僕らは選ばれている③




「・・・あの日、何があったの?」

「・・・」


僕は曖昧にそう切り出したのだが、杉本はそれで分かったようだった。 二人しかいない教室で、押し黙った彼を待つ時間は永遠とも思える。 杉本は、ゆっくりと息を吐き出すように言った。


「櫻木・・・。 お前の母ちゃん、一年前に死んだんだろ・・・?」


言葉から受ける衝撃で、心臓がまるで銃弾のように弾けた。


「え、何で、それを・・・」

「アイツに聞いた」


きっと彼のことだ。 僕がお母さんの事故のことを話したのは、彼だけだから。 杉本は、そのまま言葉を続ける。


「俺の母ちゃんも死んだんだ。 その辛さは誰よりも、いや、お前と同じように分かっている」


杉本も、身体中の水分が蒸発しそうな程に泣く悲しみを知っている。 僕へのいじめを止めて庇うようになったのも、それが理由だった。


「・・・そうだったんだ。 あの時、君のことを殴らなくてよかったよ」

「それでけじめがつくなら、スッキリするけどな。 何なら今からでも」

「いや、心の傷が身体の傷より痛いのは、お互いよく分かっていることだから。 それに、ストロー級の僕がヘヴィー級の杉本くんを殴っても、逆に跳ね返されちゃうよ」

「はは、そんなことはないだろ」


杉本は笑ったが、その直後何故か唇を歪めた。


「・・・なぁ。 アイツから、何も聞いていないのか?」

「どういうこと・・・?」


急に、教室の空気が変わった気がした。


「お前んちの親父、医者なんだろ? 新井が教頭と話しているのを聞いてよ」

「え、うん」


新井というのは、僕のクラスの担任の先生だ。 僕がいじめられている時も気付いていないのか、常にボケーっとしていた。 それくらいだから、あまり生徒の評判はよくない。

当然僕も好きではないが、逆に聡くなくてよかったとも今では思っている。


「俺の母ちゃん、病院のミスで死んだんだ。 今となっては言い訳でしかないけど、お前の親父が医者だって聞いて許せなかった。 お前も親父も、全く関係がないっていうのにさ。 俺の八つ当たり。

 最初はからかってやろうと思ったんだ。 だけど、反応がなくて。 何か俺のことも、俺の母ちゃんのことも“ちっぽけで空気みたいな存在なんだよ”って無視されている気がして。 

 だから無性にやるせなくて、腹が立った。 分かっているんだ。 母ちゃんは元々長くなくて、ミスがなくてもいずれは、って・・・。 

 寧ろ病院のおかげで長く生きれたっていうのも、本当は分かっていた」


肺から空気を絞り出すような言葉からは、動揺が伝わってきた。


「分かるよ。 僕も車は便利で好きだけど、事故を起こした原因になったのは許せないから」

「お前んところは、交通事故か?」


厳格だけど優しいお父さんが、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていたのを今でも憶えている。 医者であるお父さんの涙は、お母さんの死が現実であると理解させるのに十分過ぎた。

だがそうすると、一つ疑問に思うことがあった。 秘密基地の彼と杉本は、元々知り合いだったということだ。 実際僕は誰にいじめられていたのかなんて、誰にも言っていないのに。


「・・・・・・俺の母ちゃんが死んだ病院のミスっていうのは、看護師であるアイツの母ちゃんが起こしたんだ」


その答えは、長い沈黙から杉本自ら口にした。


「え・・・」


確かに彼が僕の手当てをしてくれた時、やたらと手際がよかった。 ただあまりの衝撃に、上手く言葉を返すことができない。


「アイツ、元々は夕ヶ丘中で、ウチのクラスにいたんだ」

「え・・・!?」

「お前が来た時、一つ席が空いていただろ? そこに座っていたんだよ」

「あ・・・」

「で、まぁ。 後は予想できるだろ。 俺がいじめて、アイツは転校した。 だけど俺は、納得ができなくて」

「・・・そう、だったんだ」

「ミスっていっても、母ちゃんがナースコールを押したことに気付くのが遅れたっていうだけ。 俺はその時あまりよく分かっていなかったんだけど、流行り病で相当病院は忙しかったらしいんだ。

 ほとんど眠れない日が続いたりとか、後から分かって」


それでも杉本は母親を、秘密基地の彼の母親に殺されたと思ってしまった。 そして、僕自身その気持ちが少なからず理解できた。


「田舎って悪い噂はすぐ広がるから、多分居辛くなったんだと思う。 それが、アイツが逃げたように思えてさ」


いじめられる辛さも、母親を失う悲しさも僕は知っている。 ただやはり、秘密基地の彼と僕のいじめられた理由が似ているから、杉本の味方をすることはできなくて。


「『あの日何があったのか』って、聞いたよな?」

「うん・・・」

「久しぶりにアイツの顔を見たら、頭に血が上って殴っちまったんだ。 しかも、顔を。 それがよくないっていうのは、その時も分かっていたんだけど、アイツ、母ちゃんが自殺したとか言ってきて。

 もう訳が分かんなくなっちゃって」


僕も何が何だかよく分からなくて、言葉が出なかった。


「アイツの母ちゃんと、俺の母ちゃん。 昔から仲がよかったんだよ。 だから俺は余計許せなかったんだけど、それ以上にアイツの母ちゃんは気に病んでいたみたいで・・・。

 俺、その後本当は追いかけないといけなかったんだけど、身体が動かなくてさ。 それで今は、どこにいるのか分からないし。 そして今日は、お前に聞かれて・・・。 なぁ、頼む。

 アイツが今どこにいるのか、教えてくれ!」

「僕も今日、それを杉本くんに聞こうと思っていたんだ」


僕の肩を揺する杉本の顔は、苦痛に歪んでいた。


「ッ、畜生! アイツも俺たちみたいに、いや、それ以上に苦しんでいるだろうに! 俺は最低だ・・・」


僕の肩を離すと、傍にあった机を殴り付けた。 僕も後悔している。 杉本も後悔している。 僕たちは同じ気持ちだった。


「僕たち二人だけの秘密基地があるんだ。 ここ数日は来ていないけど、もしかしたら今日は来るかもしれない」

「本当か!?」

「うん、行こう」


確率は低いと思っていた。 だが、それ以外に手掛かりがない僕たちは秘密基地へと向かう。 誰かと共に行くのは初めてで、それがまさか杉本になるとは思ってもみなかった。



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