其の三十二・とある国王の話(元桑335・狻猊)

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「剣を鋳るお話でさりげなく龍のウロコが出てきたけど、龍神様の御神体ってことだよね、激レアドロップアイテムじゃない?」

 その通り、龍のウロコは獣たちの国――覇下はかの国――の三大部族のうち、征野族によって何百年もの間守られ、手に取ることすら固く禁じられてきた至宝だったけど、追い詰められた獣たちは敗戦を覆すためにそれを持ち出され、最終的には英雄たちの手に渡ってしまった、と声の主は説明した。

 じゃあ、とある国王のお話をしましょうか。

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 獣が跋扈する世界に、一番最初に人々に安住の地を与えたのは狻猊さんげいの国だったという。

 火を司る守護神は、色んなものをもたらしてくれた。

 火の扱い方を教え、人々は暗闇に怯えずに済んだ。

 鍛冶の技術を教え、人々は獣に対抗する武器を手に入れた。

 耕作の知識を教え、人々は腹を満たし、明日を夢見ることができた。

 無謀を嫌い、静を好む狻猊の神は、強大な力を持ちながらもみだりに振るうことはなく、ただ清く重々しく人々を導く。

 自国だけでなく、他国の人々もその恩恵に感謝し、敬意をもって、狻猊の国を「始まりの国」と呼んだ。


 男は、狻猊の国が三百余年の歴史を紡いてきた時代に戴冠した国王だった。

 狻猊の国の国力が各国を凌ぐ輝く時代はすでに昔話となり、それぞれの道を進んだ国々はみなそれなりに栄えていた。

 男もまた、特別秀でた名君や逸材というわけではなく、ただ国が傾くことなく栄え続けられるように、臣下をまとめ、政務をこなした。

 自分の名は後世に残すことはないだろう、と彼がふと思う時はあるが、それに関して特に抱く感慨もなかった。

 まさか神話時代に破られ、姿を消した獣たちが再び人の国に牙を剥こうとは、夢にも思わなかった。


 人の守護神の座を降りた覇下はかの名を掲げた獣たちは残忍で手強く、国王である彼が打ち出した数々の策もむなしく、実の息子をはじめ、数多くの命が散っていった。

 やっぱり私は凡庸な王なのだ、と、ぼんやりした思いがずっと彼の頭の隅にすくっていた。

 それでも男は王の責務を果たし続けた。

 かつて大国だった狻猊の国は各国とのつながりはいまだに強く、男はそれに縋った。


 一触即発だった狴犴へいかん螭吻ちふんの両国の関係をとりなし、停戦を促した。

 戦に長けた睚眦がいさいの国に兵力と戦略の支援を乞い、引き換えに陣地と兵糧を約束した。

 獣の被害が一番深刻な負屓ひきの国に救援の手を差し伸べ、代わりに武器の鍛冶と食料の提供を求めた。

 獣たちとの内通を疑われる蒲牢ほろうの民の処遇の見直しを条件に、医学の造詣の深い螭吻の国と共に獣たちの弱点の研究を始めた。

 強力な結界に立てこもった囚牛しゅうぎゅうの国の不参戦を黙認し、各国要人の護衛目的の精鋭の派遣要請をのませた。

 かくして、獣に対抗する共同戦線が張られ、長く辛い時代が続き、やがてし烈な戦いは人々の勝利で幕を閉じた。


 各国から集った六人の英雄が決戦で奇跡を起こし、勝利をもぎ取った話で世間は浮かれていた。

 中でも皆を束ね、一番大きな戦果を挙げた狻猊の若き英雄が称賛と憧れの的となった。

 この英雄がいたからこそ、国々が心を一つにして災いに勝てたのだ、とみんな口を揃えて言う。

 若き英雄は凱旋し、国王である彼に稀代の秘宝――龍神のウロコ――を献上した。

 亡くなられた人々への思いと、これからの明るい未来への祈りを込めて、鎮守の剣を鋳ましょう。

 国王は進言を聞き入れ、彼の目はなんと澄んでいることだろう、とぼんやり思った。


 力のない人は触れることすら叶わない強力なウロコの鍛冶を引き受けたのは、六国随一の負屓の鍛冶師だった。

 その鍛冶師一家の鋳る武器は、どれも先の戦で戦局を大きく左右するほど強力で、本来なら他国のために使う技術ではなかったが、若き英雄への感謝を込めて、この大任を引き受けたという。

 鍛冶師は心血を注ぎ、生涯最高の傑作を鍛え上げ、国王に献上した。

 粗削りなようでありながら寸分の狂いもない造作は、すべてを支配する神の威容を彷彿ほうふつさせ、それを目にした凡百ぼんぴゃくの者をおののかせる。

 国王はその剣に魅入られた。

 なんという神々しさ。美しさ。静謐さ。猛々しさ。

 男は剣の柄を握った。

 その瞬間、自分の体に流れている守護神の血が龍の剣に呼応するのを感じ、腹の奥底からすべてを焼き尽くす炎のような何かが噴き出した。


 ああ、そうか。

 男は失笑した。

 この炎の正体を、知っている。


 子供のころから、歴代の王の話を聞かされていた。

 右に出る者がいない名君。追随を許さない賢君。皆に慕われる聖人。

 彼の前の国王は、誰もが歴史に名を刻む方ばかりだった。

 だというのに。

 鍛冶の技術を持っていたのに、いつの間にか負屓の国に追い越された。

 優れた武器で戦っていたのに、いつの間にか睚眦の国に負けていた。

 人々を守る方法を伝授していたのに、いつの間にか囚牛の国に叶わなくなった……


「始まりの国」の栄華は手に届かず、ただ西日のように緩やかに落ちていく国の王座に座っていることは、真綿で首を絞められる感覚を伴った。

 だからふつふつ沸き上がるものに無理やり蓋をして押さえつけた。

 何も感じないように、何の感慨も抱かないようにつとめてきた。

 獣たちの襲来がなければ、男は一生耐え忍び、王の責務を全うできたかもしれない。

 しかし彼は戦を通して思い知った。

 人はいつだって光を求める。

 歴代の名高い君主たちはかつての光で、若き英雄はそれを受け継いだ。

 先人の足元には及ばず、後から出る若輩に追い越される自分は、永遠に光になりえない。


 火を司る狻猊の神が自分の血脈に植え付けた火種は、ずっと仄暗くくすぶり続けていて、剣を手にしたことで爆ぜた。

 ――これは、嫉妬の炎だ。

 国王は悟った。


 渇望していた力を手に入れた国王は、初めて抱く激しい感情に身を任せ、無類の腕前を持つ鍛冶師をはじめ、その場に居合わせた全員を殺した。

 一つだけでもいいから、男は追い越されることのないものを持っていたかった。


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 無双の力を持つ剣を自分のものにしたいと企んだ鍛冶師が、王を討とうと愚行に走り、周囲の人間を巻き込んで返り討ちにされた、とじきに噂が広まった。その場の出来事を目撃して生き残った者は王様以外にはなく、真相は闇に葬られた――

 声の主は締めくくった。

「英雄って、きっと太陽みたいなものだね。明るくて眩しくて、月の光なんてあっという間にかき消してしまう」

 月はそもそも太陽の光を借り受けているだけで、自力では光れないからね、と声の主は静かに相槌を打った。

「借り受けた光でもさ、夜道を歩く人にとっては、とってもありがたかったんじゃないかな。足元が何とか見えて、心細さも和らげて、日の出を待とうって勇気が出るんだ」

 なんでそれを伝える人がいなかったんだろう、と子供は残念そうにつぶやいた。

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