第9話「バイトを探そう」

 今日の授業は午前だけで終わった。周りの連中が帰宅していく中、俺は朝コンビニで買っておいたパンを頬張りながらこれまたコンビニでゲットしたバイト情報誌を眺めていた。


 高校生で働けるバイトなんて限られている。平日は夕方からしか働けないので目一杯働いても一日五時間が限界。賃金も時給九〇〇~一二〇〇円。月に二十二日働いたとして月に一三万二〇〇〇円。これに土日の一日仕事を入れてもせいぜい二一万円程度だ。


 夏休みなどの長期休みをバイトに全部使ったとしても一年間で稼げる総額は三〇〇万円に届かないだろう。しかもこれは一日も休まない前提。とてもじゃないが学業との両立は無理。現実的には百五十万円くらいが精一杯だろう。だがそれでは一千万円には到底足りない。


 いっそのこと踏み倒すという手もある。所詮この一千万円は母との口約束なのだし。……いや駄目だ、あの母が許してくれる訳がない。それにこれは俺と母との勝負。母とはいえ女だ。俺は女に負ける訳にはいかないのだ。


 もう一つは祖父に肩代わりしてもらう手段もあるが、昨日まで祖父を恨んでいたくせにそれは調子が良すぎる。それにそんな手段で母との勝負に勝てたとしても俺の中に後悔が残る。

 そうだ、俺はもう誰にも媚び諂わず後悔のない人生を歩むと決めたんだ。なんとか自分だけの力で一千万円を稼いでやる。


「難しい顔して何見てんの?」


 顔を上げると弁当を持った湊土がいた。湊土は俺の机にその弁当を置き前の席の椅子に腰を下ろした。


「帰らないのか?」

「うん。僕はこれから部活だから。それよりそれってバイト雑誌?」

「ああ、ちょっと事情があってな。待遇のいいバイトを探してんだ」

「ふーん。事情って?」

「借金」

「へー。いくら?」

「一千万」


 金額を言うと湊土は口に入れた米を吹き出した。


「ご、ごめん。え、本当に一千万?」

「本当だよ。親からの借金なんだけどな」

「え、親の借金? ハルの家って……その、貧乏なの……?」

「うん? いやいや、違う違う。えーっとな……」


 俺は出会ったばかりの湊土に事情を説明しようか迷った。が、こいつの人懐っこい顔を見ていると話してもいいかなと思い、転校したきっかけだけ誤魔化しながら話した。


「なるほど、そういう事情か……。それにしても一千万は高すぎない? ここそんなお坊ちゃんお嬢様学校じゃないよ」


 だろうな。たかが高校の学費で一千万円なんてする訳ないと俺も薄々気付いてたよ。


「それは仕方ない。母は一度言い出したら聞かない人だから。それに俺は母でも女には負けたくないんだ」

「いやぁ……。最初の挨拶でわかってたけど、ハルって本当に女の人が嫌いなんだね」

「違うな。俺は女が嫌いなんじゃない。大嫌いなんだ」

「ははは……」


 苦笑いを浮かべる湊土。

 この際、業種やらを選んでいる余裕はない。とにかく時給の良いバイトを選んで、まずは働いてみないとな。働いた経験がないので仕事がどういうものなのかもわからない。

 真剣にバイト情報誌を眺めていると湊土の唸り声が聞こえた。


「どうした、うんこか? 我慢せずに行って来いよ」

「なっ、ばっ馬鹿! 違うよっ」


 大袈裟なリアクションで否定する湊土。下ネタ嫌いなのか?


