第25話「たまには昔を思い出すのも悪くない」
別にいい。あんな小さい女に好かれようが嫌われようがどうでもいい。
目的さえ達成できればいいんだ。
「おい、どうでもいいから撮影しろよ。時間が勿体ないんだろ」
「うわっ、都合が悪くなったからってキレてる。最低ー」
そう言い捨てると火野は佐奈に顔を向ける。
「佐奈ちゃん、あのお兄ちゃんは口が悪くて最低で、それはもう本当に最低で最悪を詰め込んだような男だけど」
おい、言い過ぎだろ。
「でも噛みついたりはしないと思うから大丈夫だよ」
俺は犬か。それに思うからってなんだ、そこはハッキリと言いきれ。
「あのお兄ちゃんはわたしがちゃんとリードつけて捕まえてるから、もう一回写真撮ろう。ね?」
だから犬かって。
火野の優しい口調が良かったのか佐奈はうんと頷く。そして撮影は再開したのだが、やはり佐奈の表情は硬いまま。それに三宅は店に戻ったままで一向に帰って来ない。
陽も傾き本格的に時間がヤバくなってきた。さっきまで賑わっていたキッズスペースも閑散として、気付けば俺たちだけになっていた。
平日の夕方と考えれば当然だろう。親もいつまでも子供を遊ばせている訳にはいかない。
誰も居ない場所にポツンと一人の佐奈を見ていると、俺はふと昔の自分を思い出す。
俺の母も経営者として今も昔も忙しい日々を過ごしていた。母が帰宅するのはいつも夜になってから。だから俺はいつも一人で母の帰りを待っていた。
そんな昔の記憶が今の佐奈が重なると、夕日の射し込むキッズスペースに佇む佐奈がとても寂しそうに見えた。
……今だけ以前の自分に戻ってみよう。そう思った時には俺の足は勝手に動き出していた。
「佐奈ちゃーん。こっち見てー。お願いだから笑ってよぉ……」
佐奈に語り掛ける火野の横を通り俺は佐奈に近づいた。
「あ、ちょっと日下部。あんたが近づくとまた佐奈ちゃん怖がっちゃうじゃんっ!」
俺は火野を無視して佐奈の傍まで来て、目線を合わせる為にしゃがみ込み、
「佐奈ちゃん、今日は幼稚園でどんなことしたの?」
一瞬また逃げようとした佐奈だったが、俺の柔らかな口調で話し掛けると逃げ出すことはしなかった。
「お兄ちゃん、佐奈ちゃんのお話聞きたいな」
笑顔の俺に戸惑っているのか佐奈はモジモジとする。
「うーん、じゃあお兄ちゃんのお話を聞いてくれるかな?」
と訊くと佐奈は小さく頷いてくれた。
「お兄ちゃんは今高校生なんだけど、高校ってわかる?」
佐奈は首を横に振る。
「えーっとね。佐奈ちゃんはもう少ししたら小学校に行くよね?」
佐奈は首を縦に振る。
「そうしたらね、次は中学校ってとこに行って、それで次が高校だよ」
俺の言葉を理解しているかはわからないが佐奈はうんうんと頷いてくれる。
「でね、お兄ちゃんが行ってる高校はね、男の子が少なくて女の子ばっかりいる学校なんだよ」
「……なんで?」
そこで初めて佐奈が口を開いてくれた。
「なんでかなぁ……。だからお兄ちゃんお友達が一人しか居ないの。佐奈ちゃんはお友達いっぱいいる?」
「うん……いるよ。あいちゃん。まなちゃん。りんちゃん。めいちゃん――」
佐奈は友達の名前を呼ぶ毎にぎこちなく指を折っていく。
