其の十五・とある座長の話(元桑298・狴犴)

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 王族を国から追い出した負屓ひきの国は、守護神の力を手放したせいで国力が衰え、ほかの国々の顔色を窺わなければ生きていけなかった、と声の主は説明した。

「国の中の敵を倒しても、今度は外の敵に怯えなければならないなんて、革命もなかなか大変だね」

 幸い負屓の国は気候に恵まれた南の国だから、耕作地も森もいっぱいあって、なんとか食いつないでいくことに成功してからは、人口の多さを生かして手工業を発展させ、鍛冶の分野で頭角を現し始めた。それでも手先の器用さで一目置かれるようになるまでは、百年近くはかかったけどね、と声の主は大雑把に紹介した。

「仲のいい国はいたの?」

 金属資源が豊富な狴犴へいかんの国に食料を輸出し、手工業に欠かせない金属を輸入する互恵の貿易関係にあったから、仲がいいと言えばいいかな。正義を掲げる狴犴の国は他所んに勝手に押し入った睚眦がいさいの国を毛嫌いしてるから、その反動で負屓の国の味方してる節もあった。

「敵の敵は味方ってことだね」

 じゃあ、とある座長のお話をしましょうか。

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 勧善懲悪を掲げる国があった。

 善を貫き通し、悪を見逃さない。これこそが人の進むべき正しい道であると国の人々は信じ、自らの行動でその正しさを証明した。

 家々の門扉に閂や鍵がつかないのは、宿無しの人が雨露を凌げるようにするためとも言われ、治安の良さに関しては六国随一とまで讃えられた。

 その国に、人気の高い芝居小屋があった。座長の男はお芝居を書くことに長けており、各地の故事や伝承を収集し、お芝居に仕立て上げ、人々を楽しませた。

 中でも勧善懲悪ものは特に人気が高く、欲にまみれた悪役の所業は背筋に冷や汗をかかせる生々しさを持ち、正義を貫こうとする善人の葛藤は悲嘆と義憤を呼び覚ませる魅力があった。

 そのおかげで、一座の行く先々に、いつも大勢の人たちが集まった。


 座長には、幼い一人娘がいた。

 色んな地方で色んな人と交流するため、一座には朗らかで明るい性格の人が多いが、座長の娘は物静かな子供だった。

 母親を早くに病気で亡くしたせいもあってか、甘え方を知らない娘は、賑やかな集団から一歩下がったところから眺めたり、座長である父が書いた脚本を黙々と読むことが多かった。

 その控えめな性格を心配する人もいるが、健やかに育ってくれればそれだけでいい、と座長はそれほど気にはしなかった。


 ある日、一座は流れ者の一行に出会った。

 彼らは生国の圧政に耐え兼ねて逃げ出したのだという。その国の内情にまつわる話を聞き、座長は新しいお芝居を作った。


――とある国には、心優しい王様がいた。彼には晩年に入ってやっと授かった息子がおり、目に入れてもいたくないといわんばかりに可愛がった。王様は自分が死んだ後、王位を継ぐ息子を補佐してほしい、と臣下たちに遺言を託した。

 忠臣たちは敬愛する王様の死を嘆き、その息子に従ったが、十も満たない息子は、犬をけしかけて侍従を追いかけさせ、慌てるさまを見ては手を叩いて笑うような、父親と似ても似つかない小悪党だった。

 その子供は政に一切の興味を示さず、嘘をついては指導する師を更迭させ、少しでもたしなめられたら逆上した。やがて忠臣たちが離散し、子供の機嫌取りに長けた奸臣ばかりがのさばるようになった。

