第23話「火野を誘い出そう」

 一週間後。締め切りまであと十日と迫った放課後。俺はデスクで紙面作成の作業をしていた。隣では同じ作業を湊土がしており、向かいの席で部長は広告の制作をしている。

 部室にはカチカチとマウスを操作する音とキーボードを叩く音。それをかき消すように美空の声が響いていた。先程からずっと電話をしているのだが、その声が徐々に大きくなる。


 「どうしてもですか?」「今日? これから?」「はあ……わかりました。ただし、こんなことは今回だけにしてくださいよ」苛立ちを抑えているのは誰が聞いても明らか。


 電話を切った美空は大きなため息を吐いた。


「はああああああっ! めんどくさいぃぃぃっ!」


 その咆哮は部室を突き抜け学校中に届きそうなほどだった。


「編集長。どうしたの?」


 こんな時に美空に話し掛けられるのは同学年の部長だけ、俺はもちろん湊土だって知らんふりをしている。


「一ページ広告あるでしょ。アパレルショップの」

「うん。昨日校了になったよね。それがどうかした?」

「修正よ修正っ! しかも写真も撮り直せって。マジふざけんなっ!」

「それをこれらかって言ってるの?」

「そうよっ!」


 なにか面倒なことになりそうだ。少し気配を消しておこう。

 俺はパソコンの画面に集中し気配を殺す。


「元日っ!」


 こんな小さな空間だ。気配を殺したところで意味はない。それにしてもなぜ俺を呼ぶ。


「なんですか?」

「あんたこれからそのアパレルショップに行ってきなさい」

「嫌です。それに俺の写真は前に見たでしょ。あれでも俺に行かせますか?」

「んなことはわかってるわよ。別にあんたに撮れなんて言ってないでしょっ」


 美空はデジカメをデスクにゴンっと置く。


「じゃあ俺が行く必要もないでしょうが」

「いいえ、あるわ。以前ケーキを撮った子を連れて行ってきなさい」


 おかしい。俺は偶然出会った人物に撮ってもらったとしか言ってない。それなのに美空の口ぶりはそれが誰なのかわかっているようだ。

 俺はハッとして湊土を見やる。

 湊土は申し訳なさそうに手を合わせた。


「ごめん。美空さんに言っちゃった」

「お前なぁ……」

「だ、だって、あの写真すごく良く撮れてたから……」


 もう言ってしまったものは仕方ない。それならそれでもいい。


「写真を撮ったのが誰かわかってるのなら俺が行く必要はやっぱりないですよね?」

「なに言ってるの。私と部長はこれから表紙の撮影に行かないといけないの。湊土は引き続きここで作業。となれば行けるのは元日。あんただけよ」

「そういうことだ日下部くん」


 突然部長が会話に入って来る。手にはなにやら物騒なほど大きな一眼レフカメラが握られている。


「これが気になるかい? これはAOI撮影専用のカメラさ」


 そうだった。AOIとかいう女のことになると普段大人しい部長が豹変するのを忘れていた。

 というか部長が撮影するのか。


「表紙の撮影は部長だけで行けばいじゃないですか。編集ちょ……美空さん……は何しにいくんですか?」


 美空に問うと、それは僕が答えようと再度部長が割り込む。


「AOIと連絡を取れるのは編集長だけなんだ。しかもAOIはとんでもない恥ずかしがり屋でね。僕一人ではどうにもならないんだよ。だから日下部くん。ここは編集長の言う通りにして君はアパレルショップの撮影に行って来てくれ。これは部長命令だよ」


 部長はくいっと眼鏡を上げると、大きな荷物を担ぎバタバタと慌ただしく部室から出て行った。


「ま、そういうことだから元日。そっちの撮影は任せるわ」


 俺の肩をポンと叩くと美空は部長を追ってAOIの撮影へ向かった。

 結局俺がアパレルショップの撮影に行くしかないようだ。しかし俺が行っただけでは意味がない。なんとかして火野桃火を連れて行かなければならない。

 正直、とんでもなく面倒だ。


「なあ湊土、お前から火野に話をつけてくれないか?」

「仕方ないなぁ……」


 やれやれといった様子で湊土はスマホを取り出し火野にメッセージを送る。元はと言えばお前が美空に話すからだろ。


「桃火ちゃんいま部室に居るって」

「ふーん」

「ふーんじゃないよ。行ってきなよ」

「俺が?」

「ハルが土下座してお願いするなら考えてあげるって言ってるよ」


 湊土が俺にスマホ画面を見せる。確かにメッセージにそう書いてある。


「なんだと⁉ くそ……あの女め調子に乗りやがって!」

「面白そうだから僕も行きたいけど、仕事がいっぱい溜まってるから僕はここに残ってるよ。だからハルはさっさと撮影済ませて僕の仕事手伝ってよっ」



 湊土だけに仕事を押し付ける訳にもいかないので、火野が所属している部活の部室へとやって来た。

 ここで合ってるんだよな。部室の扉には『茶道部』と書かれている。

 あの女が茶道とはまったく似合わない。

 どうせお茶と一緒に出される菓子が目当てで入部したんだろう。


「土下座してお願いするなら……か」


 火野のメッセージを思い返し、俺はふっと笑みをこぼし部室の扉を開けた。

 カラカラと音を立てて開いた扉に部員たちが反応しこちらを見る。火野はすぐに見つけられた。この中で浮いてる人物を探すだけの簡単な間違い探しだ。


「げっ、日下部……。え、本当に来たの?」


 現れた俺に火野は困惑している。ああ言えば来ないとでも思っていたんだろうな。だが俺は来た。だが驚くにはまだ早いぞクソ女。


 い草の匂いと同時にいくつもの視線が集まる中、俺はおもむろに畳に両膝をつけ、


「火野、お願いだ。(撮影に)付き合ってくれっ!」


 と土下座した。

 勘違いしてほしくないが俺は女――ましてや火野なんかに屈した訳ではない。これは高度な作戦なんだ。火野があんなメッセージを寄越したのはおそらく八割方は冗談だろう。だが、そんなことを冗談であっても言いやがったこの女を俺は許さない。


 もしこれが美空や母相手なら絶対に土下座なんてしない。

 火野は美空や母と違い、ごく普通のありふれたタイプの女だ。そんな女が男を土下座させて悦ぶとは思えない。戸惑い焦り、最後には恥ずかしさで感情がぐちゃぐちゃになるだろう。それが部員たちの前でとなれば尚更だ。


 強引に連れ出すことも出来なくはなかっただろうが、それでは俺の気が済まない。そう、これはまさに『肉を切らせて骨を断つ』俺も多少は屈辱ではあるが、それで火野に最大級のダメージを与えられる。火野が部活中だったのも作戦には好都合だった。


 さて、火野はどんな反応をしているだろうか。

 俺は顔をそっと上げて火野を見た。


「な、な、な、な、なに言ってんのっ⁉」


 作戦通りの反応を示す火野。湯気が出そうなほど耳と顔を赤くして、肩をわなわなと震わせている。

 こいつに撮影させなければならない。それを確実にする為にもう一押ししとくか。


「頼む火野。(撮影は)お前じゃないとダメなんだ!」


 これくらいでいいかな。作戦とはいえ、いつまでも土下座しているのも屈辱だ。


「ば、ば、ば、ば……馬鹿あああああっ‼」


 弓矢のように飛んできた火野に掴まれ俺と火野は茶道部を後にした。

 茶道部の方からなにやら黄色い悲鳴が聞こえてきたが、どうでもいいか。作戦は成功だ。

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