「佐奈ちゃんはお友達がいっぱいでいいなぁ。お兄ちゃんもいっぱい友達欲しいよぉ……」
言いながら俺は目をこすり泣く真似をした。それを見て佐奈がきゃっきゃと笑う。
その時、パシャリとシャッターを切る音がした。横目で見ると火野が親指を立ててそのまま続けろと合図する。
そのつもりだったが指図されるとムカつくな。気を取り直して俺は泣く真似を続けた。
「えーん。佐奈ちゃんが笑うから、お兄ちゃん悲しいよぉ~」
「きゃーっ、あははっ!」
少しオーバーなアクションをすると佐奈は悲鳴にも似た大きな笑い声を上げた。その間も火野はシャッターを切り続ける。
その為にやった訳ではなかったが図らずも撮影は成功したようだ。
そろそろ泣く真似を止めていいだろう。そうした時、ふと頭に温もりを感じた。
見ると佐奈の手が俺の頭を撫でていた。
「よしよし。佐奈がおにいちゃんのおともだちになってあげるねっ」
佐奈の純粋な瞳に一瞬俺は言葉が出てこなかった。
「…………うん、そうだね。佐奈ちゃんがお友達になってくれたらお兄ちゃん嬉しいよ」
「うん、佐奈とおともだちっ。なにするっ?」
「えーっと……それじゃ、お兄ちゃんと一緒に遊ぶ?」
佐奈は元気よく頷くと俺の手を引っ張った。
一緒に遊具で遊ぶ俺と佐奈。
その姿を火野は写真に撮っていたのだろうけど、そんなことはいつの間にか忘れて、俺はただただ佐奈と楽しく遊んでしまっていた。
「ねえ日下部、そろそろ終わりにしようよ」
納得いく写真が撮れたのだろうか。火野は満足そうな顔で俺たちを手招きする。
「佐奈ちゃん。そろそろお店に戻ろうか」
「やだっ、もっと遊びたいっ」
「うーん。でも、もうすぐ暗くなるよ。暗くなったらオバケが出るよ~」
オバケの真似をすると佐奈はキャーっとはしゃぐ。やめるともう一回やってとせがむので、もう一度やると今度は大声で笑っていた。なんだか知らない間に俺は物凄く気に入られたようだ。
「佐奈ちゃーん。もう帰ろうよ。お姉ちゃんたちも学校に帰らないといけないから。あっそうだ、また今度遊ぼうよ。ねえ日下部」
またこいつはいい加減なことを言いやがる。血のつながりのないよそ様の子供とどうやって遊ぶんだ? 幼稚園まで行く気か? 俺は絶対に嫌だ。
俺が返答に困っていると佐奈がちょこんと小指を立てた手を差し出した。
「やくそく……」
と佐奈は不安そうな顔で俺の顔を見る。
俺は一つ息を吐いて佐奈の小指に自分の小指を合わせた。
「約束する。またいつか遊ぼうね」
いつかと曖昧な言い方はずるいかもしれない。ただ約束なんてものはそんなものだ。それに佐奈のような小さな子供なら数日で忘れてしまうだろう。
そう思ったが佐奈は、「いつかっていつ?」と訊いてくる。
子供は正直だな。大人のように嘘や建前、勝手に察するということはしてくれない。
それなら俺も正直になるしかない。
「ごめんね。本当は約束できないんだ」
「やだー。やくそくっ。佐奈はおともだちでしょ?」
そういえば友達になったんだっけ。遊んでて忘れてたな。……忘れるほど楽しく遊んでたのか。
いや、待てよ。小さい子供とはいえ俺が女と楽しく遊んでいた?
なるほど。そういうことかっ!
