其の十二・とある夢想家の話(元桑192・睚眦)

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 蒲牢ほろうの民たちは、自ら予言の力を封じ、時が経つとその力もだんだん弱っていったが、彼らはほかの生き方を選び、逞しく生き続けた、と声の主は説明した。

「でも、こうやって世界は平和になりました、めでたしめでたしっていうオチでもないよね」

 そうだね、確かにしばらくの間人々は平和な時代を謳歌していたが、平和になることで困る国があったらどこだと思う、と声の主は聞き返した。

「あっ、獣狩りで稼いでた睚眦がいさいの国とか?」

 しばらく思案を巡らせていた子供は、はっと思いついた。

 そう、獣が出なくなれば獣退治の依頼が来なくなる、その分収入が減る。国を維持していくためには、時代に合わせて変化していかなければならなかった、と声の主は一つ頷いた。

 じゃあ、とある夢想家の話をしましょうか。

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 傭兵の国の人たちは、血気盛んで力強く、自ら進んで戦に身を投じることを誇りに思っている。

 子供たちは勇猛で戦い上手の大人たちに囲まれ、戦いのための手ほどきを受けながら育っていく。

 時が流れ、かつて人々の命を脅かしていた獣たちがどんどん出なくなったのに対し、人同士の争いが増えた。

 一年の大半を雪に覆われているこの国は、作物の実りが悪く、代々培ってきた戦闘経験を生かす以外の道はない。だから国が舵を切り、戦う相手を獣たちから人間まで幅を広げたのも、自然なことと言えた。

 人は誰だって痛いことや苦しいことを嫌がる。それを嫌がる人の代わりに戦い、報酬をもらう。

 一度話が決まれば、雇い主のためにとことん戦いきる。ほかの人間からもっと高い報酬を提示されても、決して裏切ることはない。獣退治の時代から築かれた鉄の結束力と規律があるからこそ、争いを勝ちたい、または収めたいと考えている人たちにとっては心強い戦力だった。


 国の重臣の家に生まれた少年がいた。

 彼の家には、「客人」と呼ばれる年かさの男性が、長い間住み続けていた。

 この国の人と違う瞳の色をしている客は隣国の王族の血縁者で、暴動で故国を追い出され、この国に流れ着いてしまったという。

 穏やかで気品のある客人は、少年の話し相手にもなってくれた。

 彼は少年の知らないことをたくさん知っており、子供じみた質問も笑わずに真剣に答えてくれる人だった。

 そんな客人がどうして国を追い出されたのか、少年には分からなかった。


 私たちは、国を豊かにしようと力を尽くし、実際に国はどんどん豊かになっていった。でも熟した果実には虫が群がる。

 何もせずに美味しいところだけ食べようとする人が出たんだ。

 彼らは徒党を組んで、人の信頼や優しさに付け込んで、私たちから大事な「黒羊」を盗んだ。

「黒羊」は国を回すのに欠かせない資源で、それが悪い人の手に落ちたことで、彼ら盗人たちは地位を手に入れた。

 更に彼らは自分たちの地位が、守護神の血が流れている王族に取り戻されてしまうことを恐れ、残酷にも王族を根絶やしにしようとした。

 私は何とか逃げ出せたが、国に残った妻や子供たちは、きっともう……


 その悲しみに暮れた表情は、少年の心を強く揺さぶった。


 翌年、客人の祖国の暴動は、反乱者たちの勝利で終わった。政権が交代され、国が生まれ変わった。

 新しい王が国の視察で国境近くの村を訪れた日、少年は国境線のこっち側でそれを見ていた。

 新王らしい男は、顔立ちから立ち姿まで地味で目立たない人間だった。王族を象徴する華美な服や装飾を、これ見よがしに群衆の前で火に投げ込んで燃やした。

 粗暴な彼に恐れをなしたのか、ぼろをまとった民の一人がよろめき出て跪き、彼の足に口づけた。

 こんな卑劣で下賤な者に客人が国を追いやられたのかと思うと、少年は悔しさに身が裂かれそうになった。


 客人を国まで護送し、復権させることはできないのか、と少年は重臣である親に尋ねた。

 我々は客人を匿うための報酬を受け取ったから、賓客として接しているに過ぎない。復権させるだけの報酬が出ない限り、そういった行動はとらない。

 親の答えはこの国の信条に即したものだが、少年にはひどく薄情に聞こえた。

 

