第30話「見なかったことにしよう」
先にドリンクだけが届くと美空が乾杯の音頭をとる。
「えーでは、みなさんお疲れ様でした、今回も無事に締め切りに間に合いました。途中から元日が加わって今までよりパワーアップしたと私は思ってます。そして次号は四人体制になって一から作る最初の号です。これまで以上の最高のイマガクを作りましょうっ。それでは打ち上げ兼元日の歓迎会を始めましょう。乾杯っ!」
しばらくすると俺たちの席に火野が特上寿司を運んできた。その後ろに火野によく似た四十代くらいの女も居た。普通に考えれば火野の母親だろう。
「うわぁ~凄い、美味しそうっ」
テーブルに置かれた寿司に湊土は目をキラキラさせるので、俺はしっかり食べるんだぞと温かい眼差しを向けた。
なるほど、一人前多く頼んだのは湊土の為だったのか。では俺も頂こうと寿司に手を伸ばすと美空が待ったをかけた。
「あの、火野さんのお姉さん。私たち火野さんと同じ高校でフリーペーパーを作ってる同好会のメンバーなんですけど。火野さんには大変お世話になって、そのお礼をしたいので少しだけ火野さんをお借りしてもよろしいですか?」
美空はさらりと言うが。いや、どう見ても母親だろ。お姉さんだなんて、いくらなんでもわざとらしい。こんなので喜ぶヤツがいるか。
「あら、やだぁ。桃火の母です。もうぉ、お姉さんだなんてっ」
火野の母はわかり易く喜んでいる。娘の単純さは母親ゆずりだったのか。
「す、すみません。お母さんだったんですね。私てっきり火野さんのお姉さんだと思ってしまって……」
「もう、そんなことないわよぉ。うふふっ」
美空は本気で間違えた感を出しているが、この女の本性を知っていたらこれが演技だということくらい誰にでもわかる。
それにしても火野の母よ。明らかなお世辞に喜び過ぎだろ。
俺が白けた目で見ていると火野は顔を赤くして、
「お、お母さん。お世辞に決まってるじゃんっ。恥ずかしいからあんまりはしゃがないでよ!」
と袖を引っ張るが、母親の耳には届いていないように見える。
「桃火。今日はもう手伝いはいいから、みんなの相手をしてあげて。それに……」
言葉を止めて俺たちの顔を見回す火野の母親。
「カッコいい男の子たちばかりだから桃火もそうしたいでしょ?」
「はあ⁉ なに言ってんのお母さんっ!」
クスクスと笑う母親に火野は更に顔を赤くして怒る。
一体この茶番をいつまで見せられるんだ。せっかくの寿司が乾いてしまうじゃないか。
はあっとため息をこぼした時、火野の母親が「あら」と声を上げて俺を覗き込んだ。
「あら、あなたどこかで会ったことあるかしら?」
「いや、ないと思います。最近越してきたばかりなので」
「そうなの。それじゃ私の勘違いかしら……。でも、どこかで……」
火野の母親は俺の顔を見ながら「うーん」と何度も唸る。なんなんだよまったく。
「あ、ごめんなさいね。イケメンだからついつい見惚れちゃってたわ。うふふっ」
「はあ……。どうも」
俺はなんの感情もなく適当な返事をした。
これくらいの歳の女は若いというだけでどんな男にも、イケメンだのカッコいいだのと言ってしまう生き物だ。こんなことをいちいち真に受けてはいられない。
「もういいからっ。お母さんは下に行ってよ」
火野の母親は、はいはいと火野をなだめ俺たちに深く頭を下げると、ようやく部屋から出て行った。
「す、すみませんでした。お母さん単純な上にすぐ調子に乗っちゃう性格だからっ」
それは自己紹介か? 俺は心の中でツッコむ。
「いやいや、可愛らしいお母さんじゃない。火野さんの愛嬌の良さもお母さんゆずりなのよ」
「そ、そうですかね……」
美空に言われ照れたように頬を掻く火野。やっぱり単純な女だな。こいつ自覚がないのか?
「よし、それでは皆が揃ったし寿司を頂こう。火野さんは食べ慣れている実家の寿司で悪いけど、いい?」
美空の申し出に火野はぱあっと顔を明るくさせる。
「いいんですかっ⁉ 特上なんて誕生日以来です!」
「いいもなにも、その為の五人前なんだから。火野さんには撮影で何度もお世話になったから、これはそのお礼よ」
なにっ、湊土の為じゃなかったのか⁉
俺は席に着いた火野に「それは湊土の寿司だ」と言うように、これでもかと睨んでやった。それに気付いた火野も対抗するように俺を睨んでいた。
「二人とも見つめあって、仲良さそうだね……」
湊土がボソリと呟く。
「「どこがっ⁉」」
火野とハモってしまった。痛恨だ。
「はいはい、もういいから食べましょう」
美空の号令でようやく食事が始まった。
湊土は寿司の写真をスマホで撮影してから大トロを頬張った。頬を手で抑え舌鼓を打つ光景はなんとも微笑ましい。
「う~ん。やっぱ特上は美味しい~」
同様に火野も舌鼓を打つが、お前はどうでもいい。
それに食いながら喋るなよ。男の湊土の方が行儀よく食べているぞ、と俺は湊土の方を見た。その時湊土の足元に置かれたスマホが目に入る。さっき寿司を撮っていた時に画面を消し忘れたのか、画面が表示されたままのスマホ。
――壁紙には俺の写真が使われていた。
「ぶふっ!」
「ちょっと日下部、汚いわねっ!」
思わず吹き出してしまった俺に火野はおしぼりを投げつける。
「す、すまん……」
おしぼりで口のまわりを拭いていると湊土が俺の顔を覗き込む。
「ハル、大丈夫?」
「あ、ああ……」
俺は心の中でこう呟いた。
……見なかったことにしよう。
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