第42話「向かった先は」
佐奈と別れ電車に飛び乗った俺はある建物の前に来ていた。
地中海風の真っ白い外壁。扉の横には『ビューティーサロン・ソレイユ』という立体文字看板をライトが照らす。
そう、ここは母の経営するエステサロンだ。
ここに来たのは何年ぶりだろうか。俺が小さい頃に何度か母に連れられて来た記憶があるが、小学校高学年になってからは記憶がないので、おそらく六年以上ぶり。
母が経営する店といっても男の俺がここに入るのは少し気が引ける。しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。俺にはやらなければならないことがある。
意を決し扉を開け入店すると、すぐに受付嬢が声を掛けてきた。
「いらっしゃいませ。すみませんが当店は女性専用のサロンとなっております。誰かをお待ちでしたら、申し訳ございませんが店外でお待ちください」
受付嬢はぺこりと頭を下げた。
若く見えるがしっかりとした対応だ。相当厳しく母に教育されたに違いない。
「日下部晴日(くさかべ はるひ)に息子の元日が来たと伝えてください」
受付嬢はかしこまりましたと小さく礼をすると、カウンターに置かれた電話機で母に連絡を取ってくれた。
「――はい、そうです。承知しました」
電話を切った受付嬢が俺を見る。
「お待たせしました。ご案内いたしますのでこちらへどうぞ」
そう言うと受付嬢は奥の階段へ向かった。
あの母のことだ。会わないと言い出すかと思っていたが流石にそれはなくて安心した。俺は一つ息を吐いて階段を昇った。
部屋をノックし開けると、母は対面したソファの片方にドカンと座り脚を組んでいた。俺を見るなり母は口を開く。
「元日がここに来るなんて何年ぶりかしらね。それも自分から来るなんてちょっと驚いたわ。まあ、いいから座りなさいよ。何か飲む?」
「いや、いい」
約二か月ぶりに再会した母の口調はやけに明るい。
俺がソファに腰を下ろすと母は矢継ぎ早に質問をしてきた。
「新しい学校はどう? 我ながら良い学校を選んだと思うんだけど、ちゃんと通ってる?」
「まあ、一応……」
「女の子が沢山いるのに楽しくないの? あんた不健康ね。脂肪と一緒に色んなもの失くしちゃったんじゃないの?」
やっぱり、あの高校が女だらけってことを知ってたのか。一体なにを企んでいたのやら。
「それで、何の用事で来たの? あ、わかった。やっぱり一千万は無理って言いに来たんでしょ。確かに私も勢いで言った部分もあるけど、それにしても随分と早くに音を上げたわね」
母は楽しげにまくし立てた。
「一千万はちゃんと返すよ」
「え、そうなの? 返す当てがあるの? もしかして変なことしてないわよねっ。別に一千万なんてどうでもいいんだから、他人様に迷惑かけるようなことだけはしないでよ」
テーブルに置かれたコーヒーを一啜りする母。ジト目で俺を見ている。
いや、一千万はどうでもいいのかよ……。
「心配しなくて大丈夫だよ」
「じゃあ、何しに来たの?」
俺がわざわざ母に会いに来た理由。それはもちろんイマガクの為だ。
いくら間違いに気が付いて心を入れ替えたとしても、途中で逃げ出した俺が謝ったところで湊土たちは許してくれないだろう。それならそれでもいいんだ。許されないからといって、逃げたままには出来ない。ちゃんとけじめをつけなくては俺は一生変われない。
「モデルを紹介して欲しい。もちろん高校生がいい」
俺は母に頭を下げた。
AOIの代役だった金魚鉢の掲載が駄目になった今、俺があいつらにしてやれるのはイマガクの表紙を飾るモデルを連れて行くことだけだ。エステサロンを経営する母なら芸能事務所やモデル事務所に多少なりとも伝があるはずだ。
俺はそれで何とか責任を果たそうと思った。
「モデルって……。そりゃ私ならいくらか知ってるし、お店の常連の中にも何人かいるけど。だからっていきなりモデルを紹介しろなんて、母親である私によく言えたわね。ちょっと痩せて見た目が良くなったからって調子に乗ってんじゃないわよっ」
母はテーブルをバンと叩くと俺を睨んだ。
どうやら俺がモデルと付き合いたいから紹介してくれと頼みに来たと思っているようだ。
仕方ないので俺は一から説明することにした。FP同好会。イマガク。今回の事件からの経緯。そして本当は話したくはなかったが、俺が引きこもるきっかけとなったあのことも全て話した。
話し終わると夕方の六時を過ぎていた。
「……なるほど。まあ、理由はわかったわ。それに元日が引きこもってた原因もハッキリとしたし。学校でなにかあったとは思ってたけど、まさかそんなことだったとは……。ていうかそんな恥ずかしい話、よく私にしたわね」
わざわざ言わなくていいだろうに、母には遠慮というものがない。
確かにこんな恥ずかしい話を親にするのはどうかしてる。それでも全てを話さなければこの母が納得するはずもない。
この際だから恥はどうでもいい。それで母を説得出来るのなら安いもんだ。それくらい俺の中にはあいつらに償いたい思いがあった。
「それはどうでもいいから。モデルを紹介してくれるかどうかを教えて欲しい。もう締め切りまで時間がないんだ」
「はいはい。わかってるわよ。じゃあ結論だけ先に言うわよ」
