第17話「撮影に行こう」

 放課後、同好会の部室に入るとデスクに座っていた美空に呼びつけられた。


「なんだ――なんですか」

「そんなに私に敬語使うの嫌?」

「嫌です」

「そっか、そっかぁ」


 美空はなにやら嬉しそうに笑顔を見せる。一体なにを企んでいるのやら。


「用件はそれだけですか? ないなら作業を始めます」

「なわけないでしょ。用件はこれよ」


 すると美空はデスクの上に小さなデジカメを置いた。


「これ使って今から撮影してきて」

「撮影?」


 美空は部長が作ったラフデザインを広げ、


「ここに入れる写真を撮ってきて」


 とページ端にある一本斜線の入った四角形を指差す。それはここに写真が入るというのを示すものらしい。


「俺、写真なんて撮ったことないです。それに撮影はカメラマンがやることでしょ」

「こんな小さな枠の写真にいちいちカメラマン雇ってたら、お金がいくらあっても足りないわよ。経費削減。やれることは極力自分たちでやるっ」

「だからって俺じゃなくても」

「元日は絵が描けるんでしょ?」


 絵が描けるから写真も撮れるとはどんな理屈だ。絵描きとカメラマン、どっちにも失礼な話だ。


「それでも俺みたいな全くの素人より、部長か湊土が撮影した方がいいです」

「部長も湊土も作業で忙しいのっ」

「なら編集長が自ら行けば――」

「編集長っ⁉ 言ったわよね。私のことは美空さんって呼びなさいと。ほら呼んでみなさいっ」


 突然キレる美空、なぜそこまで怒っているのだろうか。

 俺はそんな風に名前で呼びたくないし、呼ぶ気もない。


 しかしこの女のことだ。呼ばないなら退部と言い出しかねない。仕方ない、俺が一千万を稼ぐにはこの同好会が必要なんだ。

 なーに、簡単なことだ名前を呼ぶだけ、それだけのことだ……。


「………………み、みぃ……くぅさん……」


 ほら、言えた。言ってやったぞ!


「んふふ~。はぁい美空さんですよぉ。よく言えまちたねぇ~。あははっ、そんなに屈辱だったの? 顔真っ赤にして」

「ぐっ――!」


 確かに屈辱だ。こんな女の言いなりになるなんて。ただ、それと同じくらい、いやそれ以上になんというか……恥ずかしいっ。


 俺は今まで女を下の名前を呼んだことがない。以前までの俺でも相手を呼ぶ時は必ず苗字に『さん』をつけていた。女を下の名前で呼ぶのがこれほど抵抗があるものだとは。


「元日でまだまだ遊びたいけど私もやることあるから。ほら、時間が勿体ないからさっさと準備して行ってきなさい」


 なんて言い草だ。人を玩具としか思っていないのか?

 自分でも知らなかったとはいえ、こんな女に少しでも弱みを見せてしまったのは一生の不覚だ。今後こんなことはないようにしなければ。


「……わかりました。で、どこに行って何を撮ればいいんですか?」

「はあ……。元日。あんた今後もここで活動していくのなら、資料くらいちゃんと目を通しなさい」


 言いながら美空はラフデザインの右上を指す。

 そこには『桜神スイーツ特集』とタイトルが書かれていた。


「駅前にあるカフェに行って、新作ケーキの写真を撮って来きなさい」

「カ、カフェ……新作ケーキ……?」


 まさか、そんなところに俺一人で行けというのか。しかもケーキの撮影とは……。


「ん? なに、嫌なの? あっ、もしかして一人で行くのが恥ずかしいとかって思ってる?」


 恥ずかしいなんて思わない。所詮ただの飲食店だ。俺が嫌なのは甘い物に蟻が集まるのと同じように女も集まるということだ。


「大丈夫よ仕事なんだから。それに別に誰も元日なんて見てないから」


 だから違うって言ってんだろ。

 渋っている俺を見ながら美空は続ける。


「ぷっ。ていうか、そういう自意識過剰なのって……ダサいわよ」


 くそっ、勝手な解釈してマウント取った気になるなよっ! いいよ、行ってやるよ!


「カフェもケーキも女も、そんなもの俺がまとめてぶっ潰してやるっ!」


 俺はなにを言ってんだろうか。

 美空は「その意気よ」と笑っていたが、作業をしていた湊土には「ぶっ潰してどうすんの⁉」としっかりツッコまれた。


「うるさいっ。言葉の綾だっ!」


 勢いよくデジカメを取り、撮影に向かおうとしたら美空に呼び止められた。


「撮った写真はその場で私のスマホに送って頂戴ね。一応確認はしときたいから」


 訊けばこのデジカメはブルートゥースを使い、その場でスマホに写真を転送できるらしい。

 スマホはあれ以来まだ起動していない。もちろん学校には持って来ていない。

 俺はそれを美空に伝えた。


「はあ? 持ってない? 女は嫌い、スマホは持ってないっていつの時代の人間よ。もしかしてあんた原始人?」


 原始人なら逆に女大好きだろと言いかけてやめた。この女は歯向かう俺で遊ぶのが大好きな性悪女なんだ。これ以上この女の玩具になってたまるか。


「ん……。まあ、いいわ。じゃあ湊土のスマホ借りて行きなさい」

「ええっ⁉ み、美空さんっ、なんで僕のを貸さないといけないんですかっ!」

「いいじゃない男同士でしょ? それに元日は湊土が連れてきたんだし、今日だけ貸してあげて」

「ええぇ……」


 湊土は嫌そうに何度もあー、うー、えーと繰り返す。


「アポの時間もあるんだから早くしなさい。ほら、湊土っ!」

「うぅ~……わかりましたよぉ」


 渋々といった様子で湊土はスマホを取り出した。


「ハル、ちょっと待ってよっ」


 湊土は慌ただしくスマホの中身を確認しだした。恐らくだがとんでもなく卑猥な、もしくはマニアックな情報が入っているのだろう。俺はそういう方面にあまり興味がないのでどうでもいいが。


「おい、まだか湊土? 撮った写真を送るだけで、余計なものは触らないし見ないから安心しろよ」


 俺は湊土に近づきスマホに目を遣った。


「わっ、ちょっ馬鹿見るな、覗き魔っ!」

「なに言ってんだよお前は。変な奴だな」

「すぐ済むからハルは待っててよ。というか準備してなよっ‼」

「わ、わかったからそんなに怒るなよ……」


 準備といっても特にはないが、湊土があまりにも怒るので俺は荷物を確認して湊土を待った。


「はい。これ……」

「やっとか」


 差し出されたスマホを受け取ろうとしたら湊土はサッと引っ込めた。


「いい? 絶対余計なことしないでよ」

「わかってるって、お前もしつこいな。一体どれだけ歪んだ趣味もってるんだ?」

「は……? ち、違うよアホッ‼」


 スマホを持った湊土の手が俺の腹にめり込んだ。

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