「うん。俺と佐奈ちゃんはお友達だね。だから約束はちゃんと守るよ」
「うんっ! おともだち。佐奈と……えーっと、おにいちゃんのおなまえは?」
「ハルだよ。おにいちゃんのお名前はハルっていうの」
「ハルくんっ! 佐奈とハルくんはおともだちっ! ハルくんっ!」
小指を結んだ手を嬉しそうに振りながら、佐奈は俺の名前を何度も呼ぶ。その顔は今日一番の笑顔だった。
「――ハルくん佐奈とのやくそく、ぜったいにまもってねっ」
「…………えっ?」
佐奈の言葉に驚いたような声を出したのは火野だった。なにかあったのかと火野に顔を向けると火野はなんでもないと首を振る。
「佐奈ー」
「あっ」
自分を呼ぶ声に佐奈は嬉しそうな声を上げ走り出すと佐奈は勢いよく抱きつく。母親だろう。その女は佐奈の頭や顔を優しく撫でていた。
佐奈を抱っこした母親は俺たちの側にやって来て感謝した。
「無茶言っといて任せっきりになってごめんなさいね。佐奈の面倒まで見てもらって本当に助かったわ」
母親がいうには本来は撮影に立ち会うつもりだったらしいが、突然外せない急用が入りこの時間まで仕事をしていたらしい。少し乱れた髪が必死さを物語る。
「佐奈ね、ハルくんとおともだちになったんだよっ」
「あら、そうなの? ハルくんってあなた?」
母親に問われ俺は頷く。
「へえ~」
母親は俺の顔をまじまじと眺めると、悪戯っぽい笑顔を佐奈に向けた。
「佐奈ちゃん。お兄ちゃんカッコよくて良かったねぇ」
「っ――!」
言われた佐奈は恥ずかしかったのか母親の胸に顔を埋めた。
「あはは、恥ずかしがってるわ。お兄ちゃんのこと好きになっちゃったのかしら?」
母親に笑われ、ますます恥ずかしいと言わんばかりに佐奈は埋めた顔をグリグリと擦る。
「最近は忙し過ぎて佐奈の相手もなかなかしてあげられなくて、それで人見知りが激しくなってたの。でも今日は佐奈も楽しかったみたいだから本当によかった……二人ともありがとう」
それに火野はいえいえと謙遜する。
俺も撮影が目的だったので感謝されるようなことはしていない。
それでも母親は俺たちに何度も感謝した。
「じゃあ佐奈ちゃん、そろそろ帰ろうか。あなたたちも気を付けて帰ってね」
母親が帰ろうと言うと、佐奈は「まってぇ!」と母親を引き止め抱かれた腕から降りて、て俺のところへやって来る。
「またねハルくん」
と佐奈は至近距離で手を振る。
「……うん。またね佐奈ちゃん」
別れの挨拶をしたいだけかと思ったが、佐奈はなにやら言いたげにモジモジし、
「えっとね、えっとね……」と懸命に言葉をひねり出そうとする。
何を言うのか待っていると、佐奈は意を決したようにはぁっと大きく息を吸い込んだ。
「えっとね、かっこいいハルくんもすきだけど、やさしいハルくんはもっとすきだよっ。それだけっ」
そう言うと佐奈は逃げるように母親のもとへ走った。
母親は佐奈の手を握るとショッピングモールの中へ入っていく。
その間、佐奈はずっと俺たちに手を振っていた。
「日下部。佐奈ちゃんにすごい気に入られてたね」
「そうみたいだな」
火野は他にも何か言いたげに毛先をいじる。
「なんだよ?」
「な、なんか意外だったなぁって……。あんた女なら子供でも嫌ってそうだったから。あんなに優しくするなんて……思わなかった」
俺も最初は子供であろうと女は嫌いだった。だが佐奈と遊んでいて気付かされたんだ。
――子供ならまだ矯正できる、と。
俺の同年代やその上の女どもはもう無理だが、幼い子供であればまだ矯正がきく。クソみたいな女になるのを阻止できるかもしれない。それは雲を掴むような無謀なことかもしれない。それでも俺はその小さな可能性に賭けたい。そう、俺は小さな佐奈に、
「……可能性を感じたからな」
「げっ……あんたってもしかしてロリコン?」
うん。やっぱり女ってクソだわ。
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いつもこの作品を読んで頂きありがとうございます。
物語もようやく半分まできました。
残り半分を頑張って書きますので応援してください。
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