第33話「金魚鉢黄金という女」

 撮影を行うため俺たちは金魚鉢の教室へ向かっていた。前を歩く金魚鉢の後ろで俺は火野からの愚痴を延々聞かされていた。さっき茶道部で金魚鉢に言われたことが相当腹に立ったのだろうが、俺の知ったことではない。


「別に日下部の彼女になりたいとか、そんなのは一ミリも思ってないけど。あんなこと面と向かって言う? そりゃ先輩は可愛くてスタイルもいいけど。それでもやっぱり悔しいぃっ!」


 顔もスタイルも負けていると自覚しているのなら黙っていて欲しい。なんで俺がこいつの愚痴を聞かなければならないんだ。右から左に受け流しているといっても、いい加減疲れてきた。


「ここだよ。ここが黄金の教室っ」


 教室に着くと中にはまだ生徒が何人か残っていた。金魚鉢はその生徒と軽く挨拶を交わす。俺は躊躇なく教室へ入ったが火野は教室の前で立ちすくんでいる。


「何してんだよ。早く入れよ」

「あんたの教室みたいに言わないでよ。上級生の教室に入るの緊張するんだから」

「いつも図々しいくせに、こんな時だけなに言ってんだよ」

「う、うるさいっ!」


 火野は教室の前で深呼吸を二度三度してようやく教室に入って来た。これでようやく撮影が始められると思っていたのだが。


「あら、ここは二年生の教室よ。あなたたち一年生でしょ。正当な理由もなく上級生の教室に入ったらいけないのを知らないのかしら?」


 突然現れた女が俺たちに注意する。腕を組んでいる姿はいかにも高飛車女といった感じだ。

 言われた火野は慌てて謝っているが、こちらにはその正当な理由がある。


「一応理由はちゃんとあるんで。それに放課後の学校で俺たちがどこにいようが、あんたに指図される筋合いはないでしょ」

「あんたですって⁉ あなた、クラスと名前を言いなさいっ!」


 俺は正当な理由を述べただけなのだが、それに女はヒステリックに声を荒げた。こういうタイプはなんでも自分の思い通りにならないと気が済まない。一言で言えば大変面倒なやつだ。


