其の三十五・とある大臣の話(元桑338・囚牛)

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 獣たちとの戦いを経て、自分たちの非力さを痛感した人々は、より強い力を手に入れるために、他国との交流が戦前よりずっと盛んになった、と声の主は説明した。

「今でいう国際交流だね、色んな人と知り合って、高め合っていくんだ」

 そして治癒の英雄と叡智の英雄の結婚は、国際結婚という効率よく力を高める早道を国々に提示した。

「じゃあ、火の国狻猊の人が水の国螭吻の人と結婚したら、生まれて来る子供は水と火の両方を扱えたりするの?」

 色んなすごい合わせ技が生まれてきそう、と子供は楽しそうに想像を働かせた。

 理屈上可能だね。ただ、その可能性があるからこそ、国同士の通婚に反対の国も、一つだけあった、と声の主は教えた。

 じゃあ、とある大臣のお話をしましょうか。

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 何故私ばかり、損な役回りを務めさせられるのだろう――

 大臣はとってつけたような笑みを顔に張り付かせ、目の前の女性と外交辞令を交わしながら、内心深々とため息をついた。


 大臣が最初に就任したのは、獣たちとの戦が勃発し、大陸のほとんどが戦火に巻き込まれた時期で、国の舵取りは大変だった。

 彼の国は、堅牢な結界に守られてはいるものの、門扉を閉ざして敵襲が去るのを待てば済むほどの余裕はなかった。

 この国には職人や芸術家肌の民が多く、農業や漁業に携わる者は極僅かで、他国から買わなければ自給自足など到底無理だった。普段なら国の者が創作した芸術品はどの国でも高値で売買されたが、戦の最中ともなれば話は別で、奢侈品に手を出す者はほとんど皆無で、物資はみるみる減っていった。

 食料の供給だけでも何とかしなければならないと思い、大臣らは話し合って開墾や放牧を促す御布令おふれを出したが、天下泰平な世に浸り、感性ばかり磨いてきた民たちは事の重大さが分からず、汗を流して田を耕すのは卑しい仕事だとして取り合わなかった。

 極め付きは芸術をこよなく愛する国王の振舞いで、彼は蓄えの少ない義倉の食料と引き換えに、ここぞとばかりに各国から由緒ある骨董品や芸術品を買いあさった。国民たちが飢え死にする危険など露ほども知らず、戦で流入してくる貴重な品々に大喜びだった。


 頭を抱える大臣に、王族の分家にあたる一家の長が提案した。

 王様のなされたことを真似て見てはどうだろうか。

 あきないで巨富を築いた長の男が言うには、乱世の中で人々は何よりも安住の地を求む。ならば、物資の提供を交換条件に、戦とは無縁のこの国での暮らしを提供すれば、いくらでも応じる人がいよう、と。

 この提案は実に効果てきめんで、今まで切迫していた物資の問題がすんなり解決されたどころか、国は大いに潤った。

 大臣は、平民が飢餓に喘ぐ乱世でも膨大な資産を握っている人の多さに驚いた。この妙案を提案した分家の男は、自らも身を乗り出した取引でさぞ儲けたに違いないが、国難を乗り越えられたのならそれくらいの褒美があってもいいだろう、と大臣はそれを黙認した。

 また、よその国々の出来事とは言え、獣たちとの戦で民たちは不安と焦燥でピリピリしているのを大臣は感じていた。分家の男が治めている地は不安がる民は少なく、どこよりも安定しているのも、何かの妙策があったのだろう、と期待した大臣は予想していたが、その男はよその国から引き取った子供を野獣と戦わせる闘技場を開き、民たちを楽しませていたとは、さすがに予想外だった。

 さらに男の所業を見咎めたあげく殺したのはほかでもない、彼が可愛がっていた実の子供たちだった。

 精神的参っていた人が暴動や略奪の行動に走るのを防げるなら、むしろ小さすぎる代償と言えた。男の行為は褒められたものではなかったが、死に値するほどでもなかったのに、なぜ彼の子供たちにそれが分からないのだ、と大臣は内心で嘆いた。

 他国との付き合いを考え、遺恨を残さないように、大臣は問題の解決にあたった。

 闘技場のことは男が国に内緒で犯した罪とされ、救出された異国の子らにはまともな暮らしが与えられ、希望があれば謝罪の大金を持たせ、生国へ帰した。

 実の父親を手にかけた姉弟は王家の血筋と言えど、大罪を犯したため、国外追放の刑に処された。処刑するより、戦に巻き込まれて死んだほうが、国のためには一番体裁がいい、と大臣は思った。