「じゃあなんだよ」


 俺が訊くと湊土は少し間を置いてから口を開いた。


「うーん……。なんか真剣に探してるし、事情も聞いちゃったからあれなんだけど……」

「ん?」

「この学校バイト禁止だよ」


 なにっ⁉


「そりゃ、よっぽど家計が苦しいっていう理由でもあれば別だけど。話を聞いただけだとハルの家は別にそんなこともなさそうだし」


 湊土が言う通り母の収入を考えればその理由は無理だな。しかし。


「あの女だって寿司屋で働いてたぞ」

「それって桃火ちゃんのこと? あれは桃火ちゃんの実家の『桃寿司』のお手伝いだから校則には引っかからないよ」


 それで俺が寿司の味を普通と言ったらあいつは怒ったのか。別にどうでもいいけど。


「だったら隠れてやればいいんだろ? どうせバレやしないだろ」

「中には隠れてバイトしてる子もいるだろうけど……」


 そりゃそうだ。いくら高校だって学校外の生徒の動きを全て把握するなんて無理だ。


「じゃあ、大丈夫だな」

「ねえハル。学校の校則とかちゃんと見た? 見てる訳ないよね。ここが女子高だったことも知らないくらいだし……」


 そりゃ興味ないからなと言うと湊土は、はあとため息を吐いた。

 しょうがないだろ、前の高校から転校出来ればなんだって良かったんだし。それより湊土のいう校則ってなんなんだ。バイト禁止のほかにまだあるのか?


「この学校の生徒は絶対にどこかの部活に所属しないといけないんだけど」

「それくらい普通だろ」


 とりあえず所属だけして幽霊部員になればいい話だ。


「最後まで聞いて。それでね部活がある日。要は授業がある日。それが一年間で大体二〇〇日程度なんだけど、この高校はその二〇〇日の七五パーセント以上の一五〇日以上は部活に出ないといけないっていう校則があるんだよね。だからハルが考えてそうな、とりあえず部員になって部活には出ないっていうのは無理なんだよ」


 俺が考えていたことをほぼそのまま言われてしまった。


「だから隠れてバイトしても、せいぜい安月給のサラリーマンのお小遣いくらいにしかならないね。一千万なんて到底無理だよ。諦めて素直にお母さんに負けを認めたら?」


 負けを認める? 俺があの母に?


「ぐっ! それだけは……それだけは出来ないっ!」


 俺は机を叩いて俯く。きっと母のことだ、こんなヘンテコな校則があるのも知っていんだろう。それを知った上で敢えてこの高校を選んだに違いない。母を鬼だと思っていたのは間違いだった。あれは悪魔だ。


「それでね。そんなハルにいい話があるんだよ」


 そんな俺に湊土がそっと耳打ちをしてきた。


「ひゃうっ!」


 ちょっ、こそばいな! それに顔ちけーよ。やたら肌もきめ細かいしドキッとするじゃないか。

 は? なに言ってんだ俺は。待て待て落ち着け俺。俺は女が嫌いなのであって断じて男が好きになった訳ではないっ!


「はははっ、変な声出さないでよ。気持ち悪いなぁ」

「うっ、うるさい! お前がいきなり耳元で喋るからだ!」


 驚いて立ち上がっていた俺に向かい湊土は口を隠して手招きする。


「あまり大きな声では言えないんだ。さっき言った二つの校則を突破できる方法があるんだよ」


 なんだと……。そんな法の穴をかいくぐるような方法を、この無邪気そうな男が知っているだと。


「実は僕はもうやってるんだ。正直に言うとハルに近づいたのもその手伝いをしてほしいからなんだ」


 そう言う湊土は不敵な笑みを浮かべている。

 こいつ……無邪気で人懐っこいだけの男かと思っていたが、なかなかどうして食えない奴だな。しかしこれは俺にとって願ってもない良い話だ。このチャンスを逃す手はない。

 俺は椅子に座り直し湊土の顔に耳を近づけた。


「その方法……聞かせろ」


 待ってましたと湊土は俺の耳に口を近づけ――ふうっと息を吹きかけた。


「ひょうっ!」


 俺はまたも奇声を上げながら勢いよく立ち上がる。


「あっははははっ、なにその声。うけるー」

「ああん⁉ お前ふざけんなよっ!」

「だって面白いんだもんっ」


 怒る俺に湊土は悪気もなく大口を開けて笑う。


「なんなんだよお前はっ!」

「ごめんごめん。ただ……こんなに人がいる教室で話せる訳ないじゃん」


 にこやかな表情とは裏腹の低いトーンで話す湊土。それが俺を冷静にさせた。


「……お、おう」

「みんなが居なくなった後に説明するよ。それじゃ僕はちょっと用事があるから行くね。それまでここで待ってて」


 そう言い残し湊土は教室を出て行った。

 一体どんな方法なのだろうか、面倒なことにならなければいいが。それでも、湊土の方法に頼るしかないのも事実。もともと正攻法では勝てない勝負なんだ、多少のリスクは受け入れてやる。

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