其の十一・とある迷子の話(元桑283・覇下)
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「ちょっと気になってたけど、
子供は質問した。
獣の多くは肉食だから、人もターゲットのうちの一つというだけのことさ。ただ、人は自分を守る爪や牙はないし、食べるのに邪魔な毛皮もないから、獣にとっては狩りやすくておいしい獲物だったと思うよ、と声の主は答えた。
「じゃあ、別に食べるのが人じゃなくても良かったんだ」
中には変な術を使ったり、人に化けたりできるものもいて、それが獣が人に恐れられる大きな理由の一つさ、と声の主は付け足した。
「獣人ってこと?なんかかっこいいっ」
子供は目を光らせた。
そんな牧歌的な形容とはかけ離れた獰猛さを持つから、最終的には人の安否を心配する守護神たちに徹底的に追い払われたけどね、と声の主は肩をすくめて答えた。
じゃあ、とある迷子のお話をしましょうか。
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満月の夜は、月を映す沢に近付いてはならないよ。
大人たちは子供によく言い聞かせていた。
残念ながら子供というのは、ダメと言われたことはやらないと気が済まない生き物で、その男の子も例外ではなかった。
満月の夜にこっそり家を抜け出して沢のそばまで来た彼は、目の前に広がる美しい景色に心を奪われた。夜空にある月と沢にある月は、銀色の光でつながっていた。
思わず手を伸ばし、きらめく光に触れると、体は光の道に吸い込まれ、舞い上がるように、どこまでもどこまでも落ちていった。
瞼の裏まで突き抜ける日差しのまぶしさに目を覚ますと、男の子は、自分が大きな湖のそばに倒れていることに気付いた。
「君は誰だい、なんでここにいる?」
話しかける声に振り向くと、一匹の黒いイタチがそこに立っていた。
しゃべるイタチに手を引かれ、迷子の男の子は不思議な街に入った。
大小さまざまな家が並ぶ小綺麗な街は、たくさんの動物でにぎわっていた。大道芸を披露する雉に、売り込みをする熊に、荷物を運ぶ虎……
まるで人のように振舞い、人のようにしゃべる動物たちを、男の子はひどく珍しがったが、彼を見かけた動物たちも、彼の存在を珍しがった。
毛もなければ鱗もない、牙も爪も生えていない者は珍しいから、町中の動物たちは宴を開いて、男の子を歓待した。
見たこともない果物や野菜は香ばしい香りがして、男の子はおなかいっぱいになるまで食べた。
最初に出会ったイタチと友達になった男の子は、この不思議な街についていろいろ聞いた。
どうして虎や狼は、兎を襲わないの、と彼は聞く。
自分と同じように泣いたり笑ったりする者を傷つけたらだめだよ、とイタチは答える。
どうして国もなければ、戦もないの、と彼は聞く。
お互いの気持ちを伝える言葉があるから、けんかする必要はないよ、とイタチは答える。
なるほど、ここはみんなが幸せになれる、素敵な場所なんだ。
納得した男の子は、イタチと一緒に毎日町で遊んで過ごした。家のことや、父母の顔まで、だんだん思い出せなくなった。
「ここが気に入ったのなら、ずっといるといいよ。ただし、絶対に裏山には近付かないこと。あそこはとても恐ろしい
イタチは男の子に言った。
男の子は言いつけを守れなかった。ダメだと言われたら、余計見に行きたくなるものだ。
こっそり見に行った裏山には、動物たちがいっぱいいた。
人のように生活し、言葉を交わす街の動物たちと違い、男の子の知っている世界にいる動物たちのように、言葉を発さず、ただただ生きていた。
どこにも怖い獣なんていないじゃないか、と男の子が首を傾げた時、町に住む動物たちが山に入ってくるのが見えた。彼らはみな、手に武器を持っていた。
そこから始まったのは、狩猟とも言い難い、一方的な殺戮だった。
森に住む動物たちを火であぶいたり、罠に落としたり、追い詰めて崖から飛び降りさせたりするたびに、街の動物たちは歓喜の声を上げた。