 まさか罪人の姉弟が生き延びるどころか、長きに渡る戦を終わらせた立役者として名を轟かせ、〈粛清の英雄〉と褒めたたえられる日が来るとは、誰が想像できよう。

 しかも生国囚牛では悪者扱いされ、追放先である傭兵の国睚眦の英雄として万民に慕われるとは、面目の立たないことこの上ない。

 何故王家の血筋――しかもそこまで才覚に満ちた者――を国外へ追いやったのだ、と世情に疎い国王にすら責められ、大臣は自分の運の悪さを呪うしかなかった。

 大臣はなんとか二人の英雄を国へ呼び戻せないかと手を尽くした。各国の訳ありや罪人も快く迎え入れる傭兵の国は結束が固く、一筋縄では行かなかったが、なんとか相対して話をする場を設けるまでこぎつけた。

 傭兵の国の英雄として大臣の元へ来たのは、片割れの姉のみだった。この際は一人だけでもいいから、、と大臣は思った。

 笑みを顔に張り付かせた大臣は、傭兵の国が戦であげた功績を褒めたたえ、感嘆を示した後、姉弟の父親の所業は自分の不行き届きが招いたことだと詫び、被害者たちへの支援は今に至っても続いていることを表明した。

 最後には、わが国も英雄の帰還を心待ちにしていると伝えた。

 

 大臣の話を聞き終えた女性は、しばし考えて口を開いた。

 この国の人間なら、誰でも「農夫と宝石」の話を聞かされて育ちますよね。

 農夫が畑を耕す時に、黒い石くれを掘り当てた。彼はみにくく邪魔な石くれを投げ捨てたが、それを一人の芸術家が拾った。汚れを取り、綺麗に磨き上げてみると、なんとそれは、貴重な宝石ではないか。多くの者はその宝石に魅入られ、大金で買おうとした。その話を聞いた農夫は、芸術家の元を訪ね、宝石は自分のものだと主張した。さて、宝石は誰のものだろうか?

 答えはこうでしたね。

≪農夫が所有していたのはただの石くれで、丹念に磨き上げ、手塩に掛けた芸術家こそ宝石の持ち主だ≫

 私は、これからも傭兵の国の英雄でい続ける――

 女性は<粛清の英雄>の名にふさわしく、冷ややかできっぱりとした声で応えた。

 大臣はがくりと肩を落とした。


 大臣の見送りを断った女性は、少ない手勢を伴って帰途についた。

 国境を越える直前に、一行を待ち構えている風の少年に出会った。

 質素な身なりの少年は、畏れと憧れが入り交ざった眼差しで女性を仰ぎ見、少し上ずった声で英雄への感謝を伝えた。

 この国を出た頃の私たちと同じ年頃だ、と女性は懐かしさを覚えた。

 この国で一番おいしい果物を使った菓子です、よかったら召し上がって長旅の疲れを癒してください!

 嬉しさに顔を赤らめた少年は、懐から小包を差し出した。解いてみると、中から子供のころよく父にねだった菓子が現れた。

 ありがとう。美味しいね。

 一口かじって、女性は少年に微笑んだ。

 また食べに来てねという少年に、もうここには来ないだろうという言葉を飲み込み、彼女はただ手を振って別れた。


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 よその人を入れると、血が薄められて結界は弱まるし、他国に結界の力が付与されたら、「鉄壁の守り」が通り抜けられる恐れもあった。囚牛の国にとって、政略結婚はデメリットだらけで、国を守るためには、王家の血筋を国内にとどめておく必要があったんだ。

 声の主は締めくくった。

「……じゃあ、このまま粛清の英雄を見逃すはずはないよね」

 子供はしんみりとした口調で言った。

 大臣らにしてみれば、それが国を守り続けるための唯一の手段なんだ。

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 両親が全財産を結界の国の商人に渡し、兄と共にこの国へ渡った女の子がいた。

 その商人は異国の子供を野獣に食わせて楽しむ悪党で、兄は無様に殺された。女の子はその後この国の偉い大臣に助けられ、不自由のない生活を送ることができたが、大人になり、伴侶を得、子供をもうけても、死んだ兄のことを忘れる日はなかった。

 そこへ、大臣は久々に彼女の家を訪れた。


 君の兄を殺した罪人の娘は明日この国に戻る。彼女は英雄の名を語ってこの国に返り咲こうとしている。私たちは君たちの命を弄んだ人間を受け入れたくないが、王が頷けば逆らえない。

 ここに、体を内部からゆっくり腐食する毒を置いておく。食べ物に混ぜても味がしないから、決してばれることはない。使うも使わないも、君の自由だ。

 私は、君たちの幸せを切に願っている、大臣は彼女に告げた。


 翌日、彼女は自分の子供をゆすり起こした。


 起きて、今日はあんたの憧れの英雄様が来る日なんだよ。会いに行くんだろう。

 差し入れの菓子を作ったから、英雄様に持っていきなさい、きっと喜ぶに違いない。つまみ食いしちゃだめだからね。

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