 我々はどの国の人間よりも強い。その強さに相応しい対価を求め、誇り高くあれ――

 少年は今まで信じていたその教えに疑問を持つようになった。

 私たちが誰よりも強いのなら、その強さを売り物にするのでなく、弱きを助けるために使うべきじゃないだろうか。

 少年は、胸の中で小さな夢を育てた。

 もっと強くなって、この国の在り方を変えたい。そしていつか客人を祖国へ帰したい。


 少年は夢のために戦闘訓練に打ち込んだ。彼の才能と人柄に惹かれ、国の方針に不満を抱き、その信念に共感した仲間も集まっていった。

 この国に変革をもたらしたい人たちに支えられた少年は成人した年に、王の裁可なく隣国の王を討ち取る作戦を実行した。

 彼の率いる軍隊の人数は決して多くないが、奇襲作戦のもと、敵将の首くらい簡単に取れるはずだ、と彼や仲間たちは誰もが思っていた。


 いざ国境線を突破し、戦いが始まると、予想だにしない激しい抵抗に遭った。

 戦力においても戦術においても圧倒的に劣っている敵軍は頑として引かず、自ら命を捨てるような戦い方に徹した。

 軍人を全部倒しても、次は家々から調理道具や農具を武器に、民衆が次々と歯向かってきた。

 あまりの無謀さとおかしさに、彼ら戦闘の精鋭たちが戸惑った。


 彼は武器を手放し、民衆に呼び掛けた。

 我々はこの国の民達を傷つけるつもりはありません。ただ王位を簒奪した卑劣者から「黒羊」を取り返し、本当の王族をこの国に帰したいだけなのです!


 コツン、と誰かが彼の顔に石を投げつけ、血が頬を伝った。

 視線を向けると、石を投げた老婆は顔を真っ赤にして怒っていた。


 ――あなたの言う「黒羊」は、私たちのことだ!


 この国には、血統と出自による階級制度が敷かれていた。

 最下級の人は、顔に階級を示す烙印を押され、家畜小屋に飼われ、売買される。人として見られず、言葉をしゃべるすら許されず、ただ与えられた仕事をこなし続け、けがや老衰で働けなくなれば殺処分される。

 支配側の階級の人々は、彼らのことを「黒羊」と呼んだ。

 しかし、階級制度を覆そうとする人が現れた。

「黒羊」たちに言葉を教え、知識を教え、自由を求める心を教えた。

 反旗を翻す彼のもとに人が集まり、一人の飼い主は五百匹の「黒羊」を飼っていると言われるこの国の流れが覆されるのに、大して時間はかからなかった。

 飼い主のものだった家や土地は、「黒羊」達に均等に行き渡った。


 守護神なんて知らない。あなた様だけが、私たちの神様なんです。

 ――高貴な血脈や気品などと無縁な顔立ちの男の足元に、「黒羊」達は跪き、崇めた。

 

 彼は兵を引き上げた。

 王の了承を得ずに、身勝手な独断によって画策されたその一戦は、傭兵の国建国以来、初めての敗戦に終わった。


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 人間同士の紛争にどう関わればいいのか、睚眦の国の中でも意見は分かれていたが、この敗戦を機に、不思議と議論は収まった。戦いは稼ぐ手段に過ぎず、主義主張の入る余地はない、という共同の認識が国に浸透したとさ。

 声の主は締めくくった。

「夢を見る人ほど、現実を見た時のショックが大きいだろうね」

 なんだかその少年がかわいそうに思えてきた、子供はぽつりとつぶやく。

「知らなければよかった」というのは、「知らなければ楽でいられた」という意味で、前へ進もうとすれば、いつか必ず「知ってしまう辛さ」には遭遇してしまうだろう、と声の主は答えた。

「じゃあ、彼が本当に『知ってしまう辛さ』を味わうのは、真実を知った時じゃなくて、負けて帰って、客人と顔を合わせたその瞬間だろうね」

 それはご想像にお任せするよ、と声の主は苦笑交じりに答えた。 

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