気付けば、男の子はイタチと一緒に住んでいる家まで逃げ帰っていた。
心配するイタチに、男の子は言いつけを破ったことを謝り、自分の見たものを打ち明けた。
では、森の獣たちに襲われたわけじゃないんだね、よかったよ。イタチは心底嬉しそうに笑った。
なんで笑っていられるの、森の中には、あなたの同胞もいるかもしれないのに。男の子はイタチの答えが信じられなかった。
私の同胞は、この町に住んでいるみんなだよ。言葉が通じず、理性を持ち合わせていないやつは、たとえ姿かたちが同じでも、それはただの『獣』に過ぎないのさ。イタチは答えた。
もし、私が言葉を話せなかったら、イタチも私と友達にならなかったのかな。とイタチに聞く勇気は、彼にはなかった。
男の子は、森の動物たちも町の動物たちも、皆仲良く暮らせないか、周りのみんなに聞いた。
皆は最初はびっくりして、次は言葉の通じない獣などと心を通えるわけがない、と彼を笑った。最後は、いくら説明しても彼が考えを変えないのを見て、疑い、怒った。
お前は、恐ろしい獣の肩を持つのか。
武器を捨てて、自ら獣のえさになれとでもいうのか。
なんて血も涙もないやつなんだ。
男の子に対する断罪が始まり、町のみんなは彼に牙を剥いた。いくら言葉を投げかけても受け取られることはなく、彼は初めてこの街が恐ろしく感じた。
小さな手が彼の手を引き、その場から連れ出した。
イタチだった。
君は、君のおうちに帰るべきだ、とイタチは男の子を連れて、満月に照らされた夜道を駆ける。
町の動物たちが吠えながら男の子を追いかけてくる。あれは言葉を話せる獣だ、と叫ぶ声もあった。
ずどん、と銃声が響き、男の子をかばったイタチは倒れた。
どうして私をかばってくれたの、と男の子は血を流すイタチに聞いた。
ぼくは森の獣たちが恐ろしいけど、君はぼくの友だちだ。それに、言葉が通じなくても仲良くできる世界があるなら、ぼくも……見てみたい……
後ろから聞こえてくるうなり声を振り切るように、男の子はイタチを抱きしめて走り続けた。
一緒におうちに帰りたい。帰らなきゃいけない。
林が途切れ、開けた視界に湖が広がっている。二つの満月を繋ぐ銀色の道は、そこで待っている。
腕の中のイタチの体温が下がっていくのを感じ、男の子は友を温めるためにぎゅっと腕に力を込め、銀色の中へ飛び込んだ。転げ落ちるように、どんどん舞い上げっていく。
思い出した。父の顔、母の顔、自分の家の周りの景色。
バラバラになって、チリチリに散ったと思っていたものが色鮮やかに蘇る。
それと入れ替わるように、覚えているものがぼろぼろと崩れ始めた。動物たちが住む街並み、一緒に暮らし笑いあった者たちの笑顔、自分をかばって怪我した何か。
これだけは忘れちゃいやだっ。
男の子は祈りながら、腕の中の小さな体を抱きしめた。
目を覚ますと、そこは沢の側だった。朝霧を通して、陽の光が淡い黄色に輝いた。
ぼくは何でここに……?
男の子は首を傾げ、あたりを見回したら、足元に倒れているイタチが目に入った。
そうか、狩りで獲物をしとめたんだ。今夜はごちそうだぞ。
嬉しくなった男の子は、冷たくなったイタチを持って帰ることにした。
いつもなら獲物の足でも掴んで肩に担いで帰るのだが、なぜかそうする気にはなれず、腕に抱いて家を目指した。
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姿かたちに囚われなくても、別の何かにからめとられるかもしれない。それは幸せか、不幸せか、誰にも分からない――
声の主は淡々と話を結んだ。
「その男の子が迷い込んだ街は本当にあったの?あそこのみんなは、何を信じていたの?」
子供は問いかける。
人の守り神になるように任じられた龍の子供たちのうちに、神の座を降りた者がいたのを覚えているかい。
獣を狩りつくすことに疑問を持ち、守り神の責務を放棄した
たとえそれが、新たなる垣根を作り出すことにつながってしまったとしても。
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