第27話「噂なんて大概は嘘だろう」

 朝、昇降口で上履きに履き替えていると背後から声がした。


「げっ、日下部」


 振り返るとそこに居たのは火野桃火だった。

 俺を見る度に呪文か鳴き声のようにこう言ってるな。無視しよう。


「ちょっと、なんで無視するの。挨拶もまともに出来ないの?」


 こいつにとってあの言葉は挨拶だったのか。それなら。


「げっ、火野」

「はあ、なにそれ? それがあんたの挨拶っ⁉」


 やっぱり無視すればよかった。下手に言い返したことで余計絡まれてしまった。


「お前だって挨拶してないだろ」

「へえ~、私が挨拶したら日下部もしてくれるんだ。じゃあ、おはようっ」


 誰がそんなのに付き合うか。

 俺は火野を無視して教室へ歩き出した。


「あ、ちょっと。最低ー。嘘つきー」


 誰が嘘つきだ。お前が勝手に言ってたことを約束したみたいに言うな。

 向かう先は同じ教室なので俺の後ろを火野がついて来る。それがまるで一緒に登校している気がして嫌だった。


 早足にしたり足を止めたりすれば火野を振り払うことも出来るが俺はしない。こいつの為に自分の行動を変えたくないのだ。


 そうこうしていると俺たちは同時に教室に着いていた。

 教室に入ると俺に視線が集まる。転校以来、俺が教室に入ると女どもは冷めた目で俺を見てコソコソと陰口を叩くのが日課になっている。


 もう慣れたし、そもそも俺は気にもしていない。どんな感情であれ、俺を意識してしまっている時点でお前たちの負けなんだ。

 しかし今日は女どもの視線がなかなか外れない。


「湊土くん、おはよう」

「あっ、おはよう桃火ちゃん」


 火野が挨拶すると湊土はいつも通りの感じで挨拶を返していた。


「おっす」

「あ……ハル。お、おはよう」


 俺もいつも通り挨拶したのはずだが、なにやら湊土の様子がおかしい。


「どうした?」

「う、ううん。なんでもない……」

「そうか」


 俺はそんな湊土に若干の違和感を感じつつ席に着いたが、その間もクラスの女どもの視線が俺に集まっている。

 ホームルームの時間になるのを待っていたら湊土がやって来た。


「ねえ、ハル。ちょっと訊きたいんだけど……」


 俺がなんだと尋ねると湊土は言いにくいのか俺から視線を外して、火野や教室全体に視線を泳がせる。


「だからなんだよ?」

「え、あ……うん。えっとね、ハルってその……桃火ちゃんと……」

「うん。わたし?」


 俺の隣に座っていた火野は自分の名前が出たことに反応する。

 俺と火野がじっと待っていると湊土は大きく深呼吸して口を開いた。


「……ハルと桃火ちゃんって……付き合ってるの?」


 こいつは一体なにを言っているんだ? 俺が女と、よりにもよって火野みたいなのと付き合う訳がないじゃないか。


 そういえば挨拶した時も様子が変だった。なにかショックなことがあって、それが原因でこんなことを口走ってしまった可能性がある。

 湊土になにかあるとすれば……あれか。


「湊土。お金に困っているんなら俺は何もしてやれないが、また家で飯くらいならご馳走するぞ。だから少し落ち着くんだ。いいな?」


 俺は刺激を与えないように極力優しい声色と表情で諭すように話した。


「な、なんの話してるの? それとその声と顔……気持ち悪いよ」


 大丈夫だ。いま湊土はショックを受けて自棄になっている状態だ。思ってもいない言葉が出てしまうのも仕方ない。だから俺がここで取り乱してダメだ。


「そうか、ごめんな。俺は平気だから嫌なことがあれば、俺に言って来い。俺なら全て受け止めてやるからな」

「えっ? う、うん……ありがと……」


 俺の言葉に落ち着いてくれたのか湊土の表情が和らいだように見えた。


「ちょ、ちょっとおおっ、湊土くんなに言ってんのっ‼ なんでわたしがこいつなんかとっ⁉」


 金属を切断する時のような甲高い声で火野が喚く。

 せっかく俺が湊土を落ち着かせたと言うのに、このクソ女はなんなんだっ⁉


「うるせえな。静かにしろよ」

「って、なんであんたはそんなに落ち着いてんのよっ⁉」

「はあ? 馬鹿かよお前。俺が落ち着いてないと湊土が更に動揺すんだろうが」


 真面目なトーンで言うと火野はぽかんとしたアホ面を見せた。


「もう~いやだぁ~。湊土くん、こいつなに言ってんのぉ~」

「いやぁ……。僕にもよくわかんない」


 火野に泣きつかれた湊土は小首を傾げている。


「おい、湊土が困ってるだろ。離れろよ馬鹿女」

「馬鹿はあんたでしょ⁉ ちょっと黙っててよ!」


 火野は俺に言うと湊土の方へくるりと、向きと口調を器用に変えて、


「湊土くん、わたしがこんなと付き合う訳ないじゃん。どうしてそんなこと言うのぉ」

「だ、だって皆が噂してたから……」


 言いながら湊土は教室を見渡すと、それまで俺たちを見ていた女どもが一斉に視線を逸らす。

 湊土の話では俺と火野が付き合っているという噂が出回っているらしい。そしてその噂の発信源は茶道部だと言う。

 噂の内容を聞いた火野はがっくりとうなだれ肩を落としていた。


「あれだ……。あんたが茶道部の部室に来て変なこと言うから……」

「変なこと?」


 火野は誤解を解くため、湊土に茶道部での出来事を事細かに説明した。



「な、なるほど……。それはハルが悪いよ」

「なんで俺が悪いんだよ」


