第35話「事件」

 締め切りを十日後に控えた朝、登校するとなにやら教室が騒がしい。クラス中が妙にそわそわしている感覚だ。とは言っても俺には関係ないと窓から見える景色を眺めていた。すると教室のドアが勢いよく開かれる。


「ハルっ! なにしてんのっ⁉ 大変だよ、早く部室に来てっ!」


 血相を変えた湊土が走り寄る。

 いつもはニコニコとしている湊土の顔が青い。まだ事情は聞いていないが大変な事態が生じたのだと容易に想像が出来た。


「ど、どうしたんだよ? ちょっと落ち着けよ」


 俺は穏やかな口調で湊土を落ち着かせようとしたが、


「いや、落ち着いてられないよ。大変なんだよ。美空さんがっ――いいからハルも来て!」


 湊土は俺の腕を掴み部室へと走り出した。

 


 部活棟の三階に上がると部室の前には人だかりが出来ていた。部室は最上階の最奥ということもあり、普段はFP同好会の人間くらいしか寄り付かない場所なのに。

 それを見て、どうやら本当に一大事が起こったのだと自分の鼓動が早くなるのを感じた。


「すみません。通してください。FP同好会の人間ですっ」


 湊土は叫びながら人だかりの中を進んで行く。俺も湊土の後について部室を目指す。

 やっとのこと部室に辿り着くと、そこには予想もしていなかった光景が俺を待っていた。


 興奮する美空を部長が必死に止め、向かいには一人の女教師と、ぺしゃんと座り込んだ女。女は泣きながら自分の腕を押さえて「痛いよぉ……」とかすれた声を出している。


 よく見ればその女は金魚鉢の撮影を邪魔してきた、あの高飛車女だった。どうやら腕を痛めているらしい。


「なんでこんなことするのよ……」


 高飛車女は恨めしそうに美空を見る。


「ふざけんな、お前が悪いんだろっ! よくそんなことが言えるなっ⁉」


 高飛車女の言葉に激怒する美空。

 教師も加わり二人で抑えようとするが、彼女の言葉は止まらない。


「そこまでして生徒会長になったところで、あんたなんかには誰もついて行くわけないっ‼」


 言っている意味が理解出来ず状況も全く飲み込めない。


 そんな俺の横を保健の先生が通り抜けて高飛車女に駆け寄り、痛めた腕を触診していく。腕に触れられる度に高飛車女は痛いと泣き叫んでいた。


「折れてるわね。今すぐ病院に行きましょう。さあ、立って」


 そう言うと保健の先生は高飛車女を連れて病院に向かった。


 俺が部室に到着してから、あっという間の出来事だった。残された俺たちに教師は自分の教室に戻れと指示するが、何も状況がわからないままでここを離れる訳にはいかない。


「一体、なにがあったんですか……?」


 美空に事の経緯を問うが彼女は俯いたまま、


「……元日、湊土…………ごめん」


 絞り出したその声はとても小さく弱弱しい。

 初めて見る彼女のその姿に、俺はそれ以上何も訊けなかった。



 美空と部長が教師に連れていかれると、部室前に集まっていたギャラリーもいつの間にか居なくなっていた。未だ何が起こったのかわからない俺に湊土が順を追って説明してくれた。


 事の発端は早朝に仕事をしようと美空と部長が部室の鍵を職員室に取りに行ったところ、部室の鍵がなく不審に思い部室に行くと、あの高飛車女が勝手にパソコンを開いていたという。


「あの人、選挙戦の金魚鉢先輩のライバルでしょ。それでね、いま作ってる十一月号のデータ消されちゃったんだって。それを美空さんが怒って揉み合いになったら相手が転んじゃって。その時にうまく受け身が取れなかったらしくて……」


 湊土は大きなため息を吐いてうなだれる。


 あの高飛車女は以前、撮影を邪魔して金魚鉢に返り討ちにされていた。そのことを恨んで行為に及んだのだろうか。もしそうだとしたら元々の原因は俺にある。俺があの女に食って掛かったからだ。


「すまん湊土。俺のせいだ……」

「どういうこと?」


 俺は撮影での出来事をすべて湊土に話すことにした。とっくに授業が始まっている時間だが

湊土は俺が話している間、一言も口を挟まずに最後まで黙って聞いてくれた。



「だからハルのせいってこと?」

「ああ。俺が突っかかってしまったからな、それも選挙で戦う金魚鉢の目の前でだ。あの女も引けなくなったんだろう。まさかこんなことを起こすとは思いもしなかった……」


 俺が言い終わると湊土は、はあーと息を吐いて、


「なーんだ、そんなことか。そんなのハルなんだから仕方ないじゃん」


 頭の後ろで手を組んだ湊土は気の抜けた声で言う。


「仕方なくはないだろ。それで皆に迷惑かけたんだぞ」

「あははっ、なに言ってんの。迷惑なんていつものことじゃんっ」

「そ、それはそうだけど。随分とハッキリ言うんだな……」


 口を尖らせた俺を見た湊土は笑い、天井を見上げる。


「それでもハルが居ると楽しいし、ちゃんと戦力にもなってる。それに美空さんだってそれをわかって入部させたんだから、ハルが気にするようなことじゃないよ」

「そ、それはどうだかな……」

「そうだよ。ハルが入部する前は美空さんいっつもカリカリしてて、部室の雰囲気悪かったんだよ。でもハルのお陰で美空さん笑ってることが多くなったんだから。それだけでもハルが入部した意味があるよ」

「それは編集長が俺を玩具にして楽しんでいるだけだろ」

「またそんなこと言う。それもハルらしいと言えばハルらしいんだけど……。それより部長と美空さん、どうなっちゃうのかな?」


 データを消した高飛車女が悪いとはいえ、美空が骨折させてしまったのは事実だ。果たして二人にどんな処分がとられるのだろうか。


「……ああ、心配だな」

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