第29話「打ち上げに行こう」
数日後、FP同好会は締め切りに追われていた。
入稿直前、出力した紙面の校正が終わる頃には同好会の全員が疲れ切った顔をしていた。
「直したデータ、共有フォルダに入れました」
部長に伝えると湊土はぐーっと体を伸ばしながら大きな欠伸をした。
「よし、これで全部だね。日下部くんのお陰で今回は早く終われたね。まだ外が明るいよ」
部長に言われて俺は窓の外に目を遣った。そこから見える景色全てを夕日がを赤く染めている。
部長はデータをUSBメモリーに移し、いそいそと帰り支度を始めたので、俺も帰ろうとパソコンの電源を落として鞄を手に取ると美空が声を掛けてきた。
「元日なに帰ろうとしてんの?」
「終わったのなら帰りますよ。部長だって帰ろうとしてるじゃないですか」
「ああ、僕はね。これからこのデータを印刷に回すから一旦家に帰るんだよ」
それならデータを印刷会社に送ればいいだけなのに、なぜ一度家に帰る必要があるんだ?
俺が疑問に思っていると隣の湊土が教えてくれた。
「部長の実家は印刷会社なんだよ。だから印刷は全部、部長の家でやってるんだけど、ハルは知らなかったっけ?」
「初耳だな。それはそれとして、なんで俺は帰っちゃダメなんだ?」
「だって今日は入稿日だからね、これから打ち上げに行くんだよ。ですよね美空さん?」
「そういうこと。今回は元日の歓迎会も兼ねた打ち上げだから、いつもより豪勢に寿司を食べに行くの」
寿司というワードに湊土と部長は拍手をしていた。しかし俺は寿司と聞いて嫌な予感しかしない……。
俺、湊土、美空の三人は寿司屋の前で部長を待っていた。
暖簾には『桃寿司』というどこかで聞いたことのある文字。まあ、予想通り来たのは火野の実家の寿司屋だ。わざわざここにしなくてもいいのにな。
部長が合流すると俺たちは寿司屋に入った。
「いらっしゃいませ~。って、湊土くん⁉ それに先輩たちも」
店内で俺たちを出迎えたのは俺と初めて会った時と同じ格好をした火野だった。
最初の三人には笑顔で出迎えていたが俺の顔を見てすんっと真顔になる。
「……あんたも来たんだ」
ここの寿司を普通の味と言ったことをまだ根に持っているのか、俺にだけ対応が素っ気ない。
予約していたことを美空が伝えると俺たちは二階の座敷へ案内された。十畳ほどの和室は真ん中を衝立で仕切られていて、その片側に俺たちは通された。
「今日はなにかの集まりなんですか?」
火野が訊くと美空が答える。
「今日は同好会の打ち上げなのよ。それと元日の歓迎会も兼ねてね」
「そうなんですか。わざわざうちの店を選んでもらってありがとうございますっ」
火野は正座したままでぺこりと頭を下げた。
普段の姿を知っている人間がこうして働いている姿を見ると、少しだけ大人に見えてしまうのはなぜだろうか。と見ていたら頭を上げた火野と目が合った。「ふんっ」と火野はあからさまに不機嫌な顔をする。さっきのは見間違いだったな。こいつは馬鹿な子供だ。
「まず、お飲み物はどうしますか?」と火野。
「私と部長はウーロン茶で。湊土と元日はどうする?」
「桃火ちゃん、僕はコーラお願い」
「うん。湊土くんはコーラで先輩二人がウーロン茶。…………あんたは?」
寿司の件もだが、俺と付き合っているという噂が出回ったことも根に持っているんだろう。今日の火野はいつも以上にツンツンしている。まあ、俺はこんなのに対抗なんてしない。むしろ逆だ。
「すみません。ジンジャエールと、あと熱いお茶も一緒にお願いできますか」
「えっ、あ、はい。ジ、ジンジャエール、お茶……っと」
俺が一般の客みたいな受け答えをすると火野は驚き、それまでの自分の態度が恥ずかしくなったのか顔を赤くしていた。本当に単純で扱いやすい女だ。
「す、すぐに持ってきますね」
「あ、待って。ついでにもう注文していい?」
美空は下がりかけた火野を呼び止め注文を始めた。
「それじゃあ、特上を五人前お願いできる」
「はい。特上を……五人前ですか?」
「そう五人前。よろしくね」
火野は注文を確認すると下がっていった。火野が訊き返したのは俺もわかる。俺たちは四人なのに、なぜ五人前なんだ? 美空か部長どちらかが実は大食いなんだろうか。
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