第三章

第15話「廊下は更衣室ではないだろう」

 桜神高校に転校して四日目。

 一時限目の現国が終了し次の教科を確認していると、隣の席にいる火野が話し掛けてきた。


「ちょっと、あんたが居ると着替えられないんだけど」


 ということは次は体育か。確認するとやはり体育だった。

 火野の口ぶりから、この教室は女子が更衣室として使うらしい。

 体育は隣の九組との合同授業。見れば教室に男子の姿は俺一人しか居ない。と、なると。


「……じゃあ隣の教室に行くか」

「はあ、あんた九組の着替え覗く気? 男子は廊下っ」


 火野から思いもよらない言葉が飛び出す。


「なんで、そうなるんだよ。二つの教室どっちも女が着替えに使う必要ないだろ」

「なんでって……。一つの教室で六十人も着替えられる訳ないじゃん。ぎゅーぎゅーになっちゃうでしょっ⁉」


 言われてみれば確かにそうだが。それでも俺は納得出来ない。

 当たり前のように女子が優遇されるているのには我慢ならない。


「もういいから早く出なさいよ。皆が着替えられないじゃん」


 見渡すとジャージを手にした女子たちが俺を睨んでいた。


「知るか。そんなに俺に見られるのが嫌なら、お前らが廊下で着替えろ」


 俺のこの言葉に教室中の女子が反応した。

 「マジなんなんあいつ」「キモッ」「最低」という、ありふれたワードが聞こえてきた。それしか言えないのかね?


「ちょっと、あんた本当にバカでしょっ!」


 火野は手に持ったジャージで俺の頭を叩いた。ほんのりと石鹸の香りがした。

 こいつらとごちゃごちゃ言い合っていても時間の無駄だ。そう思い俺は着替えることにした。もちろん教室で。


「な、なにしてんのっ⁉ 変態っ!」


 俺が上半身裸になると火野は顔を赤らめていた。

 なんで見てる側のこいつが恥ずかしがってんだよ。アホか?


「着替えてんだよ。廊下で着替えてもよそのクラスのやつらには見られるんだろ? それなら教室も廊下も一緒じゃないか」

「い、意味わかんないっ!」


 火野は叫びながら何度もジャージで俺を叩いた。

 うざいな。着替えられないじゃないか。


「ハルっ! なにしてんのっ⁉」


 既にジャージに着替えた湊土が駆け寄って来た。


「湊土くん、こいつどうにかしてよー。私じゃどうにもならないよ……この変態」

「ははは……。ご、ごめんね桃火ちゃん。すぐ連れて行くから」


 そう言って湊土は俺の腕を掴む。


「ほら、行くよ。男子は廊下で着替えないとダメなの。そういう決まりなのっ」

「嫌だ。俺は絶対に教室で着替えるっ!」


 俺がベルトを外しズボンに手を掛けると、「キャー」という悲鳴と共に色々な物が俺に飛んできた。


 体育の授業。

 女はバレーボールとソフトボールに分れて授業をしていた。

 一方男子は十組は俺を入れて五人。九組は六人。

 これじゃ野球、サッカーといった球技はもちろんバレーボールも出来ない。


 なので男子は走り幅跳びと走り高跳びというなんとも地味な授業だ。もちろん皆やる気はない。体育の教師も最初の号令だけして女子の方へ行ってしまった。残された俺たちはダラダラと授業が終わるのを待っている状態だった。

 ある一人を除いては。


「いきまーす」と威勢のいい掛け声と共に湊土が砂場に向かって走り出し、そして跳んだ。


 見事……とはお世辞にも言えない何とも情けない跳躍だった。


「記録はっ?」


 俺はメジャーを使い記録を計測する。


「三メートル二〇……」

「やった。前より伸びたっ!」


 華奢で背も低い湊土とはいえ、この記録はどうなんだ? と思ったが本人は満足そうなので何も言わないでおいた。


「次はハルだね」


 キラキラと瞳を輝かせている湊土。なんだか期待されているみたいだ。

 一回くらいは俺も真面目にやってみるか。

 前に測った時の記録はどんなものだったかな。四メートルくらいは跳んだ記憶はあるがハッキリとは覚えていない。湊土ほどではないが俺も空手と水泳以外の運動はあまり得意ではない。


 オッケーという湊土の合図と共に俺は走り出す。

 ぐんぐんとスピードが増していく。

 そういえば走るのも久しぶりだな。俺ってこんなに速かったっけ? などと考えながら俺は踏切り板を蹴って思いっきり跳んだ。

 ふわっと体が宙を舞う感覚はこれまでにはないものだった。


「わぁ、凄い。六メートル四〇センチだよっ」


 俺の記録はちょうど湊土の倍だった。それに湊土は悔しさを見えるどころか逆にはしゃいでいた。

 無駄な贅肉が落ちたことで二メートル以上も記録が伸びている。なるほど、痩せるとこんなにも体が軽くなるんだな。


 俺が感慨にふけっていると、ふとした拍子にフェンス越しに居た火野桃火と目が合う。

 すると火野はいーっと歯を食いしばる表情をしてそっぽを向いた。

 なんだよ。まださっきのことを怒ってるのか? むしろ被害者は俺の方だぞ。女とはワガママな生き物だな。


 その後、俺はもう一度跳んだだけで残りの時間は湊土専属の記録係として働いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る