其の三十四・とある獣の話(元桑352・覇下)

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 戦後しばらくの間、獣の残党討伐と送還が行われていた。それは決して容易な道ではないし、様々な人間や獣たちの思惑が関与していた、と声の主は簡単に説明した。

「協力者のお話、あれだね、人間が野生動物を拾って育て、大きくなったら森に返すみたいなテレビ番組の話に似てるよね。人の手で可愛がって育て上げておいて、いきなり全く違う環境に放り出すとか、身勝手にもほどがあると思わない?」

 人に飼いならされたヒグマがいるとしよう。飼い主も飼われたヒグマも幸せに暮らしている。でも話は当事者たちだけで終われないのが問題なんだ。飼い主のお隣さんや、同じ町に住む人間からしたら、凶悪なヒグマが身近にいるなんてたまったもんじゃないよね。異分子はそのものの危険性よりも、そこにいるだけで周りの不安をかきたてる危険性のほうがずっと高いんだ、と声の主は説明した。

 じゃあ、とある獣のお話をしましょうか。

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 その土地には昔、人とけものとの戦が繰り広げられていた。

 人に敗れてしまった獣は、追い出される前にその地に呪いをかけ、あらゆる生き物の命を奪ってしまった。

 一度死に絶えてしまった土地は、時間が少しずつ癒やしてくれた。

 数年で草花が生え、十数年で木が育ち、やがて人や動物たちは土地に戻ってきた。

 それでも、湖の真ん中の島だけは、いつまで経っても枯れ果てた岩場のままで、命が戻る気配はなかった。

 

 ――呪われた島にみんなが怯えている、どうかその問題を解決してほしい。

 一人の傭兵の元に、このような依頼が舞いこんだ。

 話によると、岩に覆われたその島には獣が住み着いていた。その獣は数年前に勇気ある人々の手によって駆除されたが、その後島に上がった子供が姿を消す失踪事件が起き、度々島をうろつく獣らしき影が目撃された。いつからか獣の怨霊が今も島に取り憑いているのではないかという噂が広まった。

 傭兵は、これは獣の仕業だろうと判断し、依頼を引き受けた。


 島の周りの水中には、上陸を邪魔する岩石があちこちにあった。藻のつかないものも多く、人を遠ざけるために設置されたものだろう、と傭兵は判断し、慎重に船を岸辺に寄せた。

 岸辺には、動物の骨が散らばっていた。長い間風雨にさらされていたため、脆くひび割れていた。これを見たら、誰も島には踏み込みたがらないだろう、と傭兵にはそれが見せしめに思えた。

 辺りを見回すと、供え物らしき食べ物が置かれていた。獣が人を襲わないように、かわりとなる食べ物を備えるのは昔からある風習だが、その風習を忘れ去った地域のほうが多かった。

 島には近づきたくないと言っている割に、供え物はきっちり届け続けていることに、傭兵は少し首を傾げた。


 傭兵は用心深く島の奥へ進んだ。引っ掛かると命を落とす罠がいくつも仕掛けられており、それらを回避しながら獣の残す痕跡を捜した。

 やがて傭兵は岩だらけの島の中心部に、ぽっかりと口を開いている洞窟をみつけ、そこが獣の住処であると判断した。

 洞窟に猛毒をまいた上で入口を塞ぐのは、一番確実だったが、洞窟の近くに人の足跡を見つけ、考えを改めた。攫われた人がいるなら、助け出さないといけない。

 傭兵は、洞窟の前で練香を焚いた。練香には獣の神経を麻痺させる植物の成分が含まれているが、人には何ら影響を与えない。

 香のかおりが充満した頃、傭兵は洞窟に踏み込んだ。

 曲がりくねる道に沿って曲がり、外の光が届かなくなった瞬間に、突如襲われた。

 間一髪で殺気を察知して避けた傭兵の首に、重たいものが掠った。

 いびつな面を被った小柄な獣が、闇の中から襲い掛かった。

 濃厚な練香の中で俊敏に動く獣に驚いたのも一瞬、傭兵はすぐに体勢を立て直して反撃した。

 激しい攻防の末、傭兵はわずかな隙をついて敵を抑え込み、短刀を振り下ろした。

 面が音を立てて割れ、年若い女の顔が睨みつけるように傭兵を見上げていた。



 呪われた土地に捨てられた赤子がいた。その赤子を一匹の獣が拾って、育て上げた。

 赤子が野をかけまわる子供になった頃、その土地に少しずつ人が戻ってきた。その中の一人が、偶然出会った子供と友達になった。

 獣は子供に、自分が本当の親ではないことを打ち明け、人である子供は人の里で暮らしたほうがいいと伝えた。

 子供は迷ったが、お友達からいつでも会いに行けばいいと言われ、一緒に里へ行った。

 けれど子供は友達に裏切られた。彼らは子供を引き離した後、獣を殺した。獣を殺さないと安心して生活できないから、と当たり前のように言いながら。

 獣と一緒に暮らしていた洞窟に戻っても、そこには死体すらなく、小さな血だまりだけが岩面にこびりついていた。

 子供は涙が涸れるまで泣き続け、面をかぶり、毛皮を身にまとい、獣として生きる道を選んだ。



 最後に言い残すことはあるか。

 傭兵は尋ねた。

 私はただ獣として生き、獣として死にたいだけです。

 女は静かに目を閉じた。

  

 翌日、島から戻った傭兵は、依頼は完遂したと土地の人たちに報告した。

 人々は、これで呪いから完全に解放されたと喜び合い、傭兵に感謝した。



 何故私を殺さなかったのか。

 出立した荷馬車に揺られながら、女は傭兵に聞いた。


 人を喰らって生きるのが、獣の本分だ。なのにあの島には、人骨一本見当たらなかった。罠の設置はわざとらしかったし、洞窟で襲ってきた時も気絶させるつもりで殴りかかっただろ。人を殺せやしないくせに、獣などと名乗るな。

 傭兵は皮肉を返した。


 ……それでも、やっぱり人が憎い。

 女はぽつりと言った。


 あんたが憎く思ってるやつらはだ、人と同列に語るな。だからそこから連れ出すことにしたんだよ。

 傭兵はいらいらした様子で舌打ちし、ぶっきらぼうに続いた。

 今度こそ、もうちょっとマシな、それこそ、あんたの育ての親みたいな善人くさい人たちに会えるさ。それでやっぱ人は無理だ、獣として生きると決めた日には、俺が殺してやる。

 これでも獣退治の専門家だからな、と傭兵は振り返り、不敵な笑みを見せた。


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 獣に育てられた子供は、遅まきながら親離れして、新しい人生を生きていくのでした――

 と声の主は締めくくった。

「優しい所は、ちゃんと親譲りだったんだね……土地のみんなは、本当は怨霊の正体に気付いてたんじゃないかな」

 子供は首を傾げながら聞いた。

 何故そう思うんだい、と声の主は聞き返す。

「消えた子供が獣に育てられた子供なら、育ての親が恋しくなって勝手に戻ったと、普通思うよね、わざわざ怨霊の噂を流すのはおかしいよ」

 子供は指摘する。

 獣に育てられた子はやはり獣で悪いやつなんだ、と見限って傭兵を雇ったという可能性も十分あるよ、と声の主は別の可能性を提示する。

「その子の親代わりの獣を殺した自分たちじゃ、その子は救えない。でも放っておくのもかわいそうだから、外の人間の手を借りたんだよ」

 だから依頼はじゃなく、なんだ、と子供は反論した。 

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