、結界の国の庇護を求めた。彼の持つ知識と腕前は有識者らに認められ、丁重に扱われた。男は戦が終われば生国に帰るつもりでいたが、同じくよその国から流れ着いた女と出会った。
彼女はたった一人の家族である兄と共にこの国へ訪れたが、美や芸術に疎い無能なよそ者として蔑まれ、冷たく扱われ続けた。のちに兄は死に、身寄りのない彼女は帰る場所もなく、ただ耐え忍んで生きていくしかなかった。
惹かれ合った二人は共に暮らすこととなり、この異国にとどまった。
二人には、息子が一人いた。明るくて利発な子供は近所の人たちにも可愛がられていたが、彼は誰にも言えない悩みを密かに抱えていた。
私は、いったいどこの国の人間だろう――
母は水の国の出身で、父は雷の国の出身だが、子供はこの結界の国に生まれた。
家の外では、彼は同じ国出身の子供たちと共に遊び、学び、育っていくが、家の中ではまた少し違った。
母は彼に水の国の言葉を教え、家にいる時は結界の国の言葉を話さなかった。生国の料理を作り、故郷の味を息子に覚えさせた。息子の伯父に当たる兄がまだ生きている時の思い出を語って聞かせ、過去を懐かしんだ。
父は彼に雷の国の言葉を教え、古びた書簡を解読する方法を教えた。生国の習わしを教え、この国との共通点を息子に探させた。それぞれの国が違っても相通じる物がある面白さを語って聞かせ、歴史を楽しんだ。
母はこの国があまり好きではなく、父はこの国を学問の目でしか見ていないことは、子供にはなんとなく分かった。
彼にとっての生国は、両親にとっては異国であり、そこにあるぎこちなさはどうしても拭えなかった。
彼はいくつもの国の言葉を知り、いくつもの国の文化を身近に感じながら、自分はどこにも属さない、どこにも居場所がない心細さをいつも胸のうちに感じていた。
不安に悩まされていた彼を勇気づけたのは、獣たちと戦う英雄たちの武勇伝だった。
生まれが違えど、英雄たちは国の隔たりを越え、力を合わせて、恐ろしい獣たちを退治した。中でもひと際子供の心を打ったのは〈粛清の英雄〉と呼ばれる双子の姉弟だった。
もともとこの国の生まれだった二人は罪を犯して追放され、心を改めて人々を助ける英雄にまで成長したのだという。
子供は一度だけ、粛清の英雄の片割れに会った。故国への訪問を終えた英雄は堂々たる風采を放ちながら、平民の子供に過ぎない彼に威張ることもなく、彼が震える手で差し出した菓子を笑顔で受け取った。
この瞬間から、国や出自で悩むのはやめて、憧れの英雄に少しでも近づけるように生きよう、と子供は心に決めた。
子供がその壺を見つけたのは、ただの偶然だった。
夕飯の支度に使う薪を運ぼうとしたら、薪の山が崩れ、奥に隠されたかのように置かれた小さな壺が彼の目に入った。
小ぶりの砂糖壺のように見えたが、蓋にあしらわれた紋様に子供は目を疑った。
それが結界の国の王家の紋章であることは、父から教わっていた。
なぜ平民の家に、王家に関わる貴重なものが隠されていたのか。
子供は、壺に関してこっそり調べた。壺の胴に彫り込まれたのは王家に伝わる古語で、普通の人には到底理解できないが、彼は歴史に精通する父より手ほどきを受けていた。
書籍を漁り、父の資料を読み、時間をたっぷりかけた子供は、自力でそれを解読することに成功した。
秘伝の猛毒の錬成方法と効能書きであった。
英雄に会いに行く彼に手作りの菓子を持たせた母親のことを、子供は思い出した。英雄に一切の興味なさそうな母親が熱心になったのは、ただ我が子を喜ばせたかったからだろうか。
子供は両親に尋ねることもできず、その壺をもとの場所に戻した。
半年後、粛清の英雄の片割れが謎の死を遂げ、再建の只中にある各国に激震が走った。
部下の裏切りか、貴族の妬みか、はたまた王権争いか――死因について様々な憶測が飛び交ったが、確固たる事実はついぞ知れなかった。
子供が成人した年に、家族三人で今後について話し合った。
母親は再建が進む故国へ戻ることを選択した。父親は母親と共に彼女の国へ移り住むことにしたが、おいおい各国を渡り、遺跡の修復につとめたいという。
そして彼は、この結界の国にとどまることを選択した。
お前は道理が分かる上に賢い、きっと自分のなすべきことも分かっていよう。前へ進め。
餞別の言葉を贈ってくれた父は、どこまで知っていたのだろうか、と彼はふと思ったが、すぐにそれを頭から追い出した。
ほかに考えなければならないこと、知っていかなければならないことはたくさんある。
何故この国は、英雄殺しに手を染めたのか。血縁の力に関係する事柄なのか。英雄の片割れを殺して、残った一人もいずれ殺す算段なのか。
知らなかったでは済まされないし、知ってしまったらなおさら背を向けてはいけない。
英雄を手ずから殺した私が咎人としてその罪を背負い、その
まだ青年と呼ぶには幼い彼は、この国を取り囲む大きな城壁を仰ぎ見た。
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神授の力とは何か、国々が血縁にこだわる理由はどこにあるのか――かの咎人は囚牛の国が保有している膨大な文献や蔵品の研究に生涯を費やし、龍神の歴史を紐解こうと尽力したのだった。
声の主は締めくくった。
「悪だくみしてたのは大臣のほうで、彼は利用されてただけだったのに」
英雄を手にかけた者がいれば、その理不尽さに抗おうとする者もいる。彼らは英雄ではないかもしれない、名を知られることは生涯ないかもしれない。それでも無数の彼らの努力が重なり、歴史は少しずつ変わっていくだろう、と声の主は話した。
「彼はお母さんから感情を受け取って、お父さんから方法を受け取って、憧れの英雄から真実を求める勇気を受け取った」
彼はきっと、自分の罪に負けないくらい立派に生きただろうな、と子供は思いをはせた。
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