其の十八・とある小間使いの話(元桑283・覇下)

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 言葉は何のために生まれたんだと思う、と声の主は質問する。

「自分の思ったことをほかの人に伝えるためとか?」

 子供は答えた。

 言葉は進化の証だというのが通説だけど、実は逆なんじゃないかと持論を展開する学者もいるんだ、と声の主は言った。

「なんで?」

 動物から植物まで、脳波、または電気信号を通わせることで意思疎通ができるから、言葉を必要としない。けど人間にはその能力がないから、言葉を使うしかないとさ、と声の主は説明した。

「でも、願い鳥みたいに以心伝心できても幸せになれるとは限らないし」

 じゃあ、とある小間使いのお話をしましょうか。

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 むかしむかし、あるところに、ちょっと変わった姫様がいた。

 光を嫌った彼女は、屋敷の奥にある真っ暗な部屋に引きこもったまま、一歩も外へ出ようとしない。ずっと暗闇の中で暮らしているから、小間使いたちですら、彼女の顔や姿を知っている者はいなかった。

 姫様のお気に召さない小間使いは、すぐに屋敷を追い出されてしまうから、きっと世間知らずでわがままな性格に違いない、との噂が流れていた。


 新しく小間使いに任命されたのは、身寄りのない少年だった。

 彼は姫様に関する怖い噂など一切信じず、一生懸命働いた。

 最初は真っ暗な部屋に慣れず、食事を運ぶ時に転んだり、掃除で物を壊したりして、その度にあわてふためいて姫様に謝った。

 姫様は彼がどんなドジをふんでも興味なさそうに黙しており、怒ることは一度もなかった。

 昔の小間使い達は、そんな姫様に怯えたり、気味悪がったりしていたが、素直で単純な少年は、何て心の広い姫様だろうと感動すらしていた。

 少しずつ暗がりに目が慣れても姫様の顔は見えず、ただ静かにたたずむ姿が暗闇の中の黒い影として映っていた。

 ある日、少年は偶然、姫様が歌を口ずさむのを聞いた。低く、かすかな音だったが、優しくて、温かい旋律だった。

 ずっと部屋の中にいる姫様は、本当は寂しいのではないか、と少年は気づいた。

 それから、少年は姫様にたくさん話しかけるようになった。

 姫様が何も話さなくても、自分から楽しくて面白いことをたくさん話した。


 何故私に構うの。私のことは怖くないの。

 飽きもせず毎日しゃべりかけてくる彼に呆れたのか、姫様は初めて彼の前で言葉を発した。

 そんな姫様に、少年は町に伝わるよそ者の話をした。


 この土地では昔、外から来た者は災いをもたらしてしまう、という言い伝えがあった。

 だからここに住んでいる者達はみな、よそ者を嫌った。

 しかしあろうことか、町で一番偉い長の娘が、偶然町に迷い込んだよそ者に恋をしてしまった。

 皆の反対を押し切って、娘とよそ者は夫婦になった。

 これじゃ災いを呼び込んでしまうのではないか、と皆は怖がり、よそ者を遠ざけたり、冷たく扱ったりした。

 でも真面目で誠実なよそ者は、偏見にもめげず、自分から皆に歩み寄った。

 自分の言葉で気持ちを伝え、行動で誠意を伝えているうちに、彼は少しずつ皆に受け入れられた。

 町の出身だろうと、よその人だろうと、話し合えば仲良くできる、と皆は考えを改めたのだった。


 伝えないと伝わらない。私も姫様とたくさん話し合って、友達になりたいのです。

 と少年は真剣に伝えた。


 誠実な少年に心を動かされ、姫様は自分の秘密を打ち明けた。

 私には、心の声が聞こえるの。言葉で気持ちを伝えればわかり合える、とお話は説くけど、言葉には本当の気持ちが込められているとは限らないわ。言葉で私を称えて、内心で怖がる者をたくさん見てきた。裏腹の声を同時に耳にするのはとても辛かった。

