第二章

第8話「転校前に出会った女は無視していこう」

 俺は席に着き窓の外を眺めていたら横から腕をグイっと引っ張られた。


「ちょっと、あんたアホなの?」


 隣の席の女子が小声で言う。なんと失礼なやつだ。


「アホなら周りに沢山いるだろう」


 俺は教室の大半を占める女子を見渡し顎をくいっと上げる。


「ちょっ! やめなさいよ頭おかしいの⁉」


 また失礼な言い草だな。それよりなんだこの女、馴れ馴れし過ぎるだろ。


「ありえないよ……。あんたのお婆ちゃんはあんなにいい人なのに」


 いい人か。俺がいま世界で最も嫌いな言葉だな……。


「……俺のお婆ちゃん?」


 誰だこいつ。なんで俺の祖母を知っているんだ?


「昨日あんたの家に届けたでしょ。お、す、し」


 ああ、そういうことか。高校の制服を着ているので気が付かなかったが、確かに昨日の寿司屋の女だ。まさか祖父が何気なく言った言葉が現実になるとはな。かといってこれ以上この女と話す理由もないので無視していたら、女はなにやら俺の言葉を待っているようで大きな瞳をこちらに向けていた。


「なんだよ?」

「どうだったうちのお寿司? おいしかったよね、ねっ。わたしも食べたかったなぁ」


 女は目をキラキラとさせて俺の答えを待つ。

 なんなんだよ。俺の感想を訊きたいのか自分の感想を言いたいのかどっちなんだ?


「普通」


 それだけ言って俺は女とのしょうもない会話を終わらせたつもりだったが。


「はあ⁉ あれ特上だよ。一人前だけで私の一か月分のお小遣いなんだよっ⁉」


 女は机をバンと叩いて抗議する。いや、もう話は終わってんだよ。、それにホームルーム中にでかい声出すなよ。


「こらっ、火野さん静かにっ!」


 案の定、女は担任に叱られた。この寿司屋の女の名前は火野らしい。どうでもいいけど。

 それにしてもこいつまた勝手に自分の情報を言ってたな。お前のお小遣い事情なんて知ったことか。


「最低っ!」


 火野は栗毛色の髪の毛をわしゃわしゃと掻いて、ふんっとそっぽを向いた。



 始業式が終わり授業開始を席で待っていると一人の男子がやって来た。


「君すごいね。なんなの最初の挨拶? 笑うの堪えるので必死だったよ」


 そう言ってその華奢な男子は俺の前の席に座り、くりっとした目を見開く。


「えーっと……」

「うん? あ、自己紹介がまだだったね。僕は土生湊土(はぶ みなと)。よろしくねっ」


 土生は人懐っこい笑顔で俺の前に拳を突き出した。


「ああ、よろしく。俺は日下部元日。もとはるだから。ハッピーニューイヤーじゃないからな」


 俺が拳を合わせると土生は高笑いをした。


「なんだぁ、案外普通じゃんか。こんな時期に転校してきて、あんな挨拶するからめちゃくちゃヤバイ人なのかと思った。正直話し掛けるのもドキドキしたし」

「いやいや、普通だよ。俺は話し掛けてもらって嬉しかったし」

「そうなんだ、意外。まあこんな学校だし仲良くしないとね」


 言って教室を見渡した土生につられ俺も見ると、数名の女子がやはりこちらを睨んでいた。


「おぉ、こわぁ。いきなり沢山の敵を作ちゃったね」

「別にどうでもいいけどな。それにしてもこの学校どうなってんだよ。男女比率おかしくないか?」


 俺の言葉に土生は訝し気な顔をする。


「なに言ってんの? そりゃそうでしょ。ここ桜神高校は一昨年までは女子高だったんだから。共学になった年の――今の二年生なんて男子一人だよ。そんなことも知らなかったの?」


 そういうカラクリか。まったく母もとんでもない高校を選んでくれたな。


「だけど今年はまだいい方だよ。一年生は一クラスに男子が五、六人はいるからね。まあ、それでも男子の肩身が狭いのは変わらないけどね。こういう休み時間はだいたいトイレか階段脇に避難してるからね。あっはははっ」


 土生の言う通り教室には俺たち以外の男子の姿がない。


「なんか土生はあまり肩身が狭いって感じではなさそうだけどな」

「そ、そんなことないよ。これでもなかなか苦労してるんだよ。っと、それより僕のことは湊土でいいよ。みんなそう呼んでるし」

「ああ、わかった。じゃあ俺もそう呼ぶわ」

「うん。日下部くんはなんて呼んだらいい? もとはるだからもと? もっくん?」

「いや、そう呼ばれたことはないかな。それにもっくんは恥ずかしい」

「え、じゃあ前の学校ではなんて呼ばれてたの?」


 前の学校か……。前の学校はあまり馴染めなかったから俺をニックネームで呼ぶようなやつは居なかったんだよな。


「えっと、中学の頃の友達とか親戚は元日の下の部分を取ってハルって呼んでた」

「そっか。じゃあ僕もハルって呼ぶね」


 なんていうか湊土はかなりグイグイ来る奴だな。

 ……まあ、悪い気はしない。こんな女だらけの学校だ。むしろ有難い。


「湊土くん。そんなのと関わってたらいい事ないよ」


 隣の席の火野が横やりを入れてくる。

 図々しいな。男子同士の会話に入ってくんなよ。


「桃火(とうか)ちゃん、さっきのホームルームで絶叫してたけど、あれなんだったの? あれも笑いそうになったんだけど」


 湊土に笑いながら訊かれた火野は顔を赤らめた。


「なんか勝手に叫んでた」

「はあ? あんたのせいでしょうがっ」


 俺と火野のやり取りを見て湊土が爆笑する。


「なんか二人仲良くない? もしかして知り合いだった?」

「いや、昨日こいつが迷ってたのを偶々助けてやっただけ。決して仲良くなどない」

「そうだよ。仲良くないよこんな最低男っ。聞いてよ~、こいつ私のお寿司、普通って言ったんだよ。特上だよとくじょー」


 泣きつく火野を湊土はまあまあとなだめている。

 あとから勝手にやってきて会話を盗みやがった。これだから女は……。

 それよりいま俺が考えないといけないのは、どうやって母に一千万の返済をするかだ。在学中に返済となればバイトを何個か掛け持ちするか。もしくは普通じゃないバイトをするか。

 最悪、犯罪的なことでも……それはないな。


 俺は窓から見える空を眺め今後のことを考えていた。

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