第44話「締め切り前日」

 翌日の昼休憩、俺たちは部室で昼食を取りながら作業をしていた。


 俺が最後に見た時は七割程の進み具合だったイマガク。それが今日、見てみると紙面はほぼ完成していた。俺が逃げ出した後も湊土と火野はしっかりとイマガクの制作を続けてくれていたんだ。


 俺にはそれが、ただ二人がイマガクを作ろうと頑張ってくれたのではなく、俺の帰る場所を守ってくれたように感じられた。もちろん二人がそう言った訳ではないし、俺から訊いた訳でもない。でもそう思う方がハッピーだろ。もう出るか出ないかわからない結果を待っているだけの自分は卒業だ。どんな結果になろうとも、もしそれがなかったとしても自分から探していく。それが俺の新しい生き方だ。


 昼食を食べ終わった湊土はパソコンからコピー機に何枚か出力をかけ、おもむろにそれを俺の所へ持って来た。見るとそれはイマガクの表紙だった。


「一応、候補は絞ったんだけど、ハルはどれが良いと思う?」


 手渡された表紙の候補は三つ。一つ目は紅葉が綺麗な街並みの写真。二つ目はアクセサリーなどの小物にもみじの葉が散りばめられた写真。そして三つ目は小洒落た女性のイラスト。ロイヤリティが発生するイラストは仮で置かれていて画質が荒い。