 玉座というおもちゃを手に入れた子供は、すべてを思い通りにできる万能感に酔いしれた。人が処刑される場面見たさに理不尽な法を作り、人の死を楽しんだ。

 荒れに荒れた国に、とうとう内乱の嵐が吹き荒れた――


 座長は素晴らしい芝居を書きあげ、それを読んだ一座はみな口々に演じてみたいと称賛の声をあげた。

 しかし、話を突き動かす要である子供の適役がいなかった。

 何人かの大人が子供役を演じてみたが、どれもはまらなかった。

 人の目に触れずにしまっておくのが惜しいとの声が上がる中、座長の娘は、父親の袖を引いた。

 私がやってみてもいい?と娘は聞いた。


 隣国の内乱を題材にした新作の芝居は、大きな反響を呼んだ。

 特に座長の娘が演じた暴虐な子供の王は、人々を釘付けにした。

 子供特有の無邪気さから生まれた純粋な悪意は大人の打算的な悪意よりおぞましく、人の痛みを快楽の源とするきらきらした瞳は観客の背筋を凍らせた。

 わがままで、無知で、横柄で、残忍な小さき生き物。

 頭を抱えて泣き崩れる人や、舞台の上に立つ「暴君」を殴ろうと突進する人が続出するほど、真に迫った衝撃的な芝居であった。


 さすが我が座長の血を引いた子なんですね。

 芝居の大成功を祝う中、誰かが発した言葉に、座長は寒気に似た感覚に襲われた。


 才能が開花した座長の娘は、その後も舞台に立ち続けた。

 座長の書いた芝居には腹に一物ある悪人が多く、娘は誰よりもそれらを完璧にこなし、独特な魅力を与えた。普段は相変わらず物静かで目立たないのに、舞台に立った途端全くの別人になり、彼女を中心に物語の世界が広がっていく。

 娘は舞台で悪を振りまく。

 時に容赦なく、時に気だるげに、時にむごたらしく、時に痛々しく。彼女が演じる悪が醜ければ醜いほど、裁かれた時の客席の歓声が轟いた。


 娘が舞台に立つようになってから五年ほどたったとある日。

 芝居が好評で幕を下ろし、一座の者たちが寝静まった深夜。

 座長は寝ている娘の首に手をかけ、締め上げていった。


 ずっと昔から、黒い何かが胸に巣くっていると感じていた。

 虫を捕まえて足を一本一本もいで、もがく姿に見入った時。

 家畜をさばいて暖かい血に手を浸し、抑えきれない高揚感を覚えた時。

 初めてけんかで人を殴り、骨にあたる感触に笑いが込み上げてきた時。

 何故私は悪を心に住まわせたまま、善であることに誇りを持つこの国に生まれてしまったんだ――

 座長は自分の正体に気付きながら、それを抑え、取り繕い、普通のふりをした。

 だが黒い悪は心の中に居座り、ざわざわと囁きかけてくる。

 だから行き場のない凶暴で醜く、後ろ暗い衝動を、芝居の悪役に託す形で吐き出し、均衡を保った。

 舞台の上でなら、どんな悪も許される。自分を隠し通せる。


 なのに娘が、自分がひた隠しにした悪を掘り出し、まざまざと見せつけてきた。

 一度だけ、舞台上の娘と目が合った。黒く揺らめく悪意に満ちた目。自分も同じ目をしているんじゃないかと、隠し事を暴かれた恐怖に身が竦んだ。

 ああ、そうか。私の血を引いているから、私が隠している醜悪な感情をも受け継いでいるに違いない。

 それから座長は、娘とまともに目を合わせなくなっていた。


 息苦しさに目が覚めた娘と、数年ぶりに目が合った。

 月明かりに照らされた瞳は、幼い頃と何ら変わらず、澄んだ色をしていた。

 座長ははっと我に返り、とびすさった。

 長い沈黙ののち、彼はぼそりと言葉を発した。


 頼むから、ここを出ていってくれないか。

 私は、私の醜さを知っている君が怖い……

 

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 これ以上一緒にいるべきじゃないと悟った娘は、父の願いを聞き入れ、蒲牢ほろうの民を頼って、ひそかにほかの国へ渡った。

 声の主は締めくくった。

「彼女はきっと父の力になりたくて舞台に立ったのに、父を追い詰めてしまったんだね」

 正義を掲げるのは理想として素晴らしいけど、完璧過ぎる理想は人を追い詰めてしまう。座長は悪に厳しい国にいることで、悪をはるかに上回る罪悪感に苛まれていたのかもしれない。

「狴犴の国って、弱い人や、理想の高い人にとっては暮らしやすいかもしれないけど、普通の人が息苦しく感じじゃう国なのかもね」

 そりゃ純然たる善人や悪人よりも、善人でも悪人でもない人のほうがずっと多いからね、と声の主は頷き返した。

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