第52話

 そのメールには重要度『高』が設定されており、件名は『Urgent 連絡ください』と書いてある。

 たった数文字だけど、これが父の文面でないこと、とても重大な事態が起こっていると一瞬で認識した。たしかUrgentって至急とかの意味だったと思う。


 急いでメールを開封すると、やはり思った通り発信先は父親のアドレスであったが発信者は父では無かった。

 発信者はマリーナ・シモンズさん。父の部下でPartnerでもあると書いてある。

 どういった意味でのパートナーなのかは分からないが一旦無視する。


『始めまして、Mr.貴臣の部下でPartnerのマリーナ・シモンズと申します。

 Emergencyです。私の勝手にMr.貴臣のPCを使わせてもらってあなたに発信します。』


 Emergencyの文字に心臓が早鐘を打ち始め、嫌な汗が吹き出してくる。


『あなたのお父様がICUに収容されました。昨夜――Robber stabbed Takaomi with a knife. 刺されたのは腹部です。貴臣、現在意識が有りません』


 体の震えが止まらない……


『日本支社の者が、あなたの家に向かっています。必要な準備を直ぐ始めてください。あなたのお父様は頑張っています。Please come here immediately!』


 父さんが……刺された⁉ なぜ? どうして?


「貴匡くん、どうしたの?」

 目覚めた瑞穂が、ガタガタ震えている僕を心配して声をかけてくれたが、一言も僕は声を発せない。


 スマホを瑞穂に渡し、申し訳ないが瑞穂自身に確認してもらった。


「うっ……」


 瑞穂の息を呑む声と当時にインターフォンのチャイムが鳴った。

「わ、私が出てくるね」





「貴匡くん。久しぶりだね……もう既に聞いたみたいだな」

 来客は父の日本での同僚で昔から僕に良くしてくれていた高木さんだった。


「高木さん……どういうことですか?」

「ああ。昨夜、現地時間の夜……今から一七~八時間前ぐらいになるのだと思うのだけど、君のお父さんが会社から帰宅している最中に強盗に襲われたみたいだ。ただ詳しい情報はまだ入ってきていない」


「でも、シモンズさんからのメールには集中治療室に収容されているって書いてありましたよ」

「では、そちらのほうが新しい情報だと思う。シモンズさんは大杉本人非公認のガールフレンドで、常に彼に付き添っているはずだろうから間違いないはず」


 本人の非公認はよくわからないがpartnerというのはそういう意味か。だが今はそれどころではない、まずそれは置いておいて問題を早く把握しよう。


「では、僕も現地に向かったほうが良いですよね? メールにも早く来てって書いてありました……でも、僕パスポート持っていないんです」


 父のところに行く予定など全く無かったので、僕はパスポートを作っていない。今すぐに飛行機に乗って父のもとに駆けつけたいがそれが出来ない。


「そうだろうことは以前に聞いていたから、既に君の国内での後見人の弁護士さんには同意書を送るように手配してある。後は君の方の書類だけど、もう今日は時間的に無理なので、明日やろう。朝イチにまた来るから連絡だけはいつでも取れるようにしておいてくれ。大丈夫、大杉はゼッタイ大丈夫。君まで倒れるようなことがないようにしろよ? パスポートは申請から六日間しないと発行されないから、その間は待つだけになる。気をしっかりと保っていろよな」

 高木さんは僕の方をバンっと叩くと真剣な表情をして帰っていった。



「貴匡くん……」

「ごめん。瑞穂……ちょっとの間だけ一人にしてくれないか? ごめん」

「うん。何かあったらすぐに言ってね」

「ありがとう……」



 僕が悪いんだ。つまらない意地を張って、全然父と和解をしようともしなかった。


 もし、こんな関係にしなかったら外国に行くことも無かったかもしれないし、そうすれば強盗にあうことも刺されることも無かったはずなのに……


 全部僕が悪いんだ……お母さんが亡くなったのだって僕がもっと父さんにお母さんの具合が悪いことを伝えてさえいればあんなことには……


 日が暮れて真っ暗なリビングで膝を抱えて泣いているだけの無力な僕は何の価値もない。

 悲壮感しかなく、気持ちがどんどん落ち込んでいく。

「全部僕のせいだ……」



 ふわっと何か温かいものに包まれた気がした。

(母さん? 僕はまた間違ってしまったみたいだよ。ごめんなさい……)

(「…………。……………、……………。愛しているわよ、あなたも、お父さんも……)

(おかあさん……許してくれるの……ありがとう)



「ううん……ぁ」

「目が覚めた? うなされていたようだけど、最後の方は静かに眠れたみたいだね。落ち着いたかな?」


 僕はいつの間にか傍にいてくれていた瑞穂の膝枕で眠ってしまっていたようだ。昼寝までしたのにまた眠るなんて、今日はどうしたのだろう。


「うん。ありがとう」

「貴匡くん。私はどこへも行かないし、いなくならないからね。ずっと貴匡くんと一緒にいるからね」

 僕の髪を優しく、慈しむ様に撫でてくれる。


「うん」

「お父さんも大丈夫だよ。貴匡くんが着く頃には目も覚めているよ。自称ガールフレンドさんも付きっきりで見ていてくれているんだもの。大丈夫」

 本当にありがとう、瑞穂。君のお陰で僕は相当助かっているよ。瑞穂、君でよかった。


「ゆかりんたちには内容は伝えずに今日は無理ってだけメッセージしておいたからね。さて、まずは腹ごしらえだよ。腹が減ってはなんとやら。食べないとかは絶対に私は許さないからね?」

「ありがと。面倒かけるね。僕もおなか空いたからお願い」


 瑞穂に夕飯の支度をしてもらっている間にシモンズさんに返信をしておく。父親のメアドの最後に彼女のアドレスも書いてあったので、そちらに返信を打つ。


『父をよろしくおねがいします。僕がいざというときの用意を全くしていなかったせいで、そちらに向かえるまで一週間ぐらいはかかってしまいます。それまで、頑張るように父に伝えて応援してください』


 即応性がメールには無いので、シモンズさんには僕のSNSのアカウントも知らせておいた。父親も僕と同じSNSを使っているのでたぶん彼女もアカウントはあるはずだと思った。


 夕飯を食べて、いや、瑞穂に食べさせてもらった。一食まるまるあ~んしてもらった。

 お風呂入って、当然のように瑞穂と一緒に入って、隅々まで洗ってもらった。


 瑞穂は甘やかし放題で、僕は甘え放題させてもらった。


 疲れてしまったときは甘いものを摂取すると元気になるって本当だな。


 高木さんにも注意を受けたけど、今更慌てて騒いでもどうにもならないのだから、しっかりと気を保って間違った行動を取らないことだけに注意しよう。


「そうだよ。それにね……貴匡くんは自分でみんな抱え込んじゃうから、自分のこと責めるでしょ? 駄目だよ。貴匡くんは何も悪くない。お父さんも亡くなったお母さんもみんな貴匡くんのこと愛しているんだよ。もちろん私だってご両親に負けないくらい愛しているからね。絶対に忘れないでね」


「うぐ……ぐす……みずほ……」

「いいこ、いいこ。私がずっとついているからね……」


 瑞穂の胸に抱かれながら、安心したのか僕はまたも直ぐに眠りについてしまった。

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