「正直どれも良いと思うけど……なんかピンと来ないんだよね」


 確かに湊土の言う通り、イマガクのロゴや特集の文字が入ったそれらはどれも雑誌としては違和感がない。そしてピンと来ないという湊土の意見もわかる。


「普通過ぎるかもな」

「そうなんだよ~。どれも普通の雑誌過ぎて面白味がないんだよね。やっぱAOIみたいな美人が写ってないとインパクトに欠けちゃうのかな……」


 これまでのイマガクと違うという点ではインパクトはあるのだが、人の顔、それもAOIと見比べてしまうとこの三つはやはり弱い。だが締め切りはもう明日で時間がない。


「とりあえずこの中から選ぶしかないだろ。もうこうなったら、せーので選ぼう。火野もだぞ」


 口をモゴモゴとさせた火野が向かいの席からこっちへやって来る。


「いいか? じゃあ、せーのっ」


 俺の合図に三人で一斉に声を上げる。


「イラストの表紙かな」

「街並みの写真っ!」

「小物ともみじの表紙だな」


 湊土はイラストを使った表紙、対して火野は街並みの写真を使った表紙を選んだ。そして俺は小物ともみじの表紙。見事に三人の意見は割れた。いや、見事すぎて逆に残念だよ。


「どうなってんだ、みんなの心がバラバラじゃないか。お前らもう昨日の誓いを忘れたのか?」

「誓いってなんだっけ?」


 火野はすっとぼけた表情をする。


「言っただろ、俺たちは仲間だって。だから、まずは心を一つにさせないと駄目だろ」

「え、ちょっとっ。あれってその場の雰囲気で言っただけじゃないの⁉」

「はあ? んな訳ないだろ。俺はいつだって真剣だぞ」

「は、恥ずかし過ぎるって! ってかその真顔やめてよっ。湊土くんも何とか言ってよ。こいつバカだよバカっ⁉」


 火野は照れているのか顔を赤くさせて湊土に話しを振るが、湊土は腹を抱えて爆笑していた。


「あっははははっ! やっぱハルって最っ高だね!」

「ぜんぜん最高じゃないよっ。他人事みたいに言ってるけど湊土くんもその一員なんだよ。そんなの嫌でしょ⁉」


 そう言われて湊土は考えるように上を向いた。


「僕は別に嫌じゃないかな。そりゃ人前で言われたら恥ずかしいかもしれないけど、この三人の時なら平気だよ」

「……もういいです」


 あははと笑う湊土に火野は観念したようだ。


「それより表紙をどれにするか考えようぜ」


 俺はなんとなく小物ともみじの表紙が良いと思っただけで、別にこれという理由はない。どうしてもこれが良いという意見があればそれに乗るつもりだ。


「どうしようかな……。なんか決め手があればいいんだけど」


 うーんと眉間に皺を寄せる湊土。こいつも俺と同じ意見なのかもしれないな。

 そんな中、火野がぼそりと、


「……いっそのこと三つとも表紙にしちゃう?」


 その提案に湊土は訊き返す。


「三つとも? コラージュするってこと?」

「そ、そんな専門用語はわからないけど。三人の意見がバラバラだから、もうごちゃ混ぜにしちゃえって思っただけ……。ごめん、適当過ぎるよね」


 火野は適当だと言ったが悪くはなさそうだ。三人の意見を汲む良いアイデアだ。だが、それでも俺の中に何かが引っかかっていた。それが何かわかればいいんだが。

 なにかヒントはないかと俺は手元にあった先月号のイマガクを眺めた。表紙にはAOIとイマガクのロゴ。


 そういえばイマガクってなんて意味だったっけ? えーっと、確か……。『今を生きる学生を応援するフリーペーパー』だったっけ。今を生きる学生。今学。イマガク。

 名前の由来を頭で反芻していると俺の中に一つの答えが出た。


「湊土、火野。放課後俺に付き合ってくれ。これしかないっ!」




 放課後、俺たち三人はある教室の前に来ていた。


「ねえ、ここって……」


 火野は不安そうな声を出していた。湊土は何のことかわからないのか俺と火野の顔を交互に見ている。


「ああ、金魚鉢先輩のいるクラスだ。よし行くぞっ」


 カメラを小脇に抱えた俺は教室の中へズンズンと入って行った。後ろから湊土の止める声がしたが俺はそれを無視して金魚鉢のもとへ向かうと俺に気付いた金魚鉢が手を振った。


「あれぇ~、元日くんだ。どうしたの?」

「先輩にイマガクの手伝いをしてもらいたくて来ました」


 俺がイマガクの名前を出すと金魚鉢の笑顔は曇る。


「ああ~、訊いてなかったっけ? 黄金しばらく同好会には近づかないようにって言われてるの。だから元日くんのお願いでも、ちょっと無理かなぁ……」

「そ、そうだよハルっ。先輩の写真は掲載出来ないんだって!」

「あんた、そんなことも忘れたの⁉」


 戸惑う湊土と日野は左右から俺の制服の袖を引っ張っていた。


「わかってるって、でも表紙を作る為には先輩に協力して貰わないと駄目なんだよ。だからここは俺を信用してくれ」


 二人は更に困惑したような表情を浮かべたが、俺の言葉に小さく頷いてくれた。

 そんな俺たちのやり取りを見て金魚鉢はあははと笑う。


「なんだか三人は前より仲良くなったみたいっ」


 当然だ、俺たちは以前の俺たちではないのだから。


「俺たち仲間になりましたからね」


 その瞬間、左右から同時に頭をはたかれた。


「だから真顔で言うなっ」

「それは三人の時だけって言ったでしょっ」


 火野と湊土は顔を赤くして怒っていた。


「ええ~、いいなぁ。黄金もその仲間に入りたい~」


 と金魚鉢はいつものじゃれるような感覚で腕を組んできた。相変わらずの甘い香水の匂いが俺の鼻腔をくすぐる。


「もちろん、金魚鉢先輩も仲間ですよ。だから誘いに来たんです」


 真顔で答えると金魚鉢は目を開き驚いた表情を見せた。

 組んでいた彼女の腕の力が緩む。


「そ、そうなんだ……」しばしの沈黙の後、「あ、あれ~、元日くんだよね?」と金魚鉢は俺を覗き込んだ。


「他に誰がいます? それより香水の匂いが移るんで離れてください」

「……あっ、元日くんだ」


 呟いて彼女はそっと俺から離れた。


「今からイマガクの表紙撮影をしたいので先輩も一緒に来てください」


「だ、だから私は協力出来ないって言ってるでしょ。元日くん私の話聞いてるのっ?」

 そう言い返す金魚鉢の口調がおかしい。むしろ今が普通で普段がおかしいのだが。以前もこんなことがあったな。金魚鉢は動揺すると素が出てしまうんだろうな。


「学校にそう言われたからですか?」

「……仕方ないでしょ、これから生徒会長になるんだから。学校には逆らえないのっ」


 金魚鉢は自分を抱くように制服をギュッと掴み、顔を逸らした。

 真っ当な意見だが、俺が知っている金魚鉢黄金はこんな人ではない。


「なんだかがっかりですね」

「……どういう意味?」


 キッと睨みをきかせる金魚鉢。俺はそんな彼女に言い放つ。


「金魚鉢先輩が生徒会長になれば楽しい学校になると期待してたんですけど、そうはならないみたいだなって思っただけです」


 これに反応したのは火野だった。


「それって、茶道部の先輩が言ってた……」


 そう、これは金魚鉢に対して茶道部の部員たちが言った言葉だ。それを俺はあえて金魚鉢にぶつけた。


「結局、生徒会長なんて誰がやっても一緒ってことかー」


 大袈裟に残念がると金魚鉢は俯いてしまう。


「学校の言いなりになるだけなら、人がやる必要もないのかもなー」


 湊土と火野が「やめろ」と言いたげに俺の袖を引っ張る。それでも俺は続けた。


「それこそ犬とかでも務まるんじゃないのかなー」


 そう言うと湊土と火野は絶句していたが重要なのは金魚鉢の方だ。もちろん俺はそんなことは一切思っていない。こうでも言わないと彼女を動かせないと感じたからだ。

 ここまで言われた彼女がどんな反応をするか注視していると、金魚鉢はゆっくりと顔を上げた。


「……もう~、元日くん今日は変なことばっかり言うんだからぁ。黄金ちょーっとだけ驚いちゃった。黄金が学校の言いなりなんてありえないよ~。うふふっ」


 いつもの口調に戻った金魚鉢。その表情は吹っ切れたようにも見えた。

 自由奔放な面ばかりが表立っているが本当の彼女は計算高く、そして義理堅い人間だ。それは今回の部長と美空の停学でよくわかった。二人が停学になった時、すぐさま俺たちのもとへやって来て協力すると言ったのは責任を感じたからだろうし、逆に学校から止められて簡単に引き下がったのは、同好会が変に目をつけられないようにという彼女なりの配慮だろう。


 あの時の俺にはそこまで考える余裕はなかったが、今こうして冷静になってみると、そこにも彼女なりの優しさがあったのだとわかる。

 そんな彼女なりの優しさを無視して俺が金魚鉢に再度協力を頼むのは、俺が仲間だと思える人間に協力して欲しいという単純な理由。俺はそんな仲間だと言える人間とイマガクを完成させたかった。


「よし、じゃあ行きましょう」


 俺が歩き出すと金魚鉢は状況が飲み込めていない湊土と火野の手を取り、清々しい笑顔で追いかけて来た。

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