「一年十組、日下部元日。これでいいですか? 邪魔なんでもうどこか行ってください」

「いいわけないでしょっ! 私はあなたの口の利き方を言ってるのよ!」


 ただでさえ火野と金魚鉢の相手で疲れているのにこんな女まで相手にしてられない。


「そうですか、それはすみませんでした。ただ、僕たち今は部活動の真っ最中なので少しお静かにお願いします。もちろん先輩の有難いご忠告を肝に銘じますので」


 あまり挑発するなと火野が俺の袖を掴むが時すでに遅し。

 女はキンキンと甲高い声でまくし立て始めた。耳が痛くて何を言っているのか、そのほとんどは聞き取れないが最後の方だけなんとか聞き取れた。


「――私が生徒会長になったらあなたみたいな男子は即刻退学にさせるから覚悟しなさいよっ!」


 生徒会長如きにそんな権限がある訳ないだろ。それにしてもこいつも生徒会長に立候補するのか……。

 金魚鉢には投票しないと言ったが、この女にも投票したくないな。


「ねえねえ元日くん。いつになったら撮影始めるのぉ? 黄金そろそろ帰りたいんだけど~」


 はあ……どいつもこいつも本当に自分勝手だな。この高飛車女をどうにかしないと、それどころじゃないだろ。


「金魚鉢さん、この一年生たちはあなたの知り合いなの⁉」


 高飛車女は金魚鉢に詰め寄る。


「そうだよぉ。元日くんと桃火ちゃんは黄金の後輩くんたちだよ。元日くんって面白いでしょ」


 ほわーっと答える金魚鉢。まるで違う温度差に高飛車女は青筋を立てる。


「面白いもんですかっ! こんなの面白がるなんて、どういう神経してるのよっ! あなたも生徒会長に立候補したのならもう少ししっかりしなさいよっ!」

「あっははは~。元日くん面白くないんだってぇ、残念だね~」


 当然だろ。美空も金魚鉢も俺を面白いとか言うが、何をもってそう言っているのかわからない。それより高飛車女の相手してやれよ。


「金魚鉢さんっ! 私は今あなたに話しているのよ。私の方を向きなさいっ‼」


 これまでで一番の大声にキーンと耳鳴りがした。金魚鉢はちゃっかりと指で両耳を塞いで、その不快な音を防いでいた。


「生徒会長を争う相手があなただなんてがっかりだわっ。これだと投票をするまでもないわね、生徒会長は私以外考えられないわっ!」

「そうかなぁ~? 黄金が会長になれると思うんだけどなぁ」

「馬鹿なこと言わないで。私が金魚鉢さんに負けるなんてあり得ないわっ!」

「う~ん、でも……」


 そこで金魚鉢は言葉を止めた。そして次に声を出す間際のほんの一瞬。金魚鉢の瞳が暗く冷たくなるのを俺は見逃さなかった。


「名前も知らないあなたに黄金が負けるはずがないよ」

「なっ――!」


 金魚鉢に名前も知らないと言われ高飛車女は絶句する。


 それと、それまで俺たちのやり取りを黙って見ていた数人の生徒たちが、金魚鉢の一言に一斉に吹き出す。笑ってはいけない状況になればなるほど人は笑いを堪えられない。

 いつしか教室は大きな笑いで包まれていた。


 金魚鉢の言葉と教室の生徒たちの反応に高飛車女は顔面を真っ赤にし肩を震わせながら黙って教室を出て行った。捨て台詞も吐けないほどショックだったのだろう。


「黄金ちゃん本当のことでも言っちゃダメだってー」

「マジウケる。そもそもあいつもクラス違うし。勝手に入ってきて、なに偉そうにしてんだって話だしっ」


 金魚鉢のクラスメイトもあの高飛車女にイラついていたのだろう。金魚鉢の発言に称賛を送っている。当の本人はなんのことだと言わんばかりに、


「ええぇ~。黄金そんなに悪いこと言っちゃったかなぁ~?」


 といつもの調子でとぼけている。しかし俺は見ていた、あの瞬間の金魚鉢の目を。俺は金魚鉢に言知れぬ恐怖を感じていたのだが、同じように彼女を見ていた火野は俺とは違うものを感じたらしい。


「……かっこいい……」


 は?


 金魚鉢の行動に感銘を受けたようで、彼女を見る目は尊敬の念に溢れている。

 お前さっきまで金魚鉢にムカついていたんじゃないのか? 本当に女という生き物は理解しがたい。



 金魚鉢が高飛車女を撃退したのと火野の機嫌が直ったことで、その後は撮影は順調に進んだ。

 火野はすっかり金魚鉢に陶酔して、やたら張り切って撮影をこなしていく。そもそもやることない俺はぼーっとその様子を眺めていた。


 なんで俺ここに居るんだろう? そう思っていると火野が俺を呼ぶ。


「これから日下部は黄金先輩と手を繋いで廊下を歩いてもらうから。その後ろ姿を撮影するから早く廊下に出て」


 と火野は部長が描いたラフデザインを指差す。そこには金魚鉢が理想の彼氏を妄想している感じで、モワモワの吹き出しの中に男と手を繋いでいるイラストが描かれていた。


 こんなカットがあったとは……。自分は係わらないと決め込んでいたのでちゃんと見ていなかった。金魚鉢が指名したと言っていたのはこの役のことだったのか。


「元日くん。行こぉっ」


 まだ了解していない俺の手を握り金魚鉢は強引に廊下へ向かった。


「はーい。じゃあ二人ともゆっくり歩いて、黄金先輩は日下部の方を見ながら本当の彼氏と思って、楽しそうに嬉しそうに歩いてください。日下部は……まあ、適当でいいよ」


 俺だけ随分と雑な指示だな。

 歩き出すとすぐ金魚鉢が話し掛けて来た。


「ねえねえ。本当の彼氏だと思ってだってぇ。どうする? 本当に黄金たち恋人同士になっちゃう?」


 と金魚鉢は心にもないことを平然と言う。初めは天然なところもあるのかと思っていたが、さっきの高飛車女とのやり取りでわかった。こいつは天然なんかじゃない。


 言動ひとつひとつに意志や目的が感じられる。なぜそんなことをするのか不明だが、恐らく本性や本音を隠す為だろう。


「俺は嘘を平気で言う人とは恋人以前に友達としても付き合いません」


 俺の言葉に金魚鉢は目をパチクリとさせ、なんのこと? とでも言いたげな表情をした。

 金魚鉢は高飛車女を知らないと言っていたが、同じ生徒会選挙に立候補している人間を知らない訳がない。


 思えば火野にあんなことを言ったのも、あえて悪い印象を与えてその後、優しくすれば相手は勝手に自分を本当は良い人間だと思ってくれるという、人間の心理をついた行動だ。


 不良が雨の中捨てられた子犬を拾う。というもはや古典のようなことを金魚鉢はやっていたのだ。結果、単純な火野は金魚鉢に心奪われ、いつの間にか黄金先輩と呼んでいる。


「……元日くんって意外と人のこと見てるんだ」


 金魚鉢は小声で呟き、


「あははぁ~、黄金びっくりしちゃったぁ」


 すぐさまいつもの調子に戻した。

 一瞬だがまた金魚鉢の本性が見えた気がした。

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