 でも、あなたは嘘をつかない。あなたの口から出る声はいつも心の声と綺麗に重なって聞こえるわ。勝手に心の声を聴いてしまう私が怖くなければ、友達になってください。

 小間使いの少年は、姫様と友達になった。


 姫様は、少年の言葉に笑うようになった。

 誠実な少年の目に映る世界はいつも暖かく綺麗で、嘘に疲れた姫様の心を癒してくれた。

 ある日、少年はこの土地に久々によそ者が迷い込んできた、という出来事を姫様に伝えた。

 よそ者が嫌われていたのは昔の話で、今回はみんなでよそ者を歓迎し、宴会を開いたんだ。やっぱりこの土地のみんなは優しいね。

 少年は楽しそうに語り、そのよそ者と友人になったことも姫様に教えた。

 そのよそ者、「人間」っていうらしいけど、毛も生えてなければ鱗もない、牙も角もないんだ。ここのみんなと全然違うのに、話してみると全然普通で、きっともっと仲良くなれるよ。

 少年の話を、姫様は黙って聞いていた。


 それからしばらく、少年は姫様によそ者の話ばかりしていた。今日は一緒にどこかへ出かけた、とか、よそ者の手先の器用さにびっくりした、とか、新鮮な体験は尽きなかった。

 しかし姫様の口数は、日に日に少なくなった。

 姫様は体調が悪いのでは、と心配する少年を前に、姫様はとある話を切り出した。


 あなたが前に語った昔のよそ者のお話には、続きがあったんだ。


 愛し合った長の娘とよそ者の間に、子供が生まれた。

 その子供は成長するにつれ、不思議な力を発揮するようになった。他者の嘘を見抜き、目に映るものを意のままに壊すことができた。

 その恐ろしさに周りの者達は震えあがったが、よからぬことを企む者もいた。

 よそ者の故郷は、ここよりずっと豊かだという。この力を利用すれば、その土地を侵略し、わが物にできるかもしれない。

 悪い企みに気付いた夫婦は我が子を守ろうと抗ったが、病死に見せかけて毒殺された。

 成長したその子は、夫と共に逃げ出し、辺鄙な場所でひっそり暮らしていたが、とうとう見つかって連れ戻され、夫と引き離された。

 その子を利用するために軟禁し、逃げ出せば夫を殺すと脅した悪者たちは、今もよそ者の故郷を狙っている……


 だから私は、ここから逃げ出せないのよ――

 姫様は長らく閉ざされていた窓に手を伸ばし、一筋の光を部屋に入れた。

 少年は、初めて姫様の姿を目にした。

 しなやかな四肢に、鮮やかな羽根に覆われた翼。半人半鳥のその姿はあまりにもいびつで、悲しいほどに美しかった。

 

 少年は、友人となったよそ者が悪者たちに捕まる前に故郷へ帰そうと決意した。

 彼の決意を知った姫様は、一枚のたまごを託した。

 私はこの部屋で生涯を閉じても構わない。けれど彼らは私に子供がいると知ればきっと奪っていくのだろう。この子だけでも、自由にしてあげて。


 この子もよそ者の彼も、助け出して見せる。それから戻って、今度こそ、姫様を助けにくるよ。

 少年は約束の言葉を口にし、たまごを抱きこんで駆けだした。

(よそ者を助けたら、きっと悪いやつらに殺される。でもそれは言っちゃだめだ、大事なお友達が悲しんでしまう)

 初めて聞く口に出す言葉と違う少年の心の声に、姫様は、嘘も悪いものばかりではない、と彼の無事を祈り続けた。

 

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 その後、小間使いの少年は、姫様の元へ戻ることはなかったが、姫様の子供が悪者たちの手に落ちることだけは避けられた――

 と声の主は締めくくった。

「人間がよそ者扱いされてたってことは、ここは覇下はかけものたちの国だよね」

 じゃあ持ち出したたまごってもしかして……と考えながら子供はつぶやいた。

 言葉は進化ならず退化の証であるなら、覇下の加護で言葉を手に入れた獣たちは、果たして前に進んだと言えるのだろうか、と声の主は言った。

 「言葉があってもなくても、姫様は少年と友達になってたと思うし、悪者たちは悪いことしてるだろうから、言葉だけで進化とか退化とか決めつけないでよ」

 と子供はちょっとむっとして言った。

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