 あれでなぜ俺と火野なんかが付き合うことになるんだ。

 そもそもこんな下世話な噂を楽しむなんて、やっぱり女ってくだらないな。


「ま、まあ。桃火ちゃんと日下部くんの噂が誤解だってことなら気にしなくて大丈夫だよ! そのうちこんな噂は誰もしなくなるよ!」


 やたら説明口調と大声で話す湊土。そのお陰で俺たちに集まっていた視線はいつの間にかなくなっていた。今日やたらと俺を見ていたのは、この噂が原因だったようだ。

 確定ではないが湊土は火野に気がある。だとしたら湊土には気を遣わせてしまったな。


「湊土。俺は火野なんかに気はない。だからその噂は完全なデタラメだし、今後そんなことには絶対にならないから安心しろ」


 一瞬きょとんとした湊土だったが、俺の言った意味を理解したのだろう。頬を薄く染め恥ずかしそうにして「うん」と頷いた。

 一件落着だと思っていたら火野が噛みついてきた。


「別にいいんだけど、いやむしろこっちとしてもありがたいんだけど。すぐ隣にその相手が居るのにそんなこと言う? 別にいいけどねっ! 馬鹿っ!」


 そう言うと火野はガタガタと音を立てながら自分の席に戻った。

 俺にひとつ言えることがあるのなら――湊土よ、火野はやめておけ。



 昼休憩。俺は女で溢れかえる教室が嫌で同好会の部室で昼食を取るようになっていた。

 そして今は部室を向かっている途中。

 新校舎から続く通路を通れば部活棟だ。そこの三階の最奥にFP同好会の部室がある。

 俺が階段を昇っていると階段上に大きな段ボールを抱えた湊土の後姿が見えた。華奢な湊土はフラフラとした足取りで階段を昇っていて、かなり危なっかしい。


「湊土。俺が運んでやるよ」

「ハル?」


 声を掛けると湊土はしなくていいのにわざわざ俺の方を振り返る。


「おい、危ないぞっ!」

「えっ、うわあああぁっ!」


 そして案の定態勢を崩した湊土の体が宙を舞う。

 俺は素早く湊土に駆け寄りその体を受け止めた。


「……痛っ……くない?」

「気をつけろよ。俺が居なかったら大怪我してたぞ」

「ハルが声を掛けたから、こうなったとも言えるけど」

「それは一理あるが、あれだけフラフラしてたらいずれ同じことになってただろ。もうちょっと気をつけろよ」

「う、うん……。ごめん」


 湊土は申し訳なさそうに視線を逸らした。


「えっと……。そろそろ降ろしてくれない?」


 俺は湊土に言われて気が付いた。緊急だったとはいえ湊土をお姫様抱っこの形で抱き抱えているではないか。


 それにしてもこいつどんだけ軽いんだ。見た目で華奢なのは知っていたが軽すぎる。

 まさかこいつ家ではほとんど飯が食えていないんじゃ? 湊土は違うと言っていたがやはり家計が相当苦しいのだろうか?


「ハル、聞いてる? 降ろしてって」

「あ、ああ。すまん」


 降ろすと湊土は散らかった段ボールの中身を集め出し、また自分で持って行こうとするので段ボールは俺が運ぶことにした。



「ごめんね。持ってもらっちゃって」

「気にすんな。また階段から落ちそうになったらいけないしな。それよりお前ちゃんと飯食ってるか?」

「食べてるよ。なんで?」

「なんでって、軽過ぎるからだよ。お前いま体重いくつある?」

「えっ⁉ い、言う訳ないじゃんっ!」


 湊土のこの慌てようはなんだ。俺が引いてしまうほど痩せているということか……あまり家のことに口を突っ込むのも良くないかもしれない。


「朝も言ったけど、また家に飯食いに来いよ。爺ちゃんも婆ちゃんもお前のこと気に入ってるから来たら喜ぶぞ」

「そ、そうなんだ。うん、じゃあまたお邪魔しようかな……」

「ああ、そうしろ。次も肉食おうぜっ」


 湊土は恩人だ。俺に出来ることは少ないかもしれないが、それでも力になれるのなら俺はそれを精一杯やるだけだ。


「ハルは女の子には厳しいのに……男には優しいんだね」

「おい、その言い方だとまるで俺が男好きみたいじゃないか」

「ち、違うの?」

「当たり前だ。俺は女は嫌いだが、恋愛対象はあくまで女なんだ。ただ今の世の中の女がクソ過ぎるだけだ」

「それは、なんというか……大変だね。あはは……」

「それに男なら誰にでも優しくする訳でもないしな。実際、クラスの男はお前以外喋ったこともないしな。俺が優しくするのはお前だけだよ」


 同性相手だと優しくするのもそれを口に出すのも自然と出来る。それが女相手だとどうしても嫌悪感というかあの日の記憶がフラッシュバックしてしまう。

 ふと気付くと横を歩いていた湊土の姿がない。

 後ろを振り返ると湊土は立ち止まっていた。


「おい、どうした?」


 声を掛けたが反応がない。俯いているので表情も確認出来ない。


「体調でも悪いのか?」

「っ――!」


 近づき顔を覗き込むと湊土は大袈裟に仰け反り二歩三歩と後退る。


「おい、顔が赤いぞ。風邪でもひいてるんじゃないのか?」


 重い段ボールを持っていたのを差し引いても湊土は異常なくらいふらついていたし、今は顔も真っ赤だ。


「保健室に連れて行ってやるから、ちょっと待ってろ」

「い、いいよ。一人で行けるから、ハルはそれ部室に持って行ってて。ごめんっ」


 そう言うと湊土は逃げるように来た道を戻って行った。

 基本は良い奴なんだが時たま湊土は変なところがある。

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