答えを迫る俺を制すると母は脚を組み替えた。
俺は固唾を飲んで結果を待つ。
「結論から言えば、私は元日には協力しません」
淡い期待は見事にはずれた。絶句する俺に母は続ける。
「理由はどうであれ、逃げ出した人間に私の大事な取引先のモデルは紹介出来ない。お金とかの揉め事があるといけないからね」
冷たい言葉が俺に投げつけられる。だが母の言っていることに間違いはない、俺は一度だけでなく二度も逃げ出した人間。そんな奴が都合良くいくほど社会は甘くないんだ。
「ちょっときつく言ったけど、これはあくまで大人としての話だから。でも元日はまだ学生でしょ。なら学生としてのやり方があると思うの」
慰めているつもりなのだろうが、今の俺にその言葉を理解するのは難しかった。
「……わかった。仕事中に来て悪かった」
「それで、どうするつもり?」
「どうするって言われても……。謝るだけだよ」
「もし許してくれなかったら?」
「もともと許してもらえるなんて思ってない。ただ、せめてモデルを連れて行けば、置き土産になると思ってただけだから」
俺がそう言うと母は何故か嬉しそうに頷いていた。
「落ち込んでる息子がそんなに面白い?」
「はあ~、なんであんたはそんなに卑屈なの⁉ 昔はもっと素直だったのに、一体あんたの脂肪には何が詰まってたのよ」
俺の言葉に母は呆れたのか頭を抱える。
「そりゃ色々な細胞と水分じゃないのか」
「いや違う。元日の脂肪には人として大切なものが詰まってたんだわ。だから今のあんたはそんなヘンテコな人間になっちゃったのよっ」
さっき以上に母の言っている意味がわからない。ヘンテコなのは太っていた頃の俺だろ。今考えたら、よくあの容姿で学校に通えたもんだ。
「まあ、それは置いといて。やっぱり元日を転校させたのは正解だったみたいね」
笑いながらコーヒーを一啜りする母。
……ころころと話が変わるなぁ。
「正解って何が?」
「そりゃ、元日が私を頼るくらいだもん。あんな恥ずかしい話までして……」
それはもういいだろ、と俺がため息を吐くと母はにんまりと笑う。
「それだけ同好会の皆は大切な仲間ってことでしょ?」
「……仲間?」
確かに友達と呼べるのは湊土くらいで部長や美空は先輩だし、火野はそもそも同好会の部員でもないから肩書は……クラスメイト?
そんなよくわからない肩書の皆をまとめて仲間か。なんでだろう、その言葉が何故かとてもしっくりくる。
「あんた昔から友達作るの下手だったでしょ。家に友達を連れて来たこともないし。まあ、それは私のせいでもあるんだけど……」
自分で言って母はバツが悪そうに顔を逸らした。
恐らく俺が幼い頃にした母の離婚や、仕事に奔走して帰りが遅くなったことを言っているのだろう。ただ、それが俺の友達作りが下手なのとは無関係だ。全ては俺の嘘の優しさが原因なのだから。
「いっそ友達なんてどうでもいいから、良い仲間が出来ればと思って転校させたり、一千万の返済をしろって言ったんだけど……。あははっ、ここまで上手くいくとは思わなかったわ」
母は笑っているが、本当にそんなことを思っていたのだろうか?
そうだとしても一千万はいくらなんでもやり過ぎだろ。おそらく引きこもっていた俺にキレただけ、というのが大半だろう。
しかし結果的には母の言う通りかもしれない。転校して新しい環境や一千万返済という課題がなければ俺は同好会に入っていなかっただろう。
結局は母の掌で踊らされていただけだったのか。まあ、それも今となっては感謝するべきだ。今までの自分の間違いに気付くきっかけになったんだから。
「それにしても、この私を頼ろうなんて百年早いわね」
せっかく人が感謝していたのに今度はなんだ?
「百年経ったら俺も母さんも死んでるよ」
「屁理屈言うな。私が言いたいのは、私に頼る前にやることがあるでしょって意味よ」
そう言われても締め切りギリギリだし、むしろ遅いくらいだ。俺が心の中で文句を言うと母はこう付け足した。
「そんなに良い仲間がいるんだったら、まずはその仲間を頼りなさい。フリーペーパーのことはよく知らないけど、高校生同士で何かを作るなんて素敵じゃない。だから一人で結果を出そうなんてせずに、ちゃんと仲間と協力しなさい」
母の言葉に俺の中でまた何かが崩れていく感覚がした。
そうか、そこでも俺は間違っていたのか。
今まで自分の結果を出すことに拘ってきた俺は、誰かと協力するなんてしたことがなかった。考えたこともなかった。母が言うように俺に必要なのは彼らを仲間だと思い、そして共に結果を出すことなんだ。
「そしたら私も協力してあげるわよ。そうだ、同好会の皆を連れてきなさいよ。もちろん女の子も居るんでしょ?」
と身を乗り出す母の顔はどこか期待感に溢れている。
「いや、今回はもう母さんの力は借りない。もし次があれば……その時にまた頼むよ」
「……そう。じゃあ次があるように、しっかりやってきなさいよ」
母はどこか寂しげな表情を浮かべたが、すぐにいつもの少しだけ厳しさ滲む表情に戻っていた。モデルの紹介はして貰えなかったが、それ以上の物を母から貰えた。
「うん。ありがとう」
それは素直な気持ちから出